第13話 真実な言葉

「ごめん。遅くなっちゃったぁ。」

 ノックの返事も待たずにドアを開けて飛び込んできた山口伸子に、僕と美佳は驚いて、同時に同じ方向へと振り返った。

「おっ、祐一くん、目が覚めたんだね。」

 僕の心を気遣うように、わざと戯けて見せる伸子は笑顔を見せて、僕が横たわるベッドに近づいた。

「先輩、ご心配とご迷惑をかけました。」

 ベッドの上で、会釈にもならない小さく頭を下げた僕に

「私は、そんなに心配はしていないわ。本当に心配していたのは、美佳ちゃんだから。」

と、僕に伸子は言った。

「そんなぁ。」

 美佳は、ボクと伸子に交互に視線を移しながら、少し恥ずかしそうに首をすくめた。

「さあさあ、交代、交代。美佳ちゃん、昨日からうちに帰ってないんだから、帰って休みなさい。橘くんは、私が見張っといてあげるから。」

「なにを見張ろうって言うんですか。入院してるボクを捕まえて。」

「えっ、うーんと、かわいい看護師さんにちょっかい出さないようにだよ。」

 病院という場所を考慮しても、いつにも増して明るい伸子に、少し不安を心に秘めながら、二人の笑顔につられて笑ってしまっていた。

「じゃあ、先輩後はお願いします。しっかり監視しといてくださいね。夕方には来ますから。その時、橘さんの着替え持ってきます。」「そう、わかったわ。でも、慌てて来なくてもいいよ。大丈夫、橘くんには、なにもしないから。」

「はーい、わかりました。じゃ、帰ってきます。」

 美佳は、ペコッとお辞儀をして、病室を出て行った。

二人っきりになった病室には、わずかな沈黙が流れた。どちらかが話し始めるのを、お互いが待っているかのように。

「あの子、余裕が出来たね。余裕って言うより自信って言った方が正確かな。」

「別に、何にもありませんよ。僕たち。」

「まっ、私はなんも言わないけど、お互い正直になることが大事だと思うよ。」

 先に話し出した伸子はいつもとは違う、どこか冷めた言い方に、僕は違和感を感じていた。途切れた会話の糸口を探すように、また少しの沈黙が二人の間に流れた。

 伸子は、伏せていた視線を僕に向け直して口を開いた。

「あなたは、ターゲットから外れたわ。」

 予想だにしていなかった伸子の言葉を、僕は全くと言っていいほど理解出来ずにいた。「ターゲット?」

 伸子の言葉をただ復唱しただけで、僕は視線を送り返した。

「そう、あなたは私のターゲットだったの。世間で噂されている『ハンター』ってのが、私の本当の仕事なの。」

 理解しがたい言葉が、容赦なく僕の耳に流れ込んできた。

「あなたは今回、やっと発病したのよ。やっとという表現が正しいかどうかはわからないけれど。あなた自身もその症状の自覚はあるでしょ?否定はしないでね。主治医にも確認は取ってあるから。安心して、騒がれたりはしないから。」

 伸子は、僕の思考は無視をして一気に話を進めた。

「なぜ、今まで?」

 考えがまとまらない僕が、やっとの思いで言葉を絞り出した。

「なぜ、今まで収容所に送られなかったか?って。」

 僕の心を読むことなんて、造作もないことのように平然と伸子は言ってのけた。

「ほとんどの未発病者は、発見次第に収容所に送り込まれるのは本当のことよ。ただ、少数の未発病者をモニタリングというか、追跡調査の対象にすることもあるのよ。もちろん研究対象としてね。対象となった者は、健康診断とかの折に血液検査とか、データ収集をされているのよ。あなたも追跡調査の対象としてデータはしっかり取らさせてもらってたわ。」

「いったい、いつから?」

「ごめんなさい。私にも守秘義務があって詳しいことは言えないの。でも、かなり前からだというのは確かよね。私の前に何代かの担当者が存在していたもの。」

 僕は、今まで一体何に怯えてきたのだろうか。結局は誰かの手のひらの上で踊らされていただけだったのだろうか。そんな思いが胸の中に広がっていった。

「この病気の原因や、治療法は未だにわかってないのよ。神さまのイタズラなのか、国家的な陰謀なのか、細菌兵器開発による事故だっていう噂だってあったの。最初の頃は、この組織も未発病者発見による免疫抗体の発見という使命感であふれてたらしいけど、今じゃ自分たちに都合のいい召使いを探し出すようなことになってしまってる。多数派になったことで、自分たちの立ち位置が変わってしまったのよね。」

 伸子は、ふっと一つため息をついて口をつぐんだ。今まで放たれた言葉の残響が、狭い病室に漂っているように思えた。

「これから僕は、どうなるんですか?」

 不安と混乱に怯える僕は、伸子に問いかけた。

「なにも変わらないと思うけど、きみはどう思う?まあ、変わるとしたらきみの気持ちじゃないかしら。いつもなんかに追われているという逃亡者からの解放。これが最大の変化じゃないかしら。きみが