第十三話 アド・フラクタム

「やっと出てきやがった。あぁ? 一人だけでいいのか?」


 ロワルの不機嫌そうな声が響いた。ドンゲは口を真一文字に結び、ロワルたちの方を睨みつけている。


「チッ、シカトすんなよな! ……つか、そんなことよりクソ暗くね? オイ、ティアノト! 暗くて奴らの苦しむ顔がよく見えねえんだけど!」

「あいあい、わ〜ってますよぉ〜」


 ティアノトが気怠そうな声を上げるや否や、周囲が真昼のように明るくなった。見上げると頭上数十メートルの高さに直視できないくらいにまばゆい光球が浮かんでいる。まるでミニチュア版太陽だ。ファロが魔法で出した光源の数倍は明るい。


「へははっ! ナイスナイス」


 明るくなったことで、ロワルとティアノトの姿がはっきりと見えるようになった。ロワルは上裸に黒っぽい道着の腰下のようなものを穿いている。剥き出しの肉体には無駄な脂肪が一切なく、胸筋や腹筋は深く割れて筋が見えている。鋼のような肉体とはこのことだろう。顔貌はというと、長い前髪が顔をほとんど隠していてよくわからない。いわゆるキタローヘアだ。でも片方の三白眼と舌を垂らしながら薄ら笑いを浮かべる口元、それだけでもやばい奴と察するには情報過多なくらいだろう。駅にこいつが居たら絶対に距離をとって別の車両に乗る。


「五分えすよ。そえ以上はまたないかあね」


 淡々と話す一方のティアノトは、驚いたことに現代風の格好をしている。口元まで隠れるハイネックフードの付いたオーバーサイズの白いジャケットをワンピースのように着ている。下はショートパンツを穿いているのかもしれないけど、ジャケットから直で細い足が伸びているように見える。足元はなんとスニーカーだ。そして極めつけはその髪型。黒にピンクのメッシュが入ったぱっつんショート……セーラー服を着た私が言うのもなんだけど明らかに場違いな風貌である。私たちと同じ〝転移者〟である可能性が出てきた。


「俺はドンゲだ。ロワルと言ったな。何故俺たちと戦う……?」

「あれ……? オッサン、オレ名乗ったっけ……? まあいいや。なんで戦うかだって? 戦うなんて言ったかオレ……違えよ。戦うんじゃねえ」

「では、何だ……?」

「オレがただてめえらをボコすんだよ! って知ってるかオッサン? ストレスが溜まんだよ。上司がうぜーとイライラすっだろ? だからその腹いせ。八つ当たりってやつだ。オッサン、サンドバッグには丁度いい体格してんじゃねえか。一発で破けて使い物にならなくなるとかやめてくれよな」


 疑惑が確信に変わった。こいつら二人共〝転移者〟だ。でもメルの姿を見て特段驚いているようすはない。私が来る前にはすでにここに居たのだろうから、そういうくだりは済ませていたのかもしれないけど。いや……やはり妙だ。私なら、同じ世界から来た人間と出会ったら少なくとも友好的に接して情報交換を試みる。セーラー服の女の子が異世界で倒れていたら助け起こして会話したいと思うはずだ。でも彼らにそういうアクションは一切ない。

 逡巡していると、ドンゲが再び笑みを浮かべ——


「なるほど……そういうことか。ならこちらも遠慮なく……お前を叩き潰せる!」


 ロワルの方へ一気に駆け出した。

「待って! 行かないで!」——そう声をかけようとしたけど、無意識がにわかにそれを拒んだ。

 ドンゲがおとりになっている間にメルを助ける——確かにそれが現状の最適解だ。でも……メルを救うためならドンゲが犠牲になっても仕方がない、私は無意識でそういう風に考えているのだろうか。そうだとしたら私は自分で自分を心から軽蔑する!

 唇を噛み、拳を強く握りしめる。


「へはははっ! どうした! それで殴ってるつもりかよオッサン!」

「ぐはあっ……!」


 ドンゲの呻き声と共に瓦礫の崩れる音が聞こえる。ロワルにふっ飛ばされ、神殿の壁の残骸に突っ込んだのかもしれない。


「急げシド……! そう長くは持たんぞ!」


 ドンゲが怒号を上げた。

 シドは巨石の陰から機を窺いつつ、


「ファロ! ドンゲが奴の気を引いている間にメルを回収する! 今のうちにミタカへの転移魔法の術式を!」


 そう言うと近くにある別の巨石の陰へと一瞬で駆け抜けた。

 ドンゲを……ドンゲを絶対に死なせたくない。シドもファロも死なせてはいけない。死なせない。その上でメルも救う。誰かを救うために誰かが犠牲になるのを見過ごすなんて、私にはできない。

 だからと言ってこんな非力な腕に何ができる? メルのようなチートスキルを持っているわけでもない。武器を扱う技術も力もない。この世界では長弓すらも引けなかった。魔法は〝混濁〟という最も適性のない属性だと判明した。そんな私に、この状況で一体何ができる……?


