第11話 沼地。

 小さな町の聖職者とはいえ、何かと諸事に追われて忙しい。


 日々の祈りを捧げるだけではなく、町で起こる雑多な揉め事にまで駆り出されるからだ。

 その上に、日曜礼拝で語る説教の準備まである。


 あまり適当にしていると、うるさ型の住人が教区司教に苦情を申し立てる可能性もあるため、迂闊に気を抜くことは許されない。


 常に品行方正を求められ、表立っては酒で鬱憤を晴らすことも出来ないのだ。


「――色々と溜っていたようですな」


 馬車に揺られつつ、御者席おやせきに座るグスタフの報告を受けていた。


「よく、何年間も無事に通い続けられたものですわ」


 北の町に在る売春宿の常連だった排斥司祭ジョンは、べリックの妻エナによる告発があるまで何事もなく過ごしていたのだ。


 通常、人目を気にする司祭たちは、同性で尚且つ同僚と共に、不埒な想念を払うためのに勤しむのである。

 売春宿に通い詰める司祭など、さすがに常軌を逸していたと言わざるを得ない。


「シルミオネの男連中が口裏を合わせて庇っていたようで――」


 町長モーガンとべリックの二人が中心となって、司祭の罪が露見しないよう動いていたという。

 売春婦たちが余計な噂を立てないよう、裏で金を渡すこともあったそうだ。


「随分と友達思いですわね」


 三人の間には、どうにも胡散臭い繋がりがあるように思えた。


「――そこは、あまり語りませんでしたが――三人で秘密の食事会とやらを良く開いていたそうです」

「まあ、仲が宜しいこと」


 ジョンとしては、実に居心地の良い町だったろう。背徳の罪を冒しながら、司祭の地位を守って安定的な暮らしが保証されるのだ。

 

 異動など無いようにと神に祈りを――いや、教区司教に幾らか包んで渡していたに違いない。


「ところが、べリックが結婚してからは疎遠になった――と愚痴を言っておりました」


 べリックとエナが結婚したのは、三年ほど前の話である。


「そういえば、エナとはどこで知り合ったのでしょうね」


 修道院に預けられ脱走した少女エマが、現在のエナだとしても、町の住人は誰ひとりそうとは認識していないのだ。


「実は、私も気になったので、ジョンに尋ねてみたのです」


 エナについては、既にフィンを使って情報を集めさせていたのだが、驚くべきことに誰も詳しい素性を知らなかったのである。


 べリックの遠縁で、遠くの町に暮らしていた――という情報でよしとしていたのだ。


 詮索好きの田舎者にしては珍しいと感じたが、流れ者だったとはいえシルミオネという町に貢献してきたべリックへの信用があったためかもしれない。


「ですが、ジョンは知っていたようです」


 嬉しくなった私は、小娘のように思わず手を打ってしまった。


「まあ、素敵」


 武骨な手で頬をひと撫でしてから、グスタフが口を開く。


くだんの売春宿から水揚げした女でした」


 ◇


「着きましたぞ、アドラ様」


 不帰かえらずの大森林にほど近い沼地の傍にまで来ていた。


 ここから少し歩けば、聖へレナ女子修道院の裏門へと至るが、既に夜の祈りを終えて皆が寝静まっていることだろう。


「ありがとう」


 私は燭台を右手に持って馬車を先に降り立ち、そのまま荷台の背面へ回りシートを跳ね上げた。


「グスタフ」


 燭台で荷台を照らすと、御者席おやせきから荷台へと渡ったグスタフが、音も無く短剣を振るって二本の縄紐を切断した。

 

 と、同時に低い呻き声が響く。


「自分で起きてくださる?」

 

 私が優しく促すと、胸元の拘束を解かれた男が半身を起こす。


「こんばんわ」


 排斥司祭ジョンが金銭に換えている秘密とは、べリックの妻が卑しい職業人だったということなどではない。


「覚えてないなんて言ったら直ぐに殺しますよ」


 麻袋の切れ端を口内に詰め込まれた男が、激しく首を上下に振っている。

 それに合わせて唾液が四散するので、私はとても嫌な気持ちになった。


「悪い子ね、サム」

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