第九話 私、古巣を訪ねます!


 ある日事務所に駆け込んできた後輩ちゃん曰く。


「先輩! やっぱり妹の家庭教師になってください!」

「えぇ……なんでです? 例の一件はもう解決したでしょうに」

「それが……妹ちゃんがあの一件で先輩に憧れるようになっちゃって。ほかの先生たちよりも先輩が良いって言うんですもん! 可愛い妹ちゃんのお願いなんですから、姉である私に断れるわけがないでしょう!? 親もお給金たっぷり出すって言ってくれてましたし、お願いしますよー!」

「……はぁ、そこまで言うならまあ良いですけどね。ただ資格の申請諸々に時間を頂戴しなくてはいけませんので、少し待っていただくことになりますが……」

「そんなの当然無問題です! 私の可愛いアリアのためにも、ぜひぜひお願いしますー!」


 そんなやり取りを経て、シュレムちゃんは魔法使いとしての家庭教師の資格を申請するべく魔法使いギルドに向かうことになったのである。

 なっちゃったのである――そう、忌まわしき古巣に出向かなければならないことに。

 とりあえず変装でもしていこうかと彼女は小一時間ほど悩みました。







 申請と言っても、そこまで小難しい内容は必要ありません。

 書類を提出して筆記試験(魔法学校で学んだ法律等の知識があれば余裕)を受けて、それで合格すれば晴れて資格者証がもらえます。

 そしてなんならギルド採用試験のほうが狭き門というか普通に難しいので、それを一年前に合格したばかりのシュレムちゃんはもちのろん家庭教師資格の試験も一発クリアで終わりました。


「はい、それではこちらが第三種教師免許となります。お疲れさまでした」

「ありがとうございました」


 しゅぱっとそれを手に取ってそそくさとしまったシュレムちゃん。

 運よく窓口で対応してくれた職員は顔見知りでない相手だったので、特に引き止められることなく手続きは二時間程度で終わりました。

 これはラッキー、と彼女は万が一にも他の知り合いに出くわさないよう急ぎダッシュで出口へと向かおうとしました……しかし。


「やっぱり気になりますね……ならないと言えば嘘になりますし」


 それは初めは、ほんの少しの出来心でした。

 されど一度発芽してしまったそれは、すかさずシュレムちゃんの油断と結びついてむくむくと成長を始めたのです。


 自分がいなくなった後で、果たしてあの過労死上等の職場はどうなっているのだろうか。

 相も変わらずみんな死んだ魚のような眼をして働いているのか、それとも自分の退職を機に少しは労働環境の改善が行われたのか。

 気にならないわけがありません。


 かくしてシュレムちゃんはひとまずトイレに入り、魔法で髪の色と形を変えてからかつての同僚たちの今をのぞき見しようと画策しました。

 かつての職場でのシュレムちゃんはと言えば、シンプルな地毛のストレートロングでした。なにせおしゃれに気を遣う余裕もなく、遣ったところで異性同性構わずセクハラ&パワハラを受けるだけだったからです。同じ女性同士でもハラスメントは成立するのです……はい。


「よし、これでパーペキでカンペキなパーフェクトですね。これならもう誰もかつてのシュレム・ホワイトフィールドだと気づかないはずです。ふふふ……」


 トイレで独り言ちるシュレムちゃんに、もはやかつての面影はありませんでした。

 ゆるくウェーブのかかったオレンジ色のポニーテールは、彼女自身初めて試してみたものですが意外と似合っていました。

 そしてここしばらくの規則正しい生活習慣によって眼精疲労の取れたぱっちりお目目、そしてデスクワークばかりで猫背になっていた背中がしゃんと伸ばされた様は見違えています。

 よほどのシュレムちゃんストーカーでもなければ、気づけるはずなどない出来栄えです。


「さて、どんなもんでしょうかね。あのクソ上司は確か私一人抜けたところで問題ないなどとほざいてましたが、さてさてさて……」


 なんにしろ、気づかれたところで今のシュレムちゃんは部外者であり蚊帳の外。

 完全に他人事と考えて、彼女は軽く以前在籍した部署のあるフロアへと足を運ぶのでした。

 そして……。


「うわぁ」


 ……それしかもはや、シュレムちゃんには言えませんでした。


 陰鬱と暗雲がかかったような雰囲気の漂う一角、それは未だそこ・・にありました。


 闇よりもなお暗く、深淵よりなお澱んでいる、ギスギスした課員同士の空気。


 それを一目見ただけでビビビッと警戒心MAXの猫のように全身を震わせたシュレムちゃんは、すぐさま踵を返してギルドの外へ脱兎のごとく逃げ出したのでした。


「いやはや……なんともまあ。少し前まであんなところで働いていたとか……罰ゲームみたいだったですね。人生ゲームの。いえそれどころか、脱落者というか敗北者というか……」


 なんとも表現しきれない心の中のもやもやに口をモゴモゴさせるシュレムちゃんは、やはりあそこを辞めて正解だったと再確認しました。

 

 世の心ない人は職場の環境が悪いなら自分から改善していけばいいだけだと簡単にのたまいますが、古い職場は凝り固まった固定観念がそこら中に蔓延しており、そうもいかないのが現状です。


 そういったものを相手に戦うのではなく、名誉ある(?)撤退を選んだ自分はやはり正しかった……改めてそのように確信したシュレムちゃん。

 ぶり返してきてしまった過去の嫌な記憶を汗とともに流してしまおうと、かつてであれば残業ばかりで行くことなんて考えもしなかった平日サウナを楽しんでから帰ることにするのでした。


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