最終話



「ま、まさか、ワンヨなのか。なぜ、ここにいる」


 わたしの足にすがりついているのはワンヨだった。

 貧民窟でヘンスと縄張り争いをしていたワンヨ。あの日、『あかずの門』から、この世界へと送られた日、この男がヘンスを傷つけたのだ。そのワンヨが這いつくばっている。


「な、なんで、ここにいる」

「シャオロンよぉ、た、助けてくれ」


 大威張りしていたワンヨの素敵なくらいに哀れな姿。


「ワンヨ。さあ、話せ。おまえは誰に雇われた」


 ヘンスの威厳をもった半端ない声に、ワンヨは、きょときょとと視線を這わすだけ。

 あきらかに挙動不審だ。

 カラ威張りばかりしていたワンヨが鼻水を垂らしながら、ひ弱に泣いている。


「お許しくだせえ、皇子さま」

「俺が誰だかわからんのか、ワンヨよ」

「俺、いや、わ、わた、わたしは、あなたさまのような高貴な方を、ぞ、存じあげ、とか、あの」

「おい、顔を上げて、よく見な! ワンヨ」


 怯えるようにヘンスと視線を合わせたワンヨは、驚くほど内心の葛藤を顔をあらわして、腰を抜かした。


「あっ! いや、ま、ま、まさか、へ、ヘンス……」

「さあ、俺のことはわかっているだろう。話せ!」


 哀れとしか言えない姿で、……少しは貧民窟代表の気概を持って欲しいものだと思う。どっか抜けてて、王宮に巣食う悪人に比べると小物感がありありで。


「あ、あの。俺、俺はちがうんだ。ただ、命じられただけで。その女を、いや、あのシャオロンさまをここへ行かせるなと」

「誰に命じられた」

「あ、あの、あの方で」


 バタンと大きな音がした。

 ジャオンイー王弟が逃げようとして転び、ウーシャンの合図で近衛兵に取り押さえられた。


「叔父上、どこへ行かれるつもりか」

「わ、わしは、わしは」

「ワンヨとやら、あの男に指示されたのだな」

「へい、金貨をもらって。そりゃ、大金で。シャオロンさまの代わりの女を王国へ向かわせろと」

「それだけか。十二年前に何を頼まれた」

「あ、いえ。十二年前って、それは、あっしに神経性の毒を手配するようにと」


 王弟は近衛兵の手を強引に外すと叫んだ。


「黙れ、黙れ、黙れ! わしを陥れる陰謀だ、これは陰謀だ」

「叔父上、兄は生きています。なぜ、十二年もの間、貧民窟に隠れねばならなかったのか。その理由は、あなたがご存知のはずです。シャオロンの両親に罪を被せたのも、あなただ」


 それから、数々の証拠や証言、寝返った大臣とか、まるで台本があるかのような寸劇が繰り広げられた。

 先の儀式を含め、長く念入りな計画のもと証拠集めをして挑んだのだろう。


 最後にウーシャンは朝堂の高い場所から睥睨するように周囲を見渡した。


「わたしは朝堂に集まる皆の前で、これを伝えることを喜びとする。今回、過去の罪状も明るみにでたのとは、ひとえにシャオロン群主が我が国にもたらした儀式の恩恵に預かるところが大きい。この結果により、多くの者が口を開くきっかけにもなったのです。今、ここに宣言します。シャオロン群主の父、オウ・チョウリン殿及び夫人の濡れ衣を晴らし、王家への復帰と爵位の復活を決定します」


