続、愛(哀)戦士ブッコロー、切なさに堕つ

福山典雅

続、愛(哀)戦士ブッコロー、切なさに堕つ

 僕はブッコロー。


 とても愛らしいミミズクだ。おっさんではない。


 どうも僕を誤解している人が多い。少し変態っぽい所は自覚しているけど、通報されるレベルではない。例えば散歩をしていて小学生の下校時間に居合わせ何故か職質された事はないし、住宅街を歩いていて多発する下着ドロと勘違いされ何故か職質された事はないし、夜道を歩いていて女性を狙う痴漢に間違われ何故か職質された事もない。


 僕はブッコロー、心の綺麗な愛らしいミミズクだ。もし、街で怪しい人を見かけたら通報する前に、その人のこれからの人生を考えてやる余裕を持つべきだ、みんな心に刻み込んでくれ、うううううっ、本部照会なんかすんなよぉぉぉおお。


 さて、そんな僕は現在とある街に来ている。


 いわゆる地域復興の一環として、この街で動画配信を幾つか行い、観光地としてアピールするのが目的だ。僕だってちゃんと仕事をしている。地域社会に貢献出来るなら喜んでお手伝いをさせて頂く。


 と言うのは勿論建前だ。


「ブッコローさん、お茶をいれましたよぉ」


「はい、ありがとうございます、絵里さん」


 彼女の名前は絵里さん、今回の企画コーディネーターで28歳。清楚な和風美人だ。その色白の肌が初夏の日差しを浴びてとても眩しく、僕は思わず少しだけ照れてしまい、そっと視線を外した。


 彼女に初めて会ったのは、とある官公庁の企画室。僕は一目見るなり恋をした。どうにかして彼女と話したくて、この低予算で陳腐な企画にも参加した。


 変態だって恋をする。


 僕がやっている事は仕事を冒涜し、卑怯でセクハラだと考える事も出来るけど、人生にはそれでも手に入れたい恋だってある。僕は誠実という事が、何をもってそう言うのか、はっきりした答えをもっていない。ただわかる事は、僕が彼女の事を好きだと言う事だ。決して、表立ったストーカーではない、多分。


 そこで僕はどうすれば彼女と、この企画中により親密になれるのか考えた。


 僕が女性に出来るアプローチとは、躓いたフリをしておっぱいを触るとか、後ろを歩いてたらわざとらしく振り返っておっぱいを触るとか、飲み会の席でよろめいたふりをしておっぱいを触るとか、そういう事しかわからない。


 駄目だ、通報されてしまう!


 僕は恋はすれど、その叶え方を知らないミミズクだ。だから、自分を偽らず、僕なりのやり方で彼女との距離を詰めるしかない。


 そう決心した僕は早速行動に移した。


 お茶を入れてくれた絵里さんに、僕はお礼を言いつつテーブルに座り、ドキドキと緊張しながら、震える声で質問をした。


「あ、あの、絵里さんは、へ、変態とか好きですか!」


 バカァァア、ないだろ、それ! 緊張のあまり僕はとんでもない事を口走ってしまった! 


 すると、一瞬きょとんとした彼女は、すぐに気を取り直して応えてくれた。


「ふふ、程度によりますよ。でも、ブッコローさんが変態だったら、大丈夫かも」


 そう悪戯っぽく微笑む彼女は眩しくて、僕は幸せで舞い上がり、天にも昇りそうな気分になった、うん、実際少し浮いたかもしれない。


 いやいやいや、落ち着け。これは社交辞令のリップサービスかもしれない。もう少し突っ込んだ確認をしないと、安心出来ないぜ、マイ・ハート!


「ぼ、僕はちょっと変態なんで、女性の胸が大好きなんです! こんなミミズクってどう思います!」


 ノォォォオオ!!! 緊張し過ぎて言葉をオブラートに包めない!


 でも、絵里さんは特に気にした風でもない。


「男の人ってみんな女性の胸が好きですよね。確か胸が好きな人は、母性を求めているって聞いた事がありますよ。それは変態じゃなくて普通ですよね」


 な、なんて、優しい解釈なんだ! 僕は天を通り越して異世界に行きそうになった。


 やっぱり絵里さんは最高だ。僕は大変申し訳ないんだけど、その後の打ち合わせがすっかり頭に入らないくらい、とても幸福な気分で満たされていた。






 翌日、1本目の動画撮影を終え、夕食をスタッフの皆様と食べた後に、僕は挙動不審になりつつ、無理矢理覚悟を決め、渾身の勇気を振り絞って、絵里さんを誘ってみた。


「あ、あの、もしですよ、もし良かったらなんですけど、もう少し飲みませんか! けっ、決していやらしい事とか考えてませんし、僕の下心は洗濯済みなんで、真っ白です! ホント、何もやましくないですよ、て、手汗もかいてませんし、あっ、かいてるか、あは、あはははっはは」


 完全に不審者だぁぁぁああああ! 僕はどんな誘い方をしているんだ、これじゃあ痴漢冤罪で、鉄道職員さんに捕まった時と同じじゃないか! 


