第十一話 か、かかっ、〝快楽〟
「わだすに教えられることは多くねえけんども……」
前置きしつつファロは立ち上がった。
「キイロさん達には全面的に協力するようクイジ様に仰せつかっておりますがら。夜更かしついでにー、キイロさんの適性を見ましょう」
「ありがとう、ファロ」
大岩から降り、あらためてファロと対峙する。彼女は咳払いを一つして語り始めた。
「……魔法を操る魔術についてはー、個人によってー向き不向きがあります。そもそも全く魔術が使えないドンゲさんみたいな人やー、生まれつき優れた魔術の適性を持ち合わせているクイジ様のような人もいます。この個体差を〝魔術適性〟といって、これには五つの段階がありますー。ドンゲさんが一だとすると、クイジ様は五。あだすは四ですね。キイロさんの適性を測りましょう、両手を出してください」
「はい……」
差し出した両手をファロが握り、目を瞑った。
「〝魔素〟を流します。ちょっと気持ち悪いかもしれねえです」
「えっ……?」
戸惑っていると、ファロの両手が淡い光を帯びた。直後、不思議な感覚が私を襲う。生ぬるいお湯の入ったポリ袋が腕の表面を撫で回しながら次々と登ってくる感覚。やがてそれが肩、胸と移動し、みぞおちの辺りに溜まっていく。
「うえぇえええ、なにこれ……?」
「わだすの〝魔素〟をキイロさんの中に流し込んだんです」
「ま……そ?」
「はい、魔法の素になる精神エネルギーですね。あだすの……心の体液みたいなもんです」
ファロが俯きながら頬を赤らめた。
「た、たた……体……液……!?」
「ふふふ、冗談です。でもおかげで〝魔術適正〟がわがりました。キイロさんは〝二〟ですね。魔術は頑張ればなんとか使える、というレベル」
〝二〟か……魔法で無双する未来はなさそうだ。強力な攻撃魔法とか使いたかったのに……。
がっくりと首を垂れる。
「そんなにがっかりせんでください。これは単なる適性なので訓練次第ではちゃんと使いこなせるようになりますがら」
「え、ホント……?」
顔を上げる。ファロが苦笑を浮かべていた。
「キイロさんて、意外と単純なところありますね」
ミステリアスな女性に憧れてるからちょっと気にしてるんだよね、それ……。
「そしてもう一つは使用できる魔術の種類に関する向き不向き。その適性を〝属性適性〟といいます」
「火・水・土・風とか?」
「いいえー古代魔術ではそういった括りで〝属性適性〟を区別する流派がありますが、現代魔術においては魔術を〝術者の精神性の発露〟と捉えてこういう風に属性を区別しています。
慈愛……他者を治癒したり守ったりする魔術を得意とする。
憤怒……近接攻撃魔法やエンチャントなどを得意とする。
悲嘆……範囲攻撃や環境魔術を得意とする。
快楽……遠隔攻撃や幻惑魔術を得意とする。
クイジ様は〝快楽〟、あだすは〝悲嘆〟に属性適性があります。シドさんは〝慈愛〟のようでしたね。キイロさんは……」
ファロが再び目を瞑った。しかし、どういうわけかその表情が次第に険しくなっていく。
「なな、なんだすかこんれは……」
「どうしたの?」
「こここ、こんれはまさか……!」
「どういうこと?」
「ぞ、属性適性は、その人の魔素の色を見ればわかるんです。慈愛なら緑っぽい色、憤怒なら赤、悲嘆は青、快楽は黄色……」
「私は……何色だったの……?」
尋ねると、ファロが目を開いた。様子がおかしい。額に汗を浮かべている。なにかとんでもないことが発覚したに違いない。まさか……虹色だったとか? 虹色だと全属性が百パーセント使用できるエンペラーな素質があるとか? はたまた白色とか? 術者の精神性の発露たる魔術ですから、白色だと精神性が限りなくピュアってことですよね。そういう選ばれしピュアな人間しか使えない白魔法的なものがあったり……? え、まさか……黄金……? ゴールドですか?
束の間、視線を合わせたまま沈黙——生唾を飲み込む。
そして、ファロが
「……真っ黒です」
「えーーーっ!?」
絶叫がウガミ山に反響した。ファロが慌てて口に指を当てる。
「しーっ! キイロさん! あんまり大きな声を出すと……」
「ごめんごめん……でも真っ黒って……」
「ですね……あだすも見たのは初めてです」
その時、男にしてはやたら高く、女にしてはやたら低い例の性別不明ボイスが響いた。
「〝混濁〟だな。珍しい……」
シドだ。さっきまでファロと座っていた大岩に背もたれている。いつから居たのだろうか。全く気が付かなかった。
「混濁……?」
「ああ、稀にいる。〝混濁〟はその時の感情によって使える魔法の種類が変わってしまうタイプだ」
「えっ……てことは、怒ってる時は〝憤怒〟の魔法が使えて、悲しい時は〝悲嘆〟の魔法が使える、という感じ……?」
「まさしく。考えようによっては最強の属性だが、ここぞという場面で使いたい魔法を使うために感情を各属性に合わせるというのは、言を
「えええ〜!」
最悪だ。よりによって一番厄介な属性だとは……。四つん這いで項垂れているとシドが鼻を鳴らした。
「フン。さっきも言っただろう? 考えようによっては最強の属性だと。感情のコントロール次第で、全属性を使えるようになれるんだ。そんな属性は〝混濁〟をおいて他にない」
「シドさん……」
光明だ。シドの言う通りだ。考えようによっては最強とも言える。感情をコントロールしてあらゆる属性を使いこなす最強の魔術師……!
「キイロさんってやっぱり単純ですね……」
目を輝かせていると後ろでファロがため息を漏らした。彼女は「さて……」と続ける。
「……次は実際に初級魔法を発動させてみましょう」
「え? そんなにすぐに使えるようになるの?」
「はい。使いこなすのには訓練が必要だけんども、発動させるのはそんなに難しいことではねえです」
「なるほど。で、どうすればいいの?」
「まずはコレですね」
ファロは例の特大万年筆を取り出した。多分万年筆ではないのだろうけど、見た目は完全に金細工の施された高級万年筆だ。
「見習いや初級の魔術師はこういう
ロッドっていうのか。
「えーっと……それって思い入れのある物ならなんでもいいの?」
持ち物といえば、これしかない。ポケットを探ってメルと拾った小石を取り出す。
「石……ですか?」
「うん、ただの小石だけど、私にとっては特別な小石なの」
「なるほど……では、少しお借りします」
ファロが小石を受け取り、再び瞑目する。小石を握る彼女の手が淡く光った。
「これで……よし。小石に魔素を注入しました。これが魔術発動の呼水となります」
「ありがとう」
小石を受け取る。わずかだがぼんやりと光って見える。魔素が入っている証だろう。
「これから呪文を唱えて……と言いたいところだけんどもー。今、キイロさんの魔素の色は黒。つまり、どの属性にも適性がねえ状態ですので、このままでは一切魔法を使えねえです」
「ふむふむ……」
「なのでいずれかの感情になってもらい、属性を解放して欲しいのですが……」
「え、ちょっとまって……」
とんでもないことに気づいてしまい、耳まで熱くなった。〝慈愛〟と〝憤怒〟と〝悲嘆〟はわかる。誰かを慈しんだり、何かに怒ったり、悲しんだり。それはわかる。でも……。
「か、かかっ、〝快楽〟の感情は無理っ……だからっ……!」
「……なにか勘違いをされていらっしゃるようで……」
「む、無理なものは無理だからっ! ふ、〝憤怒〟……〝憤怒〟でいくから……!」
「わ、わがりました! 落ち着いてください。えーっと……怒りです。誰かでもいいし何かでもいい、それに対する激しい怒りをイメージしてください!」
「わかった……!」
瞑目する。
怒り……メルを守れなかった自分への怒り。自分の弱さへの怒りをイメージする。なかなか上手くいかない。思考がメルの方に吸い寄せられていく。
メル……メルは無事なのかな……。ちゃんとまた会えるのかな……。明日は二人で笑い合えているかな……。ねえ……私たちこれからどうなるんだろう。無事にクイジの居館に戻ったとしても、戦争が始まる。その後は……? どうするの? この世界でずっと暮らしていくの? もう、元の世界に戻ることはできないの……? 誰でもいいから——
〝——私たちの未来を教えて〟
「……さんっ! キイロさんっ! 起きてください! キイロさん!」
あれ……? なんだか随分遠くからファロの声がする。あ、近づいてきた……。
「キイロさん! 大丈夫ですか!? しっかりしてください!」
「んっ……」
目を開けるとファロがこちらを覗き込んでいた。私は何故か仰向けに横たわっている。
「えっ……? なにこれ? どういう状況?」
「覚えてねえんですか? 突然叫び出して、そのあと急に倒れたんですよ」
「なにそれ……やばい人じゃん……」
私は唐突に奇行に及んで気絶していたらしい。でもどういうわけか全く記憶がない。魔法を発動させようとして怒りのイメージをしていたところまでは覚えてるけど……。
「爆発がどうとか、今すぐメルを助けなきゃとか……いきなり血相変えて言うもんですから、あだすびっくりして……」
ファロが眉根を寄せる。
直後——視界が眩い光で染まり、思わず目を閉じた。間髪入れずに凄まじい爆発音が辺りに響き渡った。映画でしか聞いたことのない、耳をつんざくような爆発音だ。恐る恐る目を開ける。ウガミ山の山腹から煙が上がっていた。
「メル……!」
身を起こす。急がなきゃ。
「神殿の方だな……行くぞ!」
シドが山に向かって駆け出した。
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