「術式さ展開しますっ!」


 デカ万年筆を取り出したファロの腕を私は咄嗟に掴んだ。


「私は……! 私にはドンゲさんを置いていくなんて出来ない!」


 すると、ファロはギュッと目を瞑った。


「こっ、こごにいたらキイロさんも……メルさんも。あだすも……。みんな……みんな死んでしまいます! ドンゲさんはそれ解っていで自ら犠牲になろうどしてるのです! あの人の勇気は無駄にはでぎません……術式さ展開するので邪魔せんどってください」


 ファロの言っていることは正しい。ここで私たちが死ねばドンゲのやろうとしていることが無駄になる。騎士道みたいなものがこの世界にあるとするなら、ドンゲの死は名誉でこそあれ犬死では決してないのだろう。


「キイロさん! 離しで下さいっ! もう時間がっ!」


 ——でもごめん、ファロ。私はを許さない。


「この状況はまだ検討の余地がある。私の本能がそう言ってるの。みんなが生き残る可能性の扉が一ミリでも開いてるなら、私はそれを全力でこじ開けたい。奇跡は可能性を拾おうとして初めて起こせるものだって、誰かが書いた何かの本で読んだ気がする」

「えっ……?」


 私は確かに非力だ。この世界で生き抜くための力が圧倒的に足りてない。でも……! 私の戦い方はシドの言ってた力に頼らぬ戦い方だ。ない頭をフルに使って、絶体絶命の状況を切り抜ける。それが私の戦いだ。私は、いま私が持てる全てを尽くして戦おう。

 迷ったら初心に帰れ。まずは観察……そして思考。


 瞑目する——


 いくつもの石柱が突き立ち、巨人の墓地のような様相を呈するクレーター。不可解な理由で敵対する〝転移者〟と思しき謎の二人。ドンゲがおとりになり、他の三人でメルを回収して生還する作戦。ファロとの魔法に関する会話……きっと何か見落としがあるはずだ。

 ——ッ!? そうか……その手があった。私は難しく考えすぎていた。初めからのだ。


 ——果たして、刮目。


「ファロ! 私の言うとおりにして……!」


 しかしその時——


「おいおい、コソコソと何企んでんだ?」


 さっきよりも近くでロワルの声がして心臓が跳ね上がった。


「くっ……! 貴様には関係ないことだ!」


 まずい、シドが見つかってしまったようだ。


「サンドバッグが起き上がんの待ってたらよお、視界の隅でチラチラとゴキブリみてえに動くのが見えやがる。関係ねえだと? オレに黙って何しようってんだオイ」

「うぉおお!」


 巨石の陰から覗くと、シドがロワルに斬りかかっていた。しかし——


「——ッ!?」


 ロワルはそれを素手で易々と防いだ。本来なら真っ二つに切断されるはずの手の平が刀身を当たり前のように受け止めている。


「へはははっ! なまくらじゃねえか。ちゃんと研いどけよ」

「バケモノめ……」

「おっと……気の強そうな目つきしやがって。オレのどストライクじゃねえか


 ロワルがひらひらと振る手に、いつの間にかシドのマスクがある。シドは咄嗟に手で口元を隠したけど、一瞬だけ顔が見えた。色白で人間離れした美女——いや、まだ美女と見まごうほどの美青年の可能性もある。でも今はそれどころじゃない。


「貴様ァ……!!」

「へえ……吸血鬼か。なるほど。道理ですばしっこいわけだ。だが……」


 言うや否や、どすっという重い打撃音と共にシドがくの字になった。


「ぐっ……かはっ……!」


 ロワルが蹴りを入れたのだ。片足を上げているからそうなのだう。でも速すぎて蹴った瞬間は全く見えなかった。


「さすがにこれは避けられねえだろ?」


「おら、おら、おら、おら」と、ロワルが嘲笑交じりに不可視の蹴りを連続で放ち、その度に打撃音とシドの呻き声が響く。とても見ていられない。


「ファロまだなの!?」

「……もうすぐです!」


 ファロの準備が整うまで、シドを助けることはできない。もどかしさに歯噛みしていると、ロワルがシドの首を片手で鷲掴みにして身体を引き寄せた。


「お〜! いい顔するなぁやっぱり! 気の強い女が苦しむ顔って興奮するわ。なあティアノトぉ! こいつがオレに犬みてえに四つん這いで服従するまで何分かかると思う?」

「しあな〜い! べぇーだ!」

「おぉい。チッ……つれねえな」


「……れ……」


 シドが首を締められながらも何かを言おうと試みている。ロワルが三白眼をさらに見開いた。


「あ……?」

「……や……ろう」

「聞こえねえよ。てめーティアノトかよ。へはは! はっきり喋れ」

「くた……ばれ……サル野郎」

「チッ……! まだわからねえのか!!」

 

 ロワルが拳を振り上げたまさにその時——


「やめてッ!!」


 私は巨石の陰から躍り出た。少し早かったけど、これ以上はもう我慢できない。


「やめて! 殴りたいなら私を殴りなさい!」

「あぁ……? なめてんのかてめえ」


 シドを掴んだままロワルが睨みつけてくる。私の脚はがくがくと震えている。ドンゲやシドですら全く歯が立たない相手だ。私はきっと軽く叩かれただけで死んでしまうだろう。拳を握りしめて恐怖を押し殺す。


「あんたなんか怖くない。どうせその力も借り物でしょ。異世界に来て強くなったからって調子にのってんじゃないよ」

「なんだとゴルァ!」


 図星だったのだろうか、ロワルが怒鳴りながら何かを放った。それが頬をかすめたのだろう、風切り音の後に血の流れ出る感覚が続いた。見ると、シドの太刀の剣先が欠けていた。まさかこの一瞬で太刀を素手で折って投げてきたのだろうか。シドの言う通り、こいつはバケモノだ。じっとしたままロワルの目を見据える。ここで目を逸らしたら負けだ。なんとなくそんな気がした。


「ハハッ……いいじゃねえかいいじゃねえか! その反抗的な目! 今日は豊作だな。よし決めた。この姉ちゃんはどうやら疲れちまったみてえだからな。一旦てめえで遊んでやるよ」


 ロワルがシドをその場に放り投げ、こちらに向かって歩み出した。その直後——


「ん? なんだぁ? 雪……?」


 ファロの準備が整ったらしい。雪が降り積もる中、私は作戦通りに後ずさった。


「おいおい挑発しといて逃げんのかよ? ビビったのか?」


 一歩、また一歩とロワルが距離を詰めてくる。


「オレにはどうやっても敵わねえってことをわからせてやる。エサ取られた猫みてえな顔してるてめえがヨダレ垂らしながらオレに一生懸命おねだりする瞬間……それが楽しみでしょうがねえ。へはははは! ははははは!」


 高笑いしながらロワルが私の数メートル前まで接近したその時——


果てまで飛べアド・フラクタム!」


 傍の巨石に隠れていたファロが呪文を唱えながら私たちの間に飛び出してきた。雪の積もるロワルの足元で、。彼はそうと知らずに雪の下に隠された魔法陣の中に足を踏み入れたのだ。


「な……に……!? おい! まさ——」


 言い終える前にロワルがその場から跡形もなく消え去った。


「そう、そのまさかよ」


 転移魔法が発動したのだ。ファロにを描かせていたのである。バレないようにそれを雪で隠していたのだ。

 ファロはすかさずロッドで地面を削り、魔法陣を無効化。これでもう、ここには戻ってこられない。


「あちゃ〜……いわんこっちゃない」


 いつの間にかティアノトが近くにきていた。でもこれも想定内。作戦の半分はここからだ。


「こえ、絶対怒あえう。どーしょ……」


 ファロがティアノトにロッドを向けた。それを制して一歩前に出る。


「……お願いがあります」

「ふぇ……?」

「私たちを見逃して下さい」


 頭を下げた。ドンゲやシドを痛めつけた奴の連れに頭を下げるのは不服だけど、パワーバランス上致し方ないことだ。ロワルもバケモノだけど、ティアノトも同様の力を持っている。でも、ロワルとは決定的に異なる部分があった。それは——


「う〜ん。いいよ」

「えっ? ほんとに? ありがとう!」

「ど、どういたしまして〜」


 〝余計な争いをするな〟——そう誰かに言われたことをティアノトは忠実に守ろうとしていた。彼女には私たちと戦う理由がないのだ。だからロワルだけをどこかに飛ばしてしまえば、あとは彼女にお願いすればなんとかなる。そう確信していた。作戦通りだ。


「じゃ……またね。今日は早く帰あないとだかぁ」


 ティアノトが腰のあたりで手を振る。一瞬後には跡形もなくそこから消えていた。


「よし……なんとか……なっ……た……」


 あれ……? なんだこれ。ちょっと眩暈が……


「キ、キイロさん……!」


 意識が遠のいて——

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才女とおバカの異世界転移 〜チートスキル『質量操作』を得たのはおバカな相方(JK)でした。私には何もなさそうなのでとりあえず頭脳戦で頑張ります〜 N岡 @N-oka

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