第4話 衝突
『ソール・ライター展の招待券があったら、二枚欲しいので宜しくです』
部屋着に着替えて母にメッセージを送ると、月子はパソコンの電源を入れた。
名前は知っている写真家だが、どんな作品なのかはよく知らない。
展覧会のサイトにいくと数点の写真が載っていた。どこか絵画を感じさせるような空気感のある写真だと思いながら生い立ちを読むと、最初は画家になりたかったことが書かれていた。
今後も展覧会の招待券が欲しいと言われることはあるかもしれない。
それでも良いと月子は思った。快と交流が持てるなら。それに、招待券も使われないで処分されるより、一人でも多くの人に使われて作品を観てもらった方がいいに決まってる。
帰宅後、母から受け取った招待券を封筒に入れ、大事に鞄にしまう。
「誰と行くの?」と、母がレンジで惣菜を温めながら聞いてきた。
「私じゃないの。クラスメイトにあげるんだ。ありがとね。おやすみ」
快は一枚で良いと言ったけど、もしかしたら彼女が行きたいと言うかもしれない。
月子はベッドに潜り込んだ。夢の中で月子は、曇りガラス越しに快と彼女を見ていた。
翌日、快はやっぱり一人でバスに乗り込んできた。友達の家族旅行は海外なのかもしれない。月子に気づくとニコっと笑って隣に来た。
「おはよ」
「おはよう。招待券もらえたよ」
「まじ? すげー嬉しい」
鞄から封筒を出し渡すと、快は待ちきれないように中のチケットを見た。
「あれ? 二枚あるよ」
「彼女さん用」
「あいつ行かないよ。ってか、誘わないし」
「そうなの?」
「じっくり観たいのに、もう帰ろうよって言われると嫌だから。このあいだの展覧会で懲りた」
「確かにそれ言われると困るよね」
「上原さん、一緒に行く?」
快の言葉に思わず目が開く。
「滅相もない! そんなこと」
月子が手をぶんぶん振って否定すると、快は破顔した。
「あはは。いつの時代の言葉だよ。上原さんって面白いよね」
そんなこと言われたのは初めてだ。
「写真観て、どう感じるのか聞いてみたかったんだけどね」
「彼女に悪いです」
「チケット無駄になるよ」
「二回行けますよ。私も好きな展覧会は二回くらい行きますもん」
「そうか。そういう手があるのか。じゃあ、遠慮無く。ありがとう」
快はチケットを封筒に戻すと鞄にしまってから月子を見た。
「いつも一人で展覧会に行くの?」
「そうですね。館内でも順番無視して気になる作品から観ることも多いので、一人の方が観やすいです。趣味の合う子が周りに居なかったこともあって、そんな鑑賞の仕方が癖になったみたいです」
「また敬語になってる」
「あ」
「そんな堅苦しい喋り方しないで、もっと気楽に話そうよ」と、快が笑いながら言ったので、月子は恥ずかしそうに頷いた。
教室に向かうと、入口のところに快の彼女が立っていた。
「カイ、おはよー」と笑顔で快に近づいてきて、その後ろに居る月子に気づいた。途端に表情が硬くなったのが分かった。
「どうした?」
快はとくに気づいた様子はない。
「一限の現国、教科書忘れちゃったの。貸して」
「仕方ないなあ」
そう言いながら快は鞄をあけ、教科書を取りだした。彼女は月子を見る。
「あのときの子よね。わざわざチケットありがと」
ちょっとトゲのある意地悪な言い方だったが、月子は「いえ」とだけ言って教室に入ろうとした。その背後から
「快のこと狙ってるの? 私の彼氏だよ」と鋭い言葉を浴び、思わず振り返った。
「おい、
快が不快な顔をして睨むと、万里は快に向き直る。
「一緒に登校してんの?」
「バスが同じだけだろ」
「わざと同じバスに乗ってんじゃないの?」
「は? スクールバスの本数なんて限られてるだろう」
「そうですね!」
万里はそう言って教科書を快から奪うように取ると、ぷいっと背中を向けて去っていった。月子の心臓が苦しそうに鼓動する。
「ごめんなさい。私の所為で──」
「違う。あいつが悪い。まじ気にしないで」
快はそう言ってくれたが、月子の気持ちは沈んだままだった。
月子は目立たない生徒だが、女生徒に嫌われるタイプではなかった。当たり障りなくクラスメイトとも交流していた。それなのにあからさまに攻撃されてしまった。
やっぱり彼女の居る快に近づこうとしたのが間違いだったのだろう。遠くから見ているだけにしておけば良かったのだ。声だけを聞いて満足していれば──
明日からはゴールデンウィークの後半。また連休になる。連休が明けたら、快はまた友達と通学する。前の状態に戻るから大丈夫。そう自分に言い聞かせていた。
*
「おまえ、今日のあの態度はなに」
下校途中のファストフード店で快は厳しい顔で万里に言った。
「カイだって悪いんだよ。バスの中で楽しそうにあの子と喋ってるらしいじゃん。クラスの子に聞いたんだから」
「オレはお前以外の女子と喋っちゃいけないのか? 趣味の話をしちゃいけないのか?」
「そんなことを言ってるんじゃないもん」
「じゃあ何だよ」
「気に入らないだけ」
「答えになってねーよ」
快にはこの不安は分からない。万里はそう思う。あの子は快の周りに今まで居なかったタイプの子だ。それが怖い。
「ねえ、カイ。連休の予定は?」
「写真の勉強。あとは中間試験の勉強」
「どこか遊びに行かないの?」
「悪いけど今回はパスだな。写真スクールでの撮影会もあるから」
本当は空いてる日もあったが、快は万里の誘いを断った。せっかくなら写真に没頭したい。ソール・ライター展を観て、もしもいろいろ刺激を受けたらきっと撮りたくなるだろうから。
高校一年の夏休み、万里に告白された。クラスの中で可愛い子だったし、あの頃はポートレートを撮ってみたくてモデルにちょうどいいと思って付き合った。
彼女という立場なら気軽に撮らせてくれるだろうと思ったからだ。そんな軽い気持ちからだった。
実際に付き合ってみると、万里の興味は芸能人やファッションで、話は合わなかった。だが、もともと学校でも趣味が合う友達は殆ど居なかったのであまり気にも留めなかった。
学内では適当に話を合わせ、学外で趣味の友人を作ればいいと思っていた。
二年になって自己紹介をした月子。美術鑑賞が好きと言ったその言葉に反応した。見ればペンケースはゴッホ。
もうちょっと絵について突っ込んだ話をしてみたかったが、月子は積極的に誰かと話すタイプではなさそうだ。
美術鑑賞が趣味と言うからには美術を選択科目にすると思ったが、授業にも居ない。
所詮はその程度の趣味なのかと思っていたが、美術館の前で月子を見たとき、驚き以上に嬉しさを覚えた。
しかも学校で見る表情とは違って美術館を出てきた月子はその空間に溶け込んでいて、本当に美術館が馴染みの場所なのだろうと思わせた。
思わず声を掛けてしまったくらいだ。
バスの中でターナーのことを話す月子は、コミュニティスクールで写真について熱く語る人たちの表情に似ていた。
好きなことを話す人の表情だ。見ていて心地良かった。
容姿だけ見れば、万里のほうが背も高くてスタイルも良い。顔だって可愛い。だが、月子とはもっと話してみたいと思った。
ソール・ライター展の招待券は話のきっかけとして切り出した。
本当にもらえてそれはそれでラッキーだったが、これをきっかけに話が出来ればいいと思ったからだった。
万里があんな態度を取るとは思わなかった。
月子が万里に遠慮して距離を置かなければいいのだけど──やっと少しずつ話せるようになったのに。
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