 朝堂に集うすべての人びとから大きな拍手がわきあがった。

 ジャオンイーに味方する者は誰ひとりいなかったのは、儀式の結果と、その後の民の歓迎も後押ししたと、後で聞いた。


「叔父上、ゆっくりと刑部でお話しを伺います」と、ウーシャンの声はどこまでも冷たい。


 朝堂での評議は終わった。


 ジャオンイー王弟は近衛兵から刑部の官吏に引き渡された。

 後に聞いたことだが、密かに王弟が集めた私兵は、先に壊滅させられていたという。

 どれほどの忍耐と年月をかけて、この計画を進めてきたのだろうか。そこには、わたしの儀式参加も含まれていた。


 その後、ウーシャンは彼の側近以外は不問に伏し、恩赦を与えたという。かかわりのあった大臣たちは、ほっと胸を撫で下ろしたらしい。

 ウーシャンがやり手の政治家であるのは間違いないようだ。






「それで、ヘンス。説明してもらおうじゃない」


 ヘンスの腕を捉えたまま、朝堂からわたしの部屋に戻った。

 彼をにらむと、まっすぐ見返してくる。距離が近い、前も近かったけど。でも、どぎまぎするから、彼から離れ、手を振りほどいた。


「今さら、説明が必要か」

「あのな。なぜ教えなかった」

「教えてもよかったがな。俺が皇子で王都から追放されたから。儀式のためにおまえを育てているなんて信じたか? 両親の悲劇で記憶を失ったおまえに説明できたか」


 こら、そんなふうに顔を近づけて笑うな。皮肉に頬を歪めるのは、以前と同じだけど、でも、なんか違う。

 心臓の鼓動が大きく鳴って、ヘンスに聞かれてしまいそうだ。これ以上、近くにいたら頭がおかしくなりそうで、混乱する。


「兄君」


 ウーシャンが部屋に入ってきた。彼の声に、ほっとすることがあるなんて、以前ならきっと信じなかっただろう。


「弟よ、なんだ」

「父君が譲位なさりたいと申しています」

「ウーシャン、それはおまえの仕事だ」

「いえ、兄者。それは困ります」

「いいか、ウーシャン。俺は幼い頃から儀式のために育てられた。おまえとは違う。やっと解放されたんだ。これからは好きに生きる。この王国はおまえが治めろ」


 ヘンスはわたしの手をつかむと、自分の背中にわたしを隠した。

 ああ、この背中。常に孤独で、そして寂しげだった背中が、わたしにとってゆりかごだった。


「兄者が欲しいものは、そこに隠されている者だけなんですね」

「ああ、これだけは誰にも譲れん」


 軽く首を振るウーシャンと目があった。彼は吹き出しそうな、泣き出しそうな表情をしており、それから、髪に触れると後れ毛を美しく長い指でいた。


 なんとも言えない色っぽい姿に、スーリアンもズースーも目が離せない。と、ヘンスに頭をこづかれた。


「こら、シャオロン。おまえは俺だけ見ておけ」

「だって、ヘンス」

「すまんが、ウーシャン、その話は、また後だ。こいつには、さまざまな事を教えたが。どうやら、女の喜びを教えるのを忘れていたようだ。危うくていかん」


 そう言うと、ヘンスはわたしを背後からからめとり、胸に抱き寄せた。


 ヘンスの息が額にかかる。

 馴染みのある、彼独特の色気にあふれた匂いが鼻をくすぐる。


 ヘンスはずるい。

 こんなことをしたら、抗議することもできないじゃないか。


「なあ、シャオロン」と、頭の上からヘンスの声がする。

「俺を見ろ」

 

 どうしよう。

 迷っていると、彼の指がわたしのあごをクイっと上向きにした。


「俺に会いたくなかったのか」


 やっぱり、ヘンスはずるい。

 殴ってやりたいのに言葉が出ない。


「あ、あのね。おまえ、あの、殴ってやりたい」

「ああ、いくらでも殴れ。俺のシャオロン」


 お、俺の?

 そうだ、前もよくそう言っていた。

 俺のシャオロン。


「ヘンス……」

「なんだ」

「ヘンス」


 あらゆる事が、いったいなんだと言うのだろう。この男は、こんなに魅力的なんだから、頭が真っ白になって、彼のことしか考えられないのも仕方ない。

 ああ、もう、どうでもいい。


 三人が部屋からそっと出ていき、扉の閉じる音がしたけど。

 そんなことは、どうでもいい。

 

「ヘンス……」

「黙って」

「でも、ヘンス」

「目を閉じてごらん」


 ゆっくりとヘンスの顔が近づいてくる。

 目を閉じると、世界は完璧になった。他に何もいらない。わたしのすべてが満たされていく。






******************





 はるかはるか、遠い遠い昔──



 砂に埋もれし崩壊した世界に、ふたつの種族が降り立った。


 世界が、とうの昔に死んでいたとも知らず。


 ヒト族は、この運命に絶望するしか術をもたなかった。一縷いちるの希望は白龍族。


 希望は呪いでしかない。

『呪い』は数百年の時を『希望』という言葉で語り継いだ。


 わずかでも希望がなければ生きていけない過酷な世界で……、呪いに希望をもつしかないヒト族に。


 白龍は憐れみを込めて歌った。


 声を限りに歌った。


 愛を歌い、彼らを救うための歌をつむいだ。


 そして、ヒト族は覚醒し、白龍の歌声は途絶えた。

 もはやヒトしかいない世界に白龍の存在こそ儚い。



 この枯れた世界を、『巨雲国じゅゆんこく』と呼ぶ。


 かつて、吹き荒ぶる砂が雲のように巨大な渦を作り、人びとを苦しめたことから、『憂いの国』とも呼ばれた。


 その物語は、また、いつか別の機会に……




   ー 了 ー


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【完結】王朝流離譚:限りなく無慈悲な皇子の溺愛 〜超絶不憫系の主人公は薄っぺらな愛情なんて欲しくない〜 雨 杜和(あめ とわ) @amelish

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