第十話 私、社会の理不尽を教えます!
「あのですね、シュレムお姉さま! わたし、ギルドに入りたいんです!」
「やめなさいあんなクソッタレの下水煮込みみたいな職場は。それよりももっといい職場は世の中にいくらでも転がっているのですから、お願いですから考え直してください。知り合いの娘が目に涙とクマを浮かべながら黙々と仕事に打ち込まなければならない絶望顔なんて、私は見たくないのです」
「!?」
「あの、先輩? あまり妹の夢を壊さないように……ほどほどに」
「お断りです。私は都合のいい面ばかりを見て職場を選ぶことの愚かさを、それはもう身に染みて知っています……この苦しみを誰かに味合わせてしまうくらいなら、たとえ幼子の抱く幻想であろうとブチ壊すと決めたのです!」
「ちょっ、先輩!? 何が先輩をそうまでさせるんですかーっ!?」
決まっているでしょう、ブラックギルドの連中が全部悪いのです。
そう意気込むシュレムちゃんのはっちゃけっぷりに、
先日の一件以来、シュレムちゃんはちょくちょくサリアちゃんの実家のお茶会に誘われていました。
その中でふとアリアちゃんがこぼした一言に彼女が過剰反応してしまうのは、それはもう無理もないことでした。
「まず、アリアちゃんに問います。魔法使いのギルド職員は普段どんな仕事をしていると思いますか?」
「え? それはもちろん、魔法を使って普段の皆さんの生活に役立つようなことを色々してるんじゃないんですか?」
「んなわけねぇです。こほん……残念ですが、別にギルドに入ったからと言って魔法でなにかをするわけじゃないんですよねぇ……。むしろギルド職員の仕事っていうのは、もっぱら書類仕事がメインなんですよ。現場に足を運んで魔法を使うのは自分たちじゃなくて、委託先の人間です。魔法を使いたいならむしろそちらがお勧めですね」
正確には、ギルド職員でもまったく魔法を使わないわけではありません。
だがその利用はあまりに慎ましく、地味で、かつ子供には想像できないほどつまらないモノ。
委託するまでもない道路の小さな補修や、業者が割に合わないと判断するような下水道の細々とした管理、文化財の保存のための環境整備……確かに、アリアちゃんの言うような決して世の中から欠けてはならない仕事ではあります。
しかしそれらを上司や周囲、来客からの重圧に耐えながら為さなければならないという現状は、彼女の抱いている想像とは程遠いものであることは間違いありません。
「積もる書類の山からくる眼精疲労に肩こり……周囲からの視線……度重なるストレス……鳴りやまない胃痛……そんな中でも、次から次へと厄介な相手はやってきます。そんな中で特に新人は上司から面倒な案件を投げ渡され、雑務を回され、仕事のいろはも分からないまま右往左往していてまた怒られる……良いですか。私はそんな場所にアリアちゃんを送りたくはないのです。これは決して嫌がらせではないのです、私の学んできたギルドという場所の経験なのですよ……」
「そんな……」
シュレムちゃんの実感のこもった悲痛な声に、アリアちゃんは思わず口を手で押さえます。
「もちろん、やりがいもありますよ。親切なお客さんも中にはいらっしゃいますし……ただ、そのような方々から受ける感謝以上に、心労が積もり積もって山となる……そうして圧し潰されてしまう人も周囲にはいました。本当に、悪いことは言いません。あそこに入るくらいならもっと良い職場があるのですから……」
「え、ええと……はい、すみません、シュレムお姉さま……。おつらい記憶を思い出させてしまって……」
「いえ、構いませんよ。私も少々大人げない話をしてしまったという自覚はありますし。ただ、重ねて言いますが、魔法使いギルドはやめておきなさい。世の中のどんな仕事にもつらいことはありますし、社会人一年目でそこから逃げ出した若輩者の意見でしかありませんが……あそこは控えめに言ってドブです。どれだけ悪口を言っても言い切れない、人間性をとことん捨てきれる場所なのです……そんなところに自ら飛び込むのは、止めておくのですよ」
それに、とシュレムちゃんはダメ押しします。
「もしどうしてもそこ以外に就職先が見つからないというのなら、私のところで雇ってあげますから。今はまだ小さな事務所ですが、アリアちゃんが大きくなるころにはきっと、あなた一人を雇えるくらいにはなっているでしょうから」
「お姉さま……!」
うだうだと前職場への批判を交えつつ長話を喋りつくしたシュレムちゃんは、乾いた喉を潤わせようと紅茶をすすります。
そこへ最後に挟まれた一言に感激したアリアちゃんが、思わずひしと抱き着きます。
「ちょっ、何を言うんですか先輩! しれっと人の妹を寝取らないでくださいよ! アリアは私のです! もし仕事が見つからなくっても、私のところで養ってあげるんですから! 戻ってきて、アリア!」
「シュレムお姉さまぁ……!」
「このっ……噓、冒険者をやってる私の力でも引きはがせないなんて……!」
「私、お姉さまの下で働く時のためにこれからいっぱい勉強しますね!」
「駄目、戻ってきなさいアリアーっ!」
目の前で繰り広げられる、妹と姉の仲睦まじい光景。
それを見て、シュレムちゃんは「平和ですねー」との感想を抱きます。
働いていた時には全然感じることのできなかった人のぬくもり。
それを感じながら彼女は、地獄の窯湯のようであったかつての激務に戻ることなく、このぬるま湯のように落ち着いた日々に延々と浸り続けられればいいなーと願うのでした。
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