第2話 罪の記憶。

 深夜――。


「もう殺しちまえよ、べリック」


 片目が義眼と分かる男が、苛々とした様子で言った。


「馬鹿を言え。俺達はこの町で真人間に生まれ変わるんだぞ――」


 表向きはだろうと苛立ちを覚えたが、この光景に私は口を挟めない。


「――と俺は思ってるから、あんた達に誠意を見せてやってるんだ」


 そう言ってべリックは、老夫婦の前に突き出した羊皮紙を指先で叩いた。


「この金を受け取り、サインするだけだ。何も騙し取ろうって訳じゃない」


 羊皮紙の傍に在る革袋からは、多量の銀貨が覗いている。

 買い取るというのは嘘ではないようだった。


「何度言っても、ここを売るつもりは無い」


 頑固そうな老夫婦の夫が、首を振って答える。


「だいたいが、その金は盗んだか、良からぬ事で儲けた金だろう」

「ちょっと――あなた――」


 妻が不安そうな様子で口を挟む。


「そっちの」


 老人は節くれ立った労働者の指先を義眼の男へ向けた。


「腕の入れ墨を見れば分かる。お前らみたいな屑――あっ――はが――ぶふう」


 彼のこめかみへと、義眼がクリスナイフを刺し込んでいる。


 べリックは慌てて椅子から立ち上がると、妻の口を塞いで羽交い絞めとした。

 老いた彼女の身体は細く、そのまま砕いてしまえそうにも感じられる。


「馬鹿が馬鹿が馬鹿が」

「うっせぇな。この方が手っ取り早いだろ。さっさと婆も始末して埋めちまおう」

「――黙れ――クソ低能――」


 代替わりした領主は、賭博や売春などを厳しく取り締まったため、表立っての商売が難しくなったのである。

 かといって組織への上納金が減るわけではない。


 そこで目を付けたのが、街道の中間地点にある町の寂れた宿屋だった。

 領主の気が変わるまでは、ここで風雨を凌ごうと考えている。


「――やむを得んな。化けて出るなよ、婆さん」


 口を塞ぐ手をずらし、鼻も抑えようしたところでべリックは気付いた。


 閉ざされていたはずの扉が、少しばかり開いているのだ――。


「ジャック」


 義眼の男に声を掛け、顎で扉を指し示した。

 べリック達の意図に気付いた妻は、全身の力を振り絞って抵抗をする。


「へへへ。孫でもいるってかあ?」


 血糊のついたククリナイフの先を嬉しそうに舐めあげた。


 ◇


 私は最悪な気分で目を覚ました。


 黒鞭で罪を喰らった当日の夜は決まってそうなる。

 妙に現実的な夢の中で、忌まわしい記憶を反芻させられるのだ。


 私に忘れないように強制する呪いとも思われた。


「――アドラ様」


 居室の外から、陰々とした声が響く。


「朝食の支度が出来ております。後――不心得者を捕らえた次第にて」

「すぐ行きます」


 私はベッドから降りると、窓を塞ぐ木戸を押し広げた。


 丘の上に建つ礼拝堂の二階を住まいとしており、窓からは町の様子を一望できる。

 シルミオネは、申し訳程度の城壁がある田舎町だった。


 とはいえ、大きな町を結ぶ街道の中間地点に位置する為、それなりに人の出入りはある。

 だからこそ、べリックは宿経営で財を成せたのだろう。


 町の中心近くに建つ、彼が経営する宿の煙突から煙が漏れていた。

 今日も多数の宿泊客で賑わっているのかもしれない。


 ◇


 聖女の衣装――黒いトゥニカだが、胸元部分だけは白くなっている――に着替えた私が食卓に着くと、忠実な使用人グスタフはパンとスープを前に置いた。


 無愛想な男だったが、生家が没落して以降も、私の傍を離れなかった唯一の使用人である。 


「ありがとう」

「いえ」

「グスタフ」


 食卓を去ろうとする老人を呼び止めた。


「――それで、不心得者は何処に?」


 尋ねるとグスタフは、少しばかり眉をひそめる。


「連れてきて宜しいので?――お食事が終わってからに――」

「いいえ、今で結構ですよ」

「――畏まりました」


 ブツブツと小言めいた事を呟きながら、私の向かい側にもパンとスープを置いた後に去って行く。


 少しすると、とうを過ぎたばかりであろう少年が、グスタフに耳を引かれて現れた。


「いて、いてぇよ。ジジイッ!」


 そう言いながらも、食卓の上に載るパンとスープへと、少年は抜け目のない視線を送っている。


「またも、礼拝堂に忍ぼうとしておりました」

「そうですか――あ、こちらへ」


 私としてはどうでも良かったので、椅子に座らせるようグスタフに伝えた。


「また来たのですね、フィン。食べても良いですが――祈りを捧げてからになさい」


 私自身は、神に祈りなど捧げない。

 無駄だと分かっているからだが、不審に思われないよう他人には勧めていた。


「とっくに祈ったぜ、聖女様――じゃ、いただきまあす」


 フィンは町に住む貧乏人の子倅である。


 当初は悪さをするつもりだったのだろうが、近頃では朝食目当てに来ているのだ。


「今朝のスープはまた格別だね。グスタフさんの腕が上がったのかな」


 私は黙って、フィンが食べ終えるのを待ってから口を開いた。


「ねえ、フィン」


 慈善や慈愛で、この少年に施しを与えてきたわけではなかった。

 子供という存在は、情報を集めるのには大変都合が良い。


「力を貸してはくれないかしら?」


 罪の重さを、浜辺の砂粒ほどに量る必要がある。

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