 すると、絵里さんはちょっとだけ僕をじっと見つめた。


 その瞳は僕を非難しているのか、ワンチャン好意をもってくれているのか、まるで判断がつかない、そんな不思議な瞳だった。


「……、少し散歩しません?」


 彼女は可愛く首を傾げて、優しそうな声でそう言った。


 僕はまるで高校生みたいにドギマギしてしまい、馬鹿みたいに何度も何度も頭を縦に振り、締まりのない浮かれた顔でにやけてしまった。


 でも、そんな僕の様子を彼女はにっこりと微笑みながら見守り、「行きましょう」と歩き始めた。


 初夏の夜は涼しくて、風はとても緩やかだ。僕は知らない街の繁華街の雑踏の中、大好きな女の人と、遂に二人きりで歩く事に成功した。なんて幸せなんだろう。


「行きたい所があるんです」


 隣でそう言う絵里さんが、可愛くて仕方ない。


 普段二次会に行くノリとはまるで違う。仕事関係の女の子と一緒に歩くのともまるで違う。僕は凄く特別で、かけがえのない時間を彼女と共有出来ている。その事実に心が震え喜びが溢れて来る。


「ど、どこでもついて行きます! 初めての街だし、そう、初めてだから優しくしてね! 痛いのは嫌ですよ、えへへへ」


 テンパっておかしな僕の発言を、彼女はニコニコして聞いてくれていた。


 隣を歩く彼女は少しのお酒で肌がほんのりと桜色になり、そのブラウスの少し開いた胸元から見える膨らみが僕を思わずドキリとさせる。僕は変態だから、つい彼女が歩く度に少し上下する胸に視線が行きがちだけど、その横顔だってちゃんと見ている。


「この季節の夜は気持ちいいですね」


 そう言った絵里さんは、軽く伸びをした。


 細面の彼女の横顔。セミロングの髪がふんわりとゆれて、時折みえる耳元から首のラインが凄く細い。僕の方を向いて話しかけてくれるその瞬間に感じる安心感は、今までの人生の中で味わった事のない感情だった。彼女の仕草や言葉は、僕に有り得ない程の特別な安らぎと穏やかな心を与えてくれていた。







「ここを昇りましょう」


 彼女がそう言ったのは、少し外れた所にある展望台に通じる坂道だった。


 この街は僕の知る横浜程ではないけれど海に面していて、現在海岸線の開発が進んでいる。「港の見える丘公園」みたいに高い場所ではなさそうだ。地元の彼女のお勧めだ。嫌がる理由なんかない。僕らは気軽な感じで歩き進んだ。


 少しだけの坂道だけど僕は、「はぁはぁ」と息が上がる。決してエロで興奮しているわけじゃない。でも少し上気した彼女の顔とその息遣いを感じ、やっぱり少し興奮してしまうのは内緒だ。あっ、少し前のめりになりそうだ。


「す、凄い!」


 僕は登り切った先の展望台に立ち、思わず声を上げた。想像していたより、案外高い場所だった。


 眼下に見える夜景は煌めいていて、無数に広がる家屋の灯りがイルミネーションみたいにキラキラと輝き、その先には幾つかの船が停泊する埠頭が見える。さらに広大な海が月明かりを受け、薄っすらとその水平線までを垣間見させてくれていた。


 そして見上げれば、夜空はこの季節にしては珍しく澄んでいる。僕の住む街より遥かに多くの星々が、嬉しそうにその光輝を僕らに披露してくれていた。


 なんて世界は美しいのだろう。


 柄にもなく僕はそんな事を考える。僕らは展望台の一番先頭にあるベンチに座った。そして隣で息が整いつつある彼女を見ながら、僕は今までの人生の中で、こんな幸せな夜はないと強く思っていた。


「ブッコローさん」


 不意に絵里さんがその綺麗な瞳を僕に向けて来た。


 でもなぜだろう、少し悲し気に見えた。


「今日は誘ってくれて、ありがとうございます」


「あっ、いえ、僕もこんな綺麗な場所に連れて来て貰えて嬉しいです。あっ、でも、絵里さんの方が綺麗ですよ、なんて、あはははははは」


 ぶきっちょか! 折角のこのロマンティックなシチュに、キャバクラ初心者のベタ褒めみたいじゃないか! 反省だ、反省! 


 でも、絵里さんは気にせずに言葉を続けた。


「少し、聞いて欲しい話があるんです」


「は、はい!!!!」


 こ、これは、いわゆるあれか、親密な男女が行う「語り」! 恋を深める通過儀礼、もの凄く期待してしまう。


 僕は静かに絵里さんの言葉に耳を傾けた。


「私、結婚してます」


 はうぅぅぅうう! えっ、ご結婚されてたんですか! え、え、え? でも、好きだし……。 


 僕は急いで今更ながらに彼女の左手の薬指を見ると、そこには銀色の細いマリッジリングが嵌められていた。


「夫とは一昨年に死別しました。ここは彼の好きな場所でした」


 ぐはっ! し、死別!!! ちょっと、えっ? マジですか、これはかなり重い話ですが!


 この衝撃的な二発の爆弾発言を喰らい、すでに僕は満身創痍になってしまった。気持ちを立て直す為に、エロい事を考えようとしたけど無理だった。この事実は重過ぎる。


 思わず意気消沈してしまい、しょんぼりする僕を他所に彼女は続けた。


「3歳年上の大学の先輩で、私が卒業すると同時に式を挙げました。凄くエッチな事を言うのが好きな人だったけど、根は真面目で何よりもとても思いやりがある人でした。初めて部屋に行った時も、今時エッチな本なんか持っていて、『こういう古典を知らねば、エロ道は究められない』なんて言う変な人でした」


 うわぁ、めっちゃ共感出来るぅぅううう。


 電子媒体とは違う紙媒体を所持するのは、漢のロマンだ。


「でも凄く優しい人で、私が風邪を引いて寝込んだ時なんか仕事を休んで付きっきりで看病してくれて、『絵里、死んじゃやだよぉぉ、早く元気になって!!!』って年上なのに子供みたいにおろおろして、『大丈夫だから、仕事に行って』っていう私を無視して、ずっと枕元で手を握っていてくれました」


 いい奴だじゃないかぁぁぁあああ! 気持ちはわかる!


「子供をそろそろ作ろうかって時に、彼が会社の健康診断で引っかかって検査に行ったら、もうガンのステージ4でした。『大丈夫、エロは不滅だ! うん、絵里とエロは似ているな、って怒んないでぇぇぇ』とか強がるんですけど、彼は病院のベッドで日に日に弱っていって……」


 そこで、彼女は彼を思い出したのか、急に黙ってしまって小さな声で嗚咽した。その秘めていた悲しみが漏れ出して、彼女の忘却出来ない想いは、その涙のキラキラした切ない輝きに映し出され、僕の胸を強く締め付けた。


 僕はもうどうしたらいいかわからなくて、ただ隣で間抜けな顔を晒して見守るしか出来なかった。そして暫くして落ち着いた彼女が、涙で潤む瞳と赤くなった鼻を向け、震える声で僕に言った。


「……、ごめんなさい。ブッコローさんが私に好意を持ってくれているって、わかってました。私もつい変な彼と重ねて見てしまい、必要以上に親しく接してしまって、色々勘違いさせてしまったかもしれません。本当にごめんなさい……」


 泣きながら申し訳なさそうに頭を下げる彼女に、僕はただ少ししょんぼりして俯く事しか出来なかった。








 その後、僕は動画の撮影を順調にこなした。


 失恋のショックはあまりに激しいけど、ここで落ち込むなんて許されない。この仕事は僕と絵里さんの仕事だ。僕が生半可な態度で、いい加減に流してしまうなんて駄目だ。それは僕が絵里さんを好きだと言う気持ちを馬鹿にするのと同じだ。


 僕は変態だ。


 変態というのは、エロに関して情熱と努力を惜しまない。それは愛だ。僕は絵里さんへの愛を貫く。持てる限りの力を出し惜しみせず、僕は全力で仕事に情熱を注いだ。心が折れそうになった時は、お気に入りのAVを見まくった。イヤホンが外れたら大ピンチだけど、僕にはそうするしかなかった。へこみそうな精神を、何とか奮い立たせ、そして仕事を成し遂げた。


「お疲れ様でした、ブッコローさん」


 にこやかに微笑んでくれる絵里さん。


 でも、その表情には誰にも悟られない悲しい影がある。僕はそういう彼女に気がつける程に、深く理解出来る様になっていた。


 今日でこの街ともお別れだ。だから、僕は彼女を誘った。


「絵里さん、少しだけ、ほんの少しでいいですから、僕に付き合ってくれませんか?」


 彼女はちょっと動揺しそうになったけど、すぐ素直に「はい」って言ってくれた。


 僕らはこの街の海岸線に車で出かけ、海へと辿り着いた。


 まだシーズンオフの海水浴場には誰もいない。僕らは駐車場に車を止め、潮風が少し強い砂浜へと降りて行った。天気はぽかぽかしていて、波はとても静かで、穏やかな午後の海岸は、とてものどかな空気を纏って僕らを迎え入れてくれた。


「いい風ですね、ブッコローさん。でも、今日でお別れだと考えると少し寂しいですね」


 髪をかき上げながら絵里さんは、陽光が反射する海辺を眩し気に眺めている。


 僕はその隣で砂浜に足を少し取られつつ、絵里さんに向き直った。


「絵里さん、少し真っ直ぐ海を見ていて下さい!」


「は、はい? こうですか?」


 僕の唐突な言葉に、絵里さんはきょとんとしつつ、海を正面にしてくれた。


「ありがとうございます、僕も真っ直ぐに海を見ます。僕達は海を見ているだけです。何も気にしないで下さい!」


「……わかりました」


 絵里さんの了解を取ってから、僕は渾身の力をお腹に込めて叫んだ。


「僕は、変態だぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああ!」


 隣の絵里さんがビクッとしたけど構わない。


「そして、絵里さんの事が大好きだぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああ!」


 彼女が少しだけ顔を伏せた様な気がしたが、それでも構わない。


「でも、そんな貴方は間違っている!!!!」


 僕ははっきりと断言した。


「僕は貴方のご主人を知らない! でもわかる事がある! それは貴方の笑顔が大好きだったという事だ! きっとこう思っていたはずだ! この世界の誰にもその笑顔を曇らせはしない、この世界のどんな困難や苦しみからも、その笑顔を守って見せる、そしてこの世界のどんな理不尽が襲って来ようとも、その笑顔を消させてなるものか! って強く思っていたはずだ!!!!!」


 僕はさらに力を込め全力で叫んだ。


「だから、そんな悲しい顔をするなぁぁぁぁぁあああああああああ! 死んでしまったけど、寂しがり屋の変態はいつでもその笑顔を大事にしているんだ! だから愛しているなら、嘘でもいい、笑ってくれ! 偽りでいい、笑ってくれ! 自分が守ろうとした笑顔が、自分が大切にしていた笑顔が、この世界から無くなるなんて寂しすぎるだろう! それを消したのが自分だなんて、やりきれないだろう! 僕ら変態はそんな情けなくもみっともない、わがままな寂しがり屋なんだよぉぉおおおおおお!」


 僕は支離滅裂だ。


 でも構わない。変態というのはとっても自己中な生き物だ。嫌な事は世間が何を言おうが嫌だ。


 再び僕は全力の叫びをあげた。


「僕は同じ人を愛した変態の為に、笑顔で全力で笑って供養してやる! よく聞けよぉぉぉおお! わははははははははははははははははははははははははははははははは!」


 腹の底から僕は笑い声を作った。


 別に何もおかしくない。でもこれは、今は亡き変態に捧げるレクイエムだ。


 僕は全力で笑い続けた。


 すると、それまで下を向いていた絵里さんが、クイっとその顔をあげると、腰に手を当て、颯爽と声を出し始めた。


「わはははははははははははははははははは!」


 いいぞ、そうだ、笑ってくれ! 僕も一緒に声を出した。


「「わははははははははははははははははははははははは!」」


 無人の浜辺に、僕らの馬鹿みたいな笑い声がひとしきり響いた。本当に馬鹿みたいだし、人に見られたら恥ずかしいけど構わない。


 そうして暫く笑い倒してから、僕らはお互いの顔を見た。


 絵里さんは僕をじっと見つめて来た。


「ブッコローさん」


 そう言うと彼女は僕の側に歩いて来て、その細くて華奢な両手を、僕の首周りに回して抱き着いて来た。はわわわわわわ!


「なんて言ったらいいかわからないですけど、なんだか久しぶりに彼に会えた気がしました、でもちょっと無理したかな、少しだけ胸を貸して下さい」


 そう言った瞬間、彼女は子供みたいに大きな声を出して泣き始めた。僕の胸にその顔を埋め、全ての想いが爆発したみたいに、彼女はわんわん泣いた。


 僕はただ、見守るだけだ。


 この人の大切な想いを見守るだけだ。


 僕に出来るのは、僕の愛したこの人の悲しみを、この胸で優しく受け止めるだけだ。


 言葉なんかいらない。



 

 そうして、絵里さんは暫く泣いてからすっきりとした泣き笑いの顔を作って、僕の大好きなとびきりの笑顔ををくれた。


 波は音が優しくて、潮風は穏やかだ。天気はとてもいい。


 こんな素敵な午後に、僕はこの世界で最高の笑顔をこんな近くで見れている。


 もう今日でお別れだし、次に会う事は多分ないと思う。


 でも僕は彼女に恋をして、とても良かったと思っている。


 僕は変態だけど、少し大人の変態になれた気がした。























 




 

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