第十話 ジ……ジロジロ見るな!
ドンゲが
体躯は狼のそれに近いものの、頭部の形状は極めて
臭気は恐らく花びらの中心にある空洞から匂っているのだろう。吐き気を催すほど強烈な匂いだ。夏場のお墓参りで花を挿したまま一月放置した花器の中に鼻を突っ込んだような……うえっ、ホントに吐きそう。
「まずいって言ったな……一体どういうことだ?」
ドンゲが尋ねると、シドがいつもより低いトーンで返した。
「ガドルフは〝曖昧な犬〟とも呼ばれている。その由来は知っているか? 奴らの放つ臭気には微弱な幻覚成分が含まれている……」
「ああ。だが、人間には効かねえ微弱な成分だろ? こいつらは何体も駆除してきたが、幻覚を見たことなんて一度も……」
「ああ、通常はな……ガドルフの臭気に含まれる幻覚成分は通常、人間に対しては効果を持たない。あれは本来ハナジカなどの嗅覚が敏感な獲物を狩るためのもの……」
「なっ……!? ってことは……!」
二人が話している間に、二十頭ほどだったガドルフの数がいつの間にか倍以上になっていた。いや、まだ増え続けているようだ。
「……そう、〝
「くそっ……!」
なるほど。だから〝曖昧な犬〟ってことか。私も臭気のせいで幻覚を生じているのだろう、敵の数はすでに百頭を超えていそうに見えるけど、大半は幻ということか。
シドはマスクをしている。きっとハンターだからこういう事態を想定して付けているに違いない! さすがだなと尊敬の眼差しを向けていると、
「何をジロジロ見ている。これか……? このマスクはファッションだ」
まさかのファッションだった。てかさっきから私の思考読まれてる……?
「も、もうしわげね! わ、わだすが余計なことしてしまったせいで……!」
ファロが頭を下げた。謝罪の仕方は日本式なのか……。って、感心している場合じゃない。
「そうだな。本来なら俺様が秒で片付けていたが貴様のせいで余計な足止めを喰らってしまった。同じ足手まといでもキイロの方がまだマシだな」
「はうぅ……」
にも関わらず、ドンゲはヒゲの向こうで白い歯を覗かせている。
「気にするな! 幻覚だろうが本物だろうが、まとめて叩き潰せばいいだろ!」
こんな状況だというのに、随分と余裕があるように見える。やはり場数を踏んでいるからだろうか。
ドンゲは腰を落としたかと思うと、次の瞬間地面を蹴って駆け出した。
「うぉおおお!!」
野太い咆哮が肌をビリビリと痺れさせる。ドンゲは私たちを囲む敵の最前列まで接近すると、ハンマーを高く振りかざしながら跳躍し——
「くらえぇえい!!」
——ガドルフの塊目掛けて一気に振り下ろした。目の前で三尺玉が炸裂したかのような轟音と共に、突風が吹きつけた。思わず腕で顔を覆う。え……? 何これ……今のってあのハンマーで起きた現象……? 完全に人間離れしている。
ドンゲがハンマーを叩きつけた場所の草がミステリーサークルのように円を描いて薙ぎ倒されている。あの轟音と突風だ。爆心地にいればひとたまりもないはず。しかしそこにいた十数頭のガドルフたちは何事もなかったかのように平然としている。
するとその中の数頭が百合の花びらを大きく開き、ドンゲ目掛けて飛びかかった。
「フン……その程度の動き……」
ドンゲは振り下ろしていたハンマーを片手で持ち上げつつ横なぎに振るった。しかし——
「——何ぃっ!?」
それらもやはり幻だった。ハンマーが宙を薙ぐ一瞬の間に、どこからともなく現れた一頭のガドルフがドンゲの左ももに噛みついていた。
「いつの間に……!」
ドンゲが目を見開く。と同時に、私たちの側に立っていたシドが上体をわずかに前傾させた。と思ったら次の瞬間には数メートル先のドンゲの傍に太刀を振り上げた姿勢で立っていた。風を切る音が遅れて耳に届く。アニメやゲームでしか見たことのない速さだ。
「バカが……ザコだと思ってナメてかかるからだ」
シドが呟くと、ドンゲの左ももに噛みついていたガドルフが血飛沫を上げながら細切れの肉片となり、ボトボトと地面に落ちた。
いや……ホントに同じ人間とは思えない動きなんだけど……。
「す、すまねえ……」
「見た目じゃ絶対に見分けがつかん。草の音を聞け。幻覚は実体がないから音を立てない」
シドが後ろ向きに跳躍し、再び私たちの側に戻る。全てが瞬く間の出来事だった。
私はふと思いついてファロの方を振り向いた。
「魔法の効果は切れないの?」
「
周りを見回す。おびただしい数の魔物が私たちを囲んでいる。ドンゲは怒号を上げながらハンマーを振り回しているが、見えているガドルフのほとんどは幻なのだろう、一向に数が減らない。
「とても十分待てる状況じゃなさげね……」
この状況でも割と落ち着いている様子を見ると、シドとドンゲは恐らく相当の手練だ。時間をかければこのガドルフの群れを撃退することができるだろう。でも本番はメルを取り返すその時だ。ここでのメンバーの消耗はなるべく避けたい。
ファロの魔法で攻撃はできないだろうか?
「ファロ、魔物を攻撃できそうな魔法はないの?」
「あ、あだすの〝属性適性〟は〝悲嘆〟なんです……と言ってもなんのことやらさっぱりがもしんねぇけんども、その……つまり、客室でガーゴイルと戦った時の
曰く、他に戦闘時に使えそうなのは
瞑目——
観察と思考。行き詰まった時は原点に戻ろう。
曖昧な犬。幻と本物。ファロの魔法……雪……。
いや、待って——そうだ!
——果たして、刮目。
「ファロ! 雪を降らせて!」
「ただ寒くなるだけだと思いますけんども……」
「いいから早く!」
「わ、わがりました!」
ちょっと怒鳴り気味になったせいか、ファロが慌てて特大万年筆を構える。ごめん、ファロ。
「
デカ万年筆の先から噴き出るように吹雪が巻き起こる。ドンゲが雪混じりの突風に気づいて「うおっ!?」とコチラを振り向いた。シドも「一体何をしている!?」とキレ気味だ。
私は吹雪の音にかき消えぬよう息を大きく吸い込み、叫んだ。
「よく見て! 実体のない幻の方には雪が積もらない!」
ドンゲとシドがハッと目を丸くして、敵の方を見やる。視線の先、雪が毛皮に積もっている個体とそうでない個体がいる。遠目にも一目瞭然だ。
「フッ……ただの足手纏いかと思いきや。なるほど……それが貴様の戦い方か」
「がはは! でかしたぞ!」
「見分けがつくならただの雑魚だ」
そこからは、その言葉通りの展開だった。雪で背中を白くしたガドルフを狙い、ドンゲが時計回りにハンマーで次々と叩き潰し、打ち上げ、ホームランしていく。シドも
「片付いたな……」
およそ十秒にも満たなかった。あれほどの数が居たガドルフは消え去り、代わりに十数頭分の肉片が草むらに散らばっていた。シドが太刀の血を振り払い、わざわざ鞘を体の前に回してから納刀——いちいち面倒くさそうだがカッコ良くはある。
シドはどうやら無傷のようだけど、ドンゲは先ほど噛まれていた左ももから出血している。
「ドンゲさん、血が……傷の手当てをしなきゃ……」
「なあに、このくらい唾をつけていれば治るさ」
左足全体が真っ赤に染まるくらいの出血量だ。最低でも止血はしないとまずいだろう。ふと、ファロの方を見る。回復呪文的なものはないのだろうかと思ったのだ。でもファロが客室で転んだ時は私が手当をしていたから……たとえ回復呪文的なものがあったとしても恐らく彼女はそれを使えないのだろう。
尋ねると、ファロが申し訳なさそうな顔で答えた。
「他者を治癒したり護ったりする魔法を使えるのは〝慈愛〟の属性適性を持つ人だけで……」
「
呪文はシドの声だった。見ると、ドンゲの左ももに手をかざしている。その手が淡く光っているところを見ると、恐らく回復呪文だろう。え……? 慈愛……慈愛……!?
あんぐりと口を開けたままそれを見つめていると、
「ジ……ジロジロ見るな!」
シドが目元を赤くしながら怒鳴った。何を考えているのかまた悟られたようだ。シドは手元に視線を戻すと、言葉を続けた。
「雪を降らせて幻覚と本物を見分ける。あの状況でそれを咄嗟に思いついたのには感心した。だが……力に頼らぬ戦い方がこの先どこまで通用するか……よく考えておくといい。それとファロ……」
「は、はいっ!」
「あの範囲にあれほどの雪を降らせる術者はそういない。さっきはああ言って悪かったな」
「な……なな……っ!?」
ファロが嬉しそうに赤面した。いや、それよりもシドがアドバイスをくれたこととファロに素直に謝ったことが衝撃的すぎて口が更に開いてしまった。
「だっ、だからジロジロ見るなと言っている!」
ガドルフを撃退したあとも、魔物や野生動物と数回の戦闘があった。毎回危なげなくシドとドンゲの二人が撃退していく様を見ながら、私はシドに言われたことを考えていた。
〝力に頼らぬ戦い方がこの先どこまで通用するか〟
確かに、私は〝観察と思考〟で全てを乗り切ろうとしてきた。これまではなんとかなることの方が多かったけど、それでちょっといい気になっていた。結果としてメルは奪われてしまった。〝自分のできることをしろ〟クイジはそう言って励ましてくれたけど、メルを守れなかったのは私が自分のできることに慢心していたせいだ。
私に力があれば……誰かを守れるほどの、強い力が。
数時間後、ウガミ山の麓にたどり着いた。
脚が棒のようになるってこのことか。草むらの上に仰向けに倒れ込み、深呼吸する。走ったわけでもないのに息が上がっている。確実に運動不足だ。まさか歩いてこんな距離を移動するとは思わなかった。城壁から街の様子を見たときに、馬車のようなものを見かけた。だから馬などの移動手段はあるはずなのに。
「城壁の上から見たかもしれんが、ミタカの国は周囲を森に囲まれている。街道は東西に走っているが、俺たちが出てきた西門からカナマに続く街道は緩やかに南下している。逆に、ウガミ山があるのは北西方向だ。森を抜けていくしかねえ。馬は魔物を怖がって森に入らねえから歩いて来る他ねえってわけだ……もしくは——」
「——魔法を使って転移する?」
「そうだ。それについてはファロの方が詳しいだろう」
ファンタジー知識で言った当てずっぽうが当たり、ちょっと嬉しかった。なるほど、転移魔法もあるのか。使えたら便利だな。
相談したいことがあったのでファロを探すと、彼女は少し離れた場所で大きな岩に座り黄昏れていた。棒のような脚に鞭打ってよじ登り、隣に座る。
「んだもすっ!? あ……キイロさんでしたがぁ。びっくりしました」
「こんばんはファロ。あのさ、ちょっと相談があるんだけど……」
「な、なんです? あだすみたいなのでよければ聞くだけは聞きますけんども!」
「あのね……」
声が震えていた。でも緊張ではない。息を整え、ファロと視線を合わせる。
「私に……魔法を教えて欲しいの!」
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