第十二話 ゲームチェンジャー

 走る——ひたすら上を目指して薄闇の斜面を駆け上がる。次第に勾配がきつくなっていく。ほとんど這うように駆ける。草を掴み、這い上がる。土がつま先でえぐれ、膝が地面に思い切り打ち付けられた。その膝で体を上に持ち上げる。細い木の根元を握り、更に上へ……上へ。上へ。もっと早く!

 メル……! メル……! メル……!


「キイロさん!」

 

 ファロの声がする。ふと我に返って振り向くと背後はほとんど崖のようだった。しかもすでに随分と高いところまで登ってきている。視界の一番手前には荒い呼吸に合わせて上下する肩。ファロはというと、数メートル後方で草にしがみつきこちらに不安げな眼差しを向けていた。垂直に見えるのは斜度の錯視で実際は四十五度前後だろうか。


「落ぢだら怪我じゃ済まねっ! 落ぢ着いでください!」

「でも急がなきゃ! メルが……!」

「シドさんとドンゲさんが先に向がっています。二人がいればきっと大丈夫ですよ。こごでキイロさんに死なれでもしたらあだす、メルさんに合わせる顔がなぐなる」

「わかった。できる限り気をつけながら急ぐ」

「さっきは……さっきのは、あの爆発が起ぎるのがわがってだんですか?」


 先ほどの気絶する前の言動のことだろう。でも残念ながら私には記憶がない。


「……私にもよくわからない。それよりも今は先を急ごう」

「はい……」


 再び前を向いて登攀とうはんを再開する。シドとドンゲも同じ直線ルートを進んでいるはずだけど、すでに二人の姿は見えない。戦闘時にも痛感したけど凄まじい身体能力だ。きっとこの世界を生き抜くのに必要な行動を繰り返してきた結果だろう。

 一方の私はどうだ。虫みたいに這いつくばって遅々として進まない。この世界を生き抜くのに必要な能力が圧倒的に足りてない。自分一人ですらこの状況なのにメルを守ろうだなんて烏滸がましいにもほどがある。そう思うと無性に泣けてきた。


「メルお願い……どうか無事でいて」


 ボロボロ泣きながら這い上がる。


「ううぅ……! ファロぉおおお!」

「な、なんですか……?」

「転移魔法……転移魔法でっ……! あそこまで……ズズッ、行けないの!?」


 登るのが辛いとかではない。一刻でも早くたどり着いて、メルの無事を確かめたい。鼻水を垂らしながら尋ねると、ファロは首を横に降った。


「無理です。そもそも転移魔法は行ぎ先に出口どなる魔法陣がねえど飛べねえんです。転移魔法発動するには、先に出口どなる魔法陣さ描いでおぎ、いざ転移するぢゅうどぎに入り口の魔法陣と出口の術式ど一致させで描ぐんです。そうするこどで二づの魔法陣が亜空間で接続され、一瞬で移動するこどがでぎるんです」

「朽ちた神殿には……ズズッ、出口の魔法陣がないってこと?」

「いえ、あるがもしんねえけんど、あだすはその術式をしらねえがら描げねえのです」


 なるほど。なら歯を食いしばって登るしかない。


 時計がないから正確にはわからないけど、体感では三十分くらい経っただろうか。ようやく登山道らしき平坦な場所に出た。ファロ曰く、当初は監視を避けるためにあえて登山道を避ける予定だったらしいけど、ここからは道なりに進むほうが早く安全だろうとのこと。

 そこから更に十分程進むと、道の脇に毛皮の鎧を着た人間が倒れていた。近づこうとすると、ファロが制止した。


「シドさんとドンゲさんが倒した敵対勢力の人間でしょう。恐らぐもう死んでます」


 よく見ると黒い染みが地面に広がっている。傍らには鋭い切り口で真っ二つになった槍が落ちていた。同じ人間の死体……こんな道端で誰かが血を流して死んでいるの、初めて見た。しかも武器を使って故意に殺害した死体だ。恐怖と憐憫れんびん、そして嫌忌が胃の中で混ざっていく。

 気がつくとその場で吐いていた。


「キイロさん大丈夫ですか?」


 ファロが背中を擦ってくれている。


「ありがとう大丈夫。楽になった」

「……さ、先急ぎましょう」

「うん……」


 口元を拭って再び走り出す。死体は進むにつれて二体、三体とまとまって現れるようになった。もう吐きたくないからなるべく直視せずに進んでいたけど、やがて見当たらなくなった。更に十数分進んで、私とファロは朽ちた神殿の入口と思しき巨石で造られた門に辿り着いた。ネットの画像でしか見たことはないけど、五、六メートルはある一枚岩の石柱を並べてその上に横長の巨石を渡している様がどことなくストーンヘンジに似ている。


「ここね……」

「何が飛び出してくるがわがんねえがら慎重に行ぎましょう」


 風にのって何かが焼け焦げた匂いがする。この先であの爆発があったに違いない。逸る気持ちを抑えつつ門を抜けると、その先に異様な光景が広がっていた。


「な、なにこれ……!」


 神殿が存在していたと思しき場所が半径五十メートルはある巨大なクレーターになっているのだ。神殿を構築していたであろう巨石がそこかしこにぶっ刺さっており、さながら巨人の墓場のようだ。

 予想だにしない光景に全身の血液が凍るような心地になった。あらゆるものが爆風でなぎ倒されているのだ。この場所に居たものが無事では済まなかったのは容易に想像できる。


「メル……メルは……!?」


 鼓動が早まるのを感じ、唾を飲み込んだ。メルは無事なのだろうか。彼女はここに居たはずなのだ。辺りを見回しつつ、地面に突き刺さった墓標のような巨石の間を縫って進む。やがて視線が違和を捉えた。クレーターの中心にセーラー服を着た少女が倒れている。見間違えるはずがない。メルだ!


「メルッ……!」


 駆け出そうとすると——


「待て!」


 腰に手を回され、何者かに身体を強引に引き寄せられた。シドだ。


「シドさん……!」

「しっ……! 音を立てるな」


 巨石を背にしながら、その陰から緊迫した面持ちで向こう側の様子を窺っている。クレーターの中心、いや更にその先に視線を向けているようだ。


「……大丈夫だ。メルは生きている。だが……」


 シドの視線の先——クレーター対岸に突き立った石柱の上に、淡い星明かりの中で何者かの影が浮かび上がった。


「おい! そこに四人隠れてんだろ? 出てこいよ。あ? ビビってんのかよ?」


 石柱の上の影が声を張り上げた。若い男の声だ。どうやらこちらの存在はバレているらしい。


「テメーらそこで寝てるガキの知り合いだろ? おい! 聞こえてんのかァ?」

「ロワゥ〜、余計な争いはらめえすよ〜。またモラ様に怒らえちゃいますよ〜」


 今度は別の声だ。舌っ足らずな若い女の声。よく見ると、影の立っている石柱の傍らに小さな人影がもう一つある。


「あぁ? 知るかよ。オレはロワゥじゃねえだ。ちゃんと発音しろクソブスがぶっ殺すぞ!」

「あ〜! もぉ〜ぅ! またブスって言いましたえ〜! モラ様がゆってたえしょ〜? もよってきていいってぇ〜。確認えきたから帰いますぉ〜!」

「ガタガタうるせえんだ黙ってろ滑舌ブス! せっかく出てきたんだからちょっとぐらい遊ばせろよ!」

「もう! ブスブス言わないえくやさいっ!」


 次の瞬間、ロワルと呼ばれた男が足場にしていた石柱が一瞬で消失——


「うおぉっ!?」


 かと思うと、足場を失って落下し始めた彼の頭上に消えたはずの石柱が現れ、彼を地面に押し潰すように落下——ドンッ! と短い地鳴りのような音を鳴らし、地面に再び突き立った。

 ありえない……一体何が起きているのだろうか。


「悪口ばかぃゆうからえす」


 石柱の傍らの小さな影が言った。唖然としたまま視線をシドの方へ向ける。額に汗が浮いている。


「やつら一体何者だ……強いなんてレベルじゃない。あれはバケモノだ……」


 呟くや否や、再びドンッ! という衝撃音が響き、今度は巨石が文字通り木っ端微塵になった。土煙が上がり、その向こうから石柱に潰されたはずのロワルの笑い声が響いてきた。


「へははは! いいじゃねえか。ブスでも生意気な女は好きだぜ? があるからなあ!」

「こいちゅ……まじでそのうち捻ぃ潰してやう……」

「なあそんなに焦って帰らなくていいだろ? オレとお前の中だ。ちょっと時間くれよ。マジで溜まってんだ……なあ頼む」

「……五分えすよ」

「へははっ! 恩に着るぜぇ?」

「……はぁ。こいちゅまじで猿なんかな」

「おぉい! 出てこねえならこっちからいくぞー!?」


 ロワルの影が指を鳴らしながら仁王立ちし、再び声を張り上げた。


「……チッ」


 シドが舌打ちした。するとどこからともなく巨大な人影が現れ、シドの肩に手を置いた。ドンゲだ。気配を消していたのだろう、全く気が付かなかった。


「俺が相手をする。メルを頼む」

「バカを言え……!」


 シドが肩に置かれた手を振り払った。


「相手をするだと!? 死ぬぞ! アレがどれほど——」

「ああ、わかってる……だがわかるだろう。俺はお前ほど足が速くない。これが最善策だ」

「くっ……!」


 シドが苦々しげに視線を下げ、ドンゲがこちらを向く。


「キイロ」

「は、はい!」

「クイジ様に伝えてくれ。ドンゲは最後まで仲間のために勇敢に戦ったと」


 ドンゲが歯を見せながら笑った。この人、死ぬ覚悟だ……!


「ドンゲさん……!」

「俺には……生きてりゃお前くらいの歳になる娘がいた。俺に全然似てなくてな。可愛い子だった」


 ドンゲは大きな手を私の頭にぽんと置いた。


「だめ……!」


 首を振り、ドンゲの鎧に触れる。金属製の鎧は冷たくて硬い。ドンゲは清々しいほどの笑顔を浮かべ、巨石の陰から歩み出た。鎧から手が離れる。

 

「子供を守るのは大人の役目だ」


 ドンゲが背中のハンマーを抜いた。

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