第7話 人の噂が怖い。
シルミオネの町長モーガンの
信仰心の篤い男として知られ、町では尊敬されてきた人間らしい。
ところが、働き盛りの中年は、少し前に大病を患い臥せっている。そのために、べリックが新しい町長に叙されようとしていた。
商売の方は妻と息子のサムが切り盛りをして、どうにか維持しているようだ。サムとて、べリックの妻エナと納屋で勤しんでいるばかりではなかった。
「お辛いでしょうね」
礼拝堂の席に、細身の女が座っている。
町長モーガンの妻で、名をミリアという。
「――ええ――本当に――」
ミリアは洒落たチーフを取り出し目元を拭いた。
町長の妻として、町の社交を取り仕切ってきた女である。
半年前、シルミオネの聖女に私が任じられた際も、町の女達を引き連れて礼拝堂の前で待ち構えていた。
通り一遍の挨拶をした後に、私の耳元でミリアが囁いた言葉が印象に残っている。
――前の司祭様は罪を冒され、排斥されたと聞き及んでおります。
事実、その通りなのだ。
北の町に在る売春宿に通っていることが露見したのである。本人は否定していたが、多数の売春婦が証言するに至り、領主の逆鱗に触れてしまった。
領主は、売春の根絶を諦めたとはいえ、聖職者や地位ある者が客と露見した場合には厳罰をもって臨んでいる。
――聖女様は女ですから心配ないと思いますけれど――小さな町には噂好きの目が多くございます。お気を付けをば……。
そう賢し気な忠告をした女が、私の礼拝堂に来てさめざめと泣いている。
「もう――見ているのも辛くて――」
モーガンは病に臥せって以来、誰とも会わず外にも出てこない。
「ヤナギの粉は、まだ残っているのですか?」
シルミオネのような小さな町では、司祭や聖女が医者の務めを果たす。
全身の痛みに苦しんでいるとミリアから聞き、ヤナギの粉を処方していた。
本当ならグスタフの調合した薬を渡した方が効果的なのだが、黒魔術の嫌疑をかけられる恐れがあるため一般的な薬物を処方するに
「え?――あ、ああ、まだ残っておりますから――アドラ様のお気遣いに感謝いたします」
ミリアが早口で答える。
「やはり一度、診せて頂いた方が良いのでは?」
私では分からなくとも、症状を知見のある修道士に伝えれば、適切な治療法があるかもしれない。
「い、いえ」
以前にも断られたが、今回も彼女は首を横に振る。
私としても病人を診るなど厄介だと思っていたので、断ってくれるのはありがたかった。
祈りを捧げるフリと同様に、聖女らしく言ってみただけのことだ。
とはいえ、今の私には是非とも彼に会いたい事情がある。
聖へレナ女子修道院で暮らす不幸な少女の許へ、モーガンが度々訪れていた理由を知りたかった。
「ヤナギの粉だけでは、どうにもならないのですよ」
私は親身な声音で告げた。
「――それは、そうなのですが……」
俯いて口ごもるミリアの横顔に、徐々に興味が湧いてくる。
何かを隠し、それを恥じている表情だったからだ。若干の恐れも混じっている。
意趣返しというわけではないが、彼女の耳元へと顔を寄せて囁く。
「私は噂好きではありませんよ」
この町に骨を埋めるだけの田舎女とは異なるのだ。
お前達の後ろ暗い過去に興味はあるが、それを言い触らしたりはしない。
「――秘事は永久に秘事となります」
◇
目立たないようにと請われ、黒いトゥニカから町娘のような衣服に着替え、モーガンの家を訪れている。
「――え?――アドラ様――ど、どうも」
出迎えた息子のサムは、少し驚いた様子で頭を下げた。
常とは異なる印象を抱いたのだろうが、お前と納屋へ行くことはないだろう。
「こちらです」
奥に進んだ先の部屋へと案内され中に入る。
窓に堅く板が打ち付けられているのは、なるべく音が外に漏れないようにするためだろう。
苦味のある臭みが籠る部屋だった。
ベッドの脇で椅子に腰かけていたミリアが立って頭を下げた。
「――今しがた寝たところでして」
「そうですか」
私は傍まで歩き、瞳を閉じたモーガンを見下ろす。彼は口元から涎を垂らし、白痴のように寝入っていた。
話しを聞いた限り、この男は気狂いとなったのだ。妻と息子は、悪魔が憑りついたと考え、町民に知られることを酷く恐れていた。
腰ベルトに差した黒鞭を手で触りながら私は告げる。
「少しの間、席を外してくださる」
白痴ではなく、単なる気狂いであれば、罪を覚えている可能性はあった。
「大きな音がしても、決してお気になさらず」
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