第13話 空中庭園の歌姫と愛のうた
誰もいなくなった舞台に立ち、サンカルーナはそっと眼下に広がるはちみつ色の街並みを眺めた。
背後では騒がしい室内と外を区切るように、吹きつけた風がカーテンの裾をはためかせている。
サンカルーナは空中庭園から近い街の一角から、太陽の光を鏡で反射させているのだろう、ちかちかと点滅するような光を見つけて、そっと胸を撫で下ろした。
それは、ストレリチアが無事にアキレアと再会した事を知らせる為に、ティニーユーが寄越してくれた合図だ。
そのまま国を逃げ出せるよう手配をしているが、あの二人ならば、この先もきっと大丈夫だろう、とサンカルーナは小さく笑みを浮かべた。
背後では、突然の事に動揺した父や母、そして臣下や侍女達までが混乱し、騒ぎ立てている。
王はすぐにストレリチアを此処へ連れ戻すよう、目につく者全てに命令しているけれど、部屋の中に足を踏み入れ中央へと歩んでいくサンカルーナは、人々の動きをやんわりと止めた。
慌てふためく王とは違い、酷く落ち着いた様子のサンカルーナの言葉は、狼狽えていた周囲を鎮めるには十分で、誰もが彼を頼るように見つめている。
「父上、ストレリチアは……、いいえ、歌姫はもう此処にはいません」
「何を言っている!」
父は激昂しているけれど、サンカルーナは少しも怯む事はない。
勿論、父の怒りも十分に理解はしているのだ。
婚礼準備の最中に姫が消えたとなれば、これからその処理に追われるのは間違いなく、最悪の場合、外交問題にも発展するだろう。
だからこそ、サンカルーナは密やかにずっとそれを緩和する為の様々な準備をしてきていたし、覚悟も決めていた。
それは、妹の為であり、娘の為でもあり、この国の未来の為でもあるのだから、と。
「あの子が何故ここから飛び立ったのか、まだわかりませんか」
常ならば穏やかで笑顔を絶やさないサンカルーナの、怒気を含んだその表情と言葉に、王や妃は押し黙り、気まずように視線を逸らしている。
ストレリチアは今までずっと、この空中庭園の中で飼われている事を望まなくとも受け入れていた。
長くに渡って守られた伝統であろうと、それは間違ったものであると、彼らも気づいていた筈なのに。
「歌姫が歌うという平和は、その喜びは、一人で歌うものでも、一方的に与えるものでもありません。それは本来、誰かと分かち合う為のものではないのですか」
そう言って、サンカルーナは開け放たれた窓の外を見た。
分厚いカーテンは吹き付ける風に揺れ、自由に、楽しげに裾をはためかせている。
あの二人がいつまでもそうであるように、と、祈るように静かに目を閉じて、サンカルーナは言う。
「だからもう、この国に、歌姫はいらないのですよ」
***
見晴らしのいい高台から、遠くに見えるはちみつ色の建物の群れと、その先にうっすらと見える城、そしてその側に佇むように浮かぶ空中庭園を眺めながら、周囲に人の気配がない事を確認して、アキレアは深く被った帽子をそっと外した。
あれ程堅牢に見えた空中庭園も、遠くから眺めてみると何だか頼りなげに見えるものだ、とアキレアは思う。
ずっと帽子の中に隠していた羽耳が痛むので、ぱた、ぱた、と動かして動きを確かめていると、後ろから楽しそうに笑ったストレリチアが顔を覗き込んでいた。
長い髪を綺麗に編み込み、花飾りまでつけている彼女は、赤を基調とした民族調の衣服を身につけている。
アキレアの一族の女性達が用意して、あれこれと飾り付けてくれたものだが、ドレスとは違った服の動きやすさと色の鮮やかさを、彼女はとても気に入ってるらしい。
飛べない羽を持つ自らを、疎ましく思っているのだろうとばかり思っていた彼らは、ストレリチアを空中庭園から連れ出す為に頼み込んだ時も、「囚われのお姫様を外に連れ出すなんて、最高に楽しそう!」という理由だけで協力してくれていて、その底抜けの明るさに、拒まれる事を怖がって逃げていただけで、本当は歩み寄れば、彼らはちゃんと応えてくれたのだ、と知れて、アキレアは後悔と感謝の気持ちでいっぱいになってしまったものだ。
彼女を外に連れ出す為に手を貸してくれた彼らとは少し前に別れているけれど、手を貸してくれた人達には、いずれまた礼をしに行こう、とストレリチアと決めている。
彼らの協力と、サンカルーナの事前の準備があったお陰で、今の所は追手もなく、すんなりと国境を越えられそうだ。
それもあって少しばかり気を抜いてしまったけれど、とアキレアは再び帽子を被り直してストレリチアを見た。
彼女は外に出た事で踏ん切りがついてしまったのか、慣れない徒歩での移動にも少しも戸惑う様子もなく、軽やかに歩き回り、楽しそうに歌を口ずさんでいるほどである。
おまけに口ずさんでいるのは、彼女があの空中庭園から飛び出した直前に歌っていたあの歌であり、元はといえば、アキレアが無意識に口にしていた、想いの欠片だ。
恥ずかしいからやめて欲しい、と言っているのに、どうやら彼女は無意識に口にしているらしく、ごめんなさい、と言いながら、結局少し経ってしまうと再び歌い出しているので、それを止める事をアキレアは半ば諦めている。
そもそも、抑圧された生活を強いられていたストレリチアがはしゃいでいる姿を見ていると、どうにもそれ以上に注意するのを憚られてしまうのだ。
「ねえ、この先、歌でお金を稼ぐっていうのはどうかしら?」
わたしたち、二人とも歌しか取り柄がないじゃない。
突然そんな事を言ってストレリチアが歩き出すので、アキレアは肩を竦めながらもその隣へと足を向けた。
サンカルーナから預かっている金は十分にあるけれど、これからの事を考えるならば、きちんと自立しなければならない、というのは、二人が共通して考えている事ではある。
だが、ろくに世間を知らない子供が二人、歌で日銭を稼ぐというのがどれだけ難しい事か、彼女は理解しているのだろうか。
余程豊かな国や、祭りの最中のような騒ぎ立てていて気分が高揚するような日でない限り、金を落とそうなどという酔狂な人間などいやしない。
けれど、彼女はどうやら本当に旅芸人として歌で生計を立てようと考えているらしい。
流行りの歌も取り入れたりだとか、派手な衣装や演出を考えた方がいいのだろうかだとか、真剣に悩み始めている。
「姫様って、そういうところが本当にお姫様ですよね……」
世間知らずというか、なんとかなる精神というか。
呆れたようにアキレアが言うと、ストレリチアは頰をふっくらとさせて眉を顰めている。
「その呼び方も話し方もやめてって言ったじゃない」
「はいはい」
「それに、アキレアは悲観的に考えすぎだわ」
普段は底抜けに明るいのに、時折物事を酷く現実的に捉えて進むのを躊躇してしまうのだ、とストレリチアに言われ、アキレアは思わず口先を尖らせてしまった。
アキレアの故郷の人々は元々とても楽観的で、何事も楽しんでしまうような性質を持っている者が多いらしく、自身の本来の性格も、おそらくそこから齎されているのだろう、とアキレアは思う。
けれど、一度外界に出て酷い目に遭っているアキレアからしてみると、あんな呑気な考え方では到底外ではやってはいけない。
彼らのお陰で助かったのも、その明るい気質に救われたのも確かだけれど、今はストレリチアも一緒にいるのだから、何かがあってはいけない、と慎重になるのは当然の事だ。
「姫……、リチアが楽観的過ぎるだけじゃないで……、だ、と思うけど」
先程非難された事を踏まえ、つっかえながらも言い換えた言葉に、ストレリチアはぱちぱちと瞬きを繰り返してから、困ったような顔で笑っている。
流石に歌姫であった頃の名前を人前で呼ぶのはどうかと考えて、リチアと名乗っているけれど、彼女自身、その呼び名にはまだ違和感を覚えてしまうらしい。
長年染み付いてしまった習慣が抜けるには、互いにどうやら時間がかかりそうだ。
ストレリチアは立ち止まると、くるりと振り返って、遠くに佇む空中庭園を見た。
長い睫毛の先を震わせ、夕焼け色をした瞳が見つめるその場所は、きっともう、歌声が響く事はないのだろう。
「そんなに心配しなくても、大丈夫よ」
ストレリチアはそう言って、視線をアキレアに移すと、柔らかく笑った。
指先が伸ばされて、そっとその手を握り締めると、彼女の笑みはゆっくりと深まる。
「わたしたち、あの空中庭園からちゃんと飛び立てたのだもの。きっとなんとかなるわ」
それは楽観的な考えではあるけれど、その方が自分たちには合っている気がして、アキレアは呆れるように、けれど嬉しそうに笑ってから、しっかりと頷いた。
そうして、手を握り直して二人で歩き出すと、どちらともなく歌声が零れていて。
遠くに続く道の向こうには、果てのない青空が広がっている。
*
その国では、空気の透き通る目覚めの時に、天に浮かぶ空中庭園から歌声が響き渡っていた。
国民はその歌声に耳を澄まし、平和である事に安堵し、一日の平穏を願っていた。
けれど、この国に歌姫はもういない。
代わりに、彼女が残した愛のうたが人々の間で歌い継がれ、残されているという。
国中の誰もが、愛する者の為に歌う、愛のうたが。
空中庭園の歌姫と愛のうた 七狗 @nanaku06
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