第8話 メッセージ

 快は店を出ると、とおるに『万里と別れた』と、メッセージを送った。

 透の助言通りに言えたと思う。


 万里の目から月子を逸らすためには、全く関係の無い人物を出す方がいいと透は言った。

 写真教室の人物なら、万里にはどうすることもできない。実際、教室に年上の女性は何人も居るが、殆どが結婚して子供も居る。


 みなさん、勝手に使わせてもらってごめんなさいと、快は心の中で謝った。

 スマホが鳴り、画面を見ると透からだった。


「もしもーし」

「お疲れさん、うまくいったみたいだな」

「上原さんのことは興味なさそうに言えたはず」

「なら万里に苛められることもなさそうだな」

「そう願うよ」

「これでいろいろ誘えるじゃん。良かったな」

「そうだなあ。展覧会なんかも一緒に行ってくれるといいんだけど」

「行ってくれるだろ。好きな男に誘われりゃ」

「ん?」

「なに、気づいてないの? 上原さんはカイのこと好きだろ。バスの中での様子見りゃ分かるだろ。

 おまえに話しかけられて耳まで赤くしてさ。初々しいなあって見てたよ。だからこそ万里もあんな態度取ってたんじゃん」


「話しかけることばかりに気を取られて気づかなかった」

「おまえが珍しいな。そうか、言い寄ってこない女子のしぐさには疎いんだな」

「透、小馬鹿にして楽しんでるだろ」

「楽しいね。これからどうなるのか。ま、学校では万里の目もあるから程ほどにな。じゃあな」


 透はそれだけ言うと電話を切った。

 まったく面白がりやがって。快はぞんざいにスマホをポケットに押し込んだ。


 そうか、月子はオレが好きなのか。

 今までの月子の表情や言葉を思い返すと、心が軽くなる。


 中学の頃から何人かの女子とは付き合ってきたけど、今までとは少し違う感情が湧いてくる。そんな自分が楽しかった。

 そりゃ透にも楽しがられるわけだと、快はひとり笑った。


 *


 翌日のスクールバスの中で、いつものように「おはよ」と快は月子に声を掛けてきた。

 もちろん隣には透が居る。

 月子はふたりにぺこりと軽く頭をさげ「おはよう」と返した。


 そのあと快は透と話をしていたので、月子は隣でぼんやりと会話を聞き流していた。ほんとは写真のお礼を言いたかったが、透は知らないことなので、余計なことを言うのは控えた。


 教室に入って席についたとき、

「池端くん、このあいだは写真ありがとう」と月子は快に話しかけた。

 快は振り返り、

「他にもいろいろ見せたいものがあったけど、多くなりすぎて選べなかった。あまり送りつけても迷惑だろうとも思ったし」と、少し照れたように答える。


「迷惑じゃないよ。送ってほしいな。他にもいろんな撮り方してるんだろうなって想像したの。レンズもいろいろ持ってるの?」

「まだ全然。高くて買えないから」

「そうだよね。カメラのレンズ高いもんね。少しずつ揃えられるといいね」

「本格的にやるのは高校卒業してからかなって思ってるよ。今は写真教室でいろんなレンズ使わせてもらってるんだ」

「そうなんだ。自分の好みに合う撮り方に出会えるといいね」


 快が微笑みながら月子を見ていたので、思わずドキッとした。いろいろ話しすぎてしまったろうか。


「ごめんなさい、余計なこと言ったかな」

「ん? 全然。こうやって話してるの楽しいと思ってさ」


 そう言われて頬が熱くなる。洗面所で見たときのように、顔が赤くなっていたら恥ずかしい。


「そういえばお母さん、いつも遅いんだな。お父さんも?」

「あ、お父さんは単身赴任中で居ないの。お母さんも今の展覧会が終われば、もうちょっと早く帰ってくると思う」

「ああ、担当だったもんな。あの展覧会ももう一回行きたいな。あのときはしっかり楽しめなかったからなー」


 確か彼女にもう帰ろうと言われて、じっくり観られなかったんだっけ。


「あの展覧会、六月末で終わっちゃうから……良ければ招待券持ってこようか。家にまだあるよ」

「もらってばかりじゃ悪いよ」

「そんなことないよ。残っていても勿体ないから、使ってもらった方が嬉しい」

「そか。じゃあ有り難く」


 今度は一枚でいいのかな。彼女はもう誘わないのかな──でもやっぱり二枚渡したほうが……そんなことを考えていると、


「あ、そうだ。遠足の写真の共有アルバム作ったんだ」と言いながら、快がスマホを操作した。

「URL送った。それ、上原さんのグループだった女子に転送しておいて」

「うん。ありがと」

 そう答えたとき、月子の鞄に入っているスマホが振動した。


「そのURL知ってる人は自分が撮った写真もアップできるよ」

 そう言うと快は席を立ち、遠足で一緒だった男子グループの輪に入っていった。

 鞄からスマホを取りだし、メッセージを開いたとき、月子は固まった。


『帰り、時間ある?』


 共有アルバムのURLの下に、そんな言葉が書かれていたからだ。

 どういうことだろう。なんだろう。


 快と会話をするようになってから、心臓がばくばくすることが増えて仕方ない。震える手で『うん』とだけ書いて送信した。

 駄目だ……今日の授業は身が入るわけがない。


 案の定、頭の中は快のメッセージでいっぱいになり、英語の授業も古典の授業もさっぱり頭に入らなかった。

 考えれば考えるほど不安になる。とくに気に障るようなことはしてないし、言ってないはずだ。そう思っても不安になってしまう。


 お弁当を食べながらもボンヤリしてしまい、

「上原ちゃん! ゴハンこぼしてるよ」と言われる始末だ。

 既に食べ終わった子は、快が作ってくれた共有アルバムを見ている。


「池端くんって、写真が趣味なんだっけ。さすが綺麗に撮ってるよね」

 そう言いながらスマホに写った写真を、まだゴハンを頬張っている月子にも見せてくれた。


 そこに写っている月子たちはとても自然な表情だ。いつの間にこんなに撮っていたのだろう。撮られていることを意識していない、楽しげな表情がそこには並んでいた。


『アルルの寝室』で寝そべる月子の写真もあった。あのときの記憶が甦り笑みがこぼれた。そして思い出す。今日の帰りのことを。

 また不安が頭をもたげた。


 *


 月子が返事をしたあと、快からのメッセージは無い。放課後を迎え、どうすればいいのか戸惑っていると、

「何時のバスで帰ってるの?」と快が聞いてきた。


 良かった。どんな用事かは不安だが、とりあえず朝のメッセージのことは忘れていなかったようだ。月子は胸をなで下ろした。


「掃除当番がなければ、いつも最初の便で帰ってるよ」

「今日は当番じゃないもんな。じゃあ帰ろうか」

「あの……榎本くんは? 帰りは別々?」

「あいつは部活。軽音なんだよ」

「へえ。楽器は?」

「ドラム」

「ドラム叩けるんだ。すごいね」

「家に行くとオレが居ても気にしないで叩いてるよ」


 快はそう言うと教室を出る。月子もそれに続くが、さすがに隣を歩くのは気が引けて、少し離れて歩いた。

 快が最初の便に乗ったのを見かけたことはない。だからいつも榎本くんか彼女と会ってから帰っているのだと思っていた。

 榎本くんが部活ということは、普段は彼女と一緒なのだろう。


 バスは既に来ていた。最初の便はたいてい空いている。バスの中に知っている人は誰もいない。快は二人席に座ると、その前に立った月子を見上げた。


「座らないの?」

 そう言って自分の隣の空席をポンと叩く。

「え」

「オレだけ座ってるのは変だろ」

「でも隣はちょっと──彼女に悪いです」

「もう居ないよ、彼女」

「え?」


 発車合図が鳴り、ドアが閉まる。

「発車します。お立ちの方は吊り革におつかまりください」と運転手のアナウンスが聞こえ、バスが動き出した。月子の足がよろける。


「ほら危ないだろ。隣、座りなよ」

 快に言われて、月子は恐る恐る隣に座った。彼女が居ない? え?

「あの……なんで? 彼女は……」

「別れた」

「なんで……」

「だって、彼女が居たら上原さん、オレと一緒に展覧会に行ってくれないでしょ」


 快が少し意地悪そうな顔で言ってきたので、月子は慌てた。

「うそ。私の所為で? ごめんなさい。どうしよう」

 必死に言う月子を見て快は微笑む。


「本気にしないでよ。冗談。もともとあまり合わなかったから、上原さんの所為じゃないよ。でも別れたからさ、これで断る理由もなくなったろ? 今度一緒に美術館行こうよ」

「それは……いいですけど……でも私なんかでいいんですか? 一緒に行くの」

「上原さんが作品を観て、どんなふうに感じるのかを聞きたい。いろいろ参考になりそうだから」

「参考になるのかな」

「きっとなる」


 そうか。別れたんだ──それを言うために一緒に帰ることにしてくれたんだ。何を言われるのか緊張していたが、まさか彼女と別れたなんて。


 でも……これからは彼女を気にせずに話をしてもいいのかな。心臓はさっきからバクバクドクドクうるさい。

 隣に居る快に聞こえませんように。月子は膝の上に置いてある鞄を強く抱えて、胸を包んでいた。

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