第7話 おとぎの国の写真

 帰宅後、いつかいから連絡が来るのか気が気じゃなく、普段なら部屋に置きっぱなしのスマホをポケットに入れていた。

 夜に送ると言っていたので、まだ来ないとは思っていても、気になって仕方ない。


 母は今日も遅いので、代わりに夕食を作りながらも意識はポケットの中にいっていた。

 風呂掃除をして給湯ボタンを押すと、メッセージの着信音がした。濡れた手で慌ててスマホを取り出す。快からだ。

 ドキドキと心臓が活発に動き出すのを感じながら画面をタップする。


『こんばんは。写真送ります。これは先月の撮影会で撮ったものです』


 そのメッセージのあとに、画像が届いていた。拡大して月子はその場に立ち尽くす。


 しっとりと濡れ輝いているチューリップの葉。その葉に雫がいくつも真珠のようについている。

 マクロレンズで撮影したのだろうか。その雫の中には景色が上下反転して映りこんでいる。


 よく見るとレンガの家が映りこんでいた。

 それはまるで魔法で閉じ込められた家のようで、おとぎの国に自分が入り込んだような気分になった。


 背景はおそらくチューリップの色なのだろう。柔らかくてふんわりとあたたかい薄赤。

 閉じ込められた家の住人は決して不幸ではない。そう思えるような写真だ。


 月子はパソコンにデータを転送し、大画面でじっくり快の写真を眺めた。

 作品を観ていて思った。快はロマンチストなのかもしれない。


『写真ありがとうございます。パソコン画面でじっくり観させてもらいました。自分がおとぎの国に入り込んだような気持ちです。

 池端くんの写真、とてもストーリー性があって素敵です。いろいろ想像しながらずっと眺めていたくなる、優しさを感じる写真ですね。とても好きな作品です』


 月子が返事をすると、すぐに既読になった。そして着信画面になったので驚きながらも通話ボタンをタップする。指が少し震えた。


「ごめん、電話しちゃって。いま大丈夫?」

 初めて電話で聴く快の声。直接耳元で話されているようでドキドキする。


「大丈夫。写真ありがとう。本当に素敵な写真ですごく好み。こういうのを撮っているんだね」

「この日は雨だったから、どうせなら雨粒を撮ってみようと思って」

「ころころ丸い雨粒って、こんなに透明で綺麗なんだなーって、まじまじ観ちゃった。景色は上下さかさまに映るんだね。違う世界を垣間見るようですごく楽しい」


「そう言ってもらえると嬉しいよ。またそのうち別の写真を送ってもいいか?」

「もちろん! いろいろ見せてもらいたい。あの、この写真、パソコンの壁紙に設定してもいい?」

「もちろんいいよ。ありがとう」

「こちらこそありがとう」


 玄関の鍵が開く音が聞こえた。


「あ、お母さん帰ってきたみたい」

「この時間に? 遅いんだな。じゃあ、また学校で」

「うん。またね」


 電話を切り、ホッと息を吐いた。緊張して話していたので息が苦しかった。でも、快とこんなふうに話せたことが嬉しくて、顔はどうしてもにやけてしまう。


「ただいまー」と母の声が聞こえたのでリビングに顔を出した。

「おかえり。ゴハンはレンジの中だよ」

「ありがと。誰かと話してた?」

「うん。クラスメイトと」

 月子はそう言いながら冷蔵庫から麦茶を出してコップに注いだ。


 ジャケットを脱いで手を洗った母が、月子の顔をまじまじと見ていたので

「なに?」と聞くと、母が尋ねてきた。


「彼でも出来た?」

「へ? 何言ってんの。居ないよそんな人」

 月子が驚いた顔で否定すると、母は意味深な顔をした。


「ふぅん。じゃあ好きな人が居るのかな」

「な、なんで」

「なんか最近雰囲気変わったなーって思っていたのよね。表情も可愛くなって」

「え、そう?」

「どんな子なの? 教えてよ」

「う……」


 月子が逡巡していると、お風呂場からお湯が沸いたことを知らせる音楽とメッセージが流れた。


「私、先にお風呂入っちゃうよ」

「あ、逃げた」

 母の言葉を無視して月子は洗面所へ向かった。


 洗面台の鏡に映る自分の顔を見ると、頬が薄ピンクに染まっている。これだもの、母にはバレてしまうのも当然か。郁美の言葉をふいに思い出した。


『すっかり恋する乙女の顔だものねえ』


 これが──恋をしている私の顔──


 *


 快は電話を切ったあと、月子に送った写真を眺めていた。

 お世辞ではなく、本当に自分の写真に好感を持ってくれたことが伝わってきて嬉しかった。


 月子は控えめな生徒だけれど、自分の好みに関してはきちんと言うタイプだと思った。

 今回の写真もそうだし、絵に関しても好きな作品は「好き」と言う。そして写真を観たときに感じたことも言葉にして伝えてくれた。


 もっと月子の感想を聞いてみたいし、写真に限らず絵画でも彫刻でも、観たときにどんなふうに感じるのかを聞いてみたい。

 そのためには──


 快はパソコンに入っているデータから、万里まりの写真を削除し始めた。

 構図が気に入った写真もあったが、この先もっと上達すればこれ以上の写真が撮れるに違いない。

 そう思って削除ボタンを押した。別れる女性の写真を残しておくべきじゃないと、快なりのけじめだった。


 今後ポートレートを撮るときは、写真教室のモデルにお願いすることにしよう。

 告白されて、万里をモデルにすればいいと安易に考えて付き合ってしまったことは、大いに反省しなくては。

 明日は休日。快はスマホを取り出すと、万里にメッセージを送った。


 *


「カイの方から呼び出すなんて珍しいよね。どうしたの」


 万里の家の最寄り駅。何度か入ったことのあるカフェは、休日だけあって混雑していた。万里の表情は硬い。多分薄々感じているのだろうと快は思った。


「好きな人が出来た。別れてほしい」

 単刀直入に切り出した快の顔を、万里は睨み付けるように見た。


「好きな人って誰。クラスのあの子?」

「学校は関係ない。写真教室の女性」

 月子の名前が出てくるのだろうと思っていた万里は呆気にとられた。


「え? そんな話、今まで聞いたことないよ」

「写真教室にどんな人が居るのか、いろいろ言うわけないだろ。そもそも万里は写真教室でなにをしてるのかも聞いてきたことなかったろ。興味なかったんだろ」

「──どんな人なのよ」

「年上。写真のこといろいろ話してるうちに意識した」

「──もう私のことはなんとも思ってないってこと」

「ああ。悪いけど。今までの写真は全部削除したから安心して」

「削除したの?」

「したよ。おまえには全部データ渡していたからいいだろ」

 快はどこまでも無表情で淡々と喋った。


「オレとは違って趣味の合うヤツ、万里ならすぐに見つかるよ。お前のこと好きって言うヤツもたくさん居るだろ」

 万里は快を睨む。


 そうよ、告白してくる人ならたくさん居る。でも快のように背が高くて自分に釣り合う人はそうそう居ない──

 背が高くて顔も良くて私に釣り合う人は……でもそれは言わない。万里のプライドが許さなかった。


 私から去っていくなんて。私の知らないところで快が誰かを好きになるなんて──やり場のない怒りがこみ上げた。


「言いたかったことはそれだけ。オレ行くわ」

 伝票を持って快は立ち上がった。

「あの子のことはどう思ってるのよ」

「あの子?」

「カイの周りをちょろちょろしてる上原月子」

「ああ、あの子はただのクラスメイトだよ」


 快が店を出たあとも、万里はしばらく席を立てなかった。

 フラれたのは初めてだ。あんな写真馬鹿、私からフッたと思えばいい。

 快が自分を綺麗に撮ってくれるから被写体になっていただけだ。SNSに載せればフォロワーが自分を褒めてくれたから撮らせていただけだ。


 あの子も可哀相に。いくら快のことが好きでも、快には好きな人が居るんだから。いい気味だわ。


 万里は月子が落ち込む顔を想像して微笑んだ。

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