第八話 私、ここらで一度収支を確認してみます!


「うへ、うへへ……」


 そう、気持ち悪い声を思わず漏らしてしまうシュレムちゃん。

 その原因は彼女が現在手元に広げている家計簿が原因でした。


「相談所を開業してはや二か月。なんとようやく収支が生活費含めプラスに転じたではありませんか……。もしやこのお仕事、案外私に合ってる……? 何でも屋が私の天職だったんですね……!」


 固定客(※主にラーメンとペット探しと酔っ払いの対処)を得ているため、ここから大きく下がるということもまずないでしょう。安心した彼女は、ついガッツポーズすらしてしまいます。

 この調子でいけば、日々の生活にそうそう困ることもなさそうです。

 やはり仕事を辞めたのは正解だった……!? と、過去の自分の英断を褒め称えたくなってしまうシュレムちゃん。


 そこへ、ちりんちりんと来客を知らせるベルが鳴りました。

 しゅばっと家計簿をデスクの下にシュートし、接客用の笑顔を作ったシュレムちゃんは挨拶と一緒に頭を下げて相手を出迎えます。


「はーい、【シュレムちゃん相談所(略)】へようこそ! 本日はどのようなご用件でしょうか?」

「……なんですか、このみすぼらしい事務所は」


 は? と思わず相手を睨みつけたくなる気持ちを必死に我慢して、シュレムちゃんは顔を上げます。

 するとそこには、彼女がよく知った相手が立っていました。

 否、単に「よく知っている」程度ではありませんでした。

 そこに居たのはシュレムちゃんが半生をお世話になった彼女の家族―—。


「……お母さま?」


 シュレムちゃんの母親が眉間にしわを寄せて彼女に相対していたのです。






「あなたがギルドを辞めたというので、最初はくだらない冗談だっと持っていましたが。確認してみたところ、実際に辞めたのだと聞いて飛んできたのです。まったく、せっかく立派な公の仕事につけたというのにその責任を一年で投げ出すなど……誇り高きホワイトフィールド家の娘として恥ずかしくないので鵜すか?」

「なるほど、そういう理由で来られたと。それでお母さまは私にどうしろと言うのです?」

「決まっています。今からでも頭を下げて元の職場に戻りなさい。もしくはそれが嫌なら、私たちがそれなりに良いお仕事を探してあげますから、婿が見つかるまでの間そちらで働くのです」

「えー、嫌です」

「は?」


 問答無用で断ったシュレムちゃんに、お母さまは鋭い目を向けます。 

 しかし彼女に、お母さまの期待という名の命令に従うつもりはありませんでした。


「もとより魔法使いギルドに入ったのもお母さまに散々勧められたのが要因ですが、あそこはロクな仕事場じゃありませんでした。どうせお母さまの他に勧めてくる仕事も、世間体はよくても中身はキツキツのブラックでしょう? そういうのはもうごめんなので」

「シュレム……! あなた、こんなみじめな生活に身を置くなんて恥ずかしくないの!? 何でも屋なんて、汗水たらして働くなど淑女には到底似つかわしくないですよ! 今の部屋だって、調べさせたところぼろぼろの手狭なアパートだというではありませんか!」

「だからなんです? あそこだって住めば都ですし、意外と楽なんですよ」


 飄々と口答えするシュレムちゃんに、お母さまは口調を荒げて反論します。


「なんですか母に向かって! 私は娘の貴女のことを思って色々心配しているというのに……!」

「だから、その心配は結構です。私はもう知ってしまったんです。人間、身の程に合った生活をするのが一番なんだと。世間体を気にして過労死するくらいなら、こうして自由業で慎ましやかに暮らしていければそれで十分なんです」


 確かに、シュレムちゃんがかつて過ごしていた実家のお屋敷では楽な生活を送れていました。

 というのも実はホワイトフィールド家もまた一端の貴族ではありますので、資産には恵まれていましたから。

 お食事は待っているだけで出てきますし、お風呂も十人くらいがまとめて入れるほど広いものでした。


 対して今の生活は自炊で簡単なものを作るばかりですし、お風呂も手足を伸ばして入ることが大人には難しいほどの大きさしかありません。

 しかし、それでもシュレムちゃんには十分満足のいくものだったのです。


「お母さまの期待を裏切ることになったのは申し訳ありませんが、もう私には過剰に人の機嫌を伺ってする仕事などもう無理なんです。ごめんなさい」


 その謝罪に込められた想いを、十数年近い人生を共に過ごした母親だからこそ理解できたのでしょうか。

 梃子でも動かないといったような気迫を漂わせるシュレムちゃんに、母親は渋々ながらも踵を返しました。


「シュレム……っ! また来ますからね!」


 お母さまは何とも言えないような顔で、シュレムちゃんの事務所を足早に出て行ってしまいました。

 外からは馬車が遠ざかっていく音が響いてきます。


 シュレムちゃんとて、母親が心から自分を心配してくれているのだと分かっています。

 だからと言ってそれをすべて受け入れ続けてしまえば、いずれは元の木阿弥になってしまうことは想像に難くありませんでした。


 母親の思う娘らしさとシュレムちゃんの思う自分らしさは、残念なことに同じではなく。

 自分を殺し続ける生き方を一年間通してやってみたシュレムちゃんは、たとえ相手の親切心からくるものだったとしても、そのような生活はもうこりごりだったのです。 


 ようやく手に入れられた、自分らしく生きるための生活の基盤。

 それを「母親を心配させたくないから」との理由で捨ててしまえるほど、シュレムちゃんは世間でいうオトナではありませんでした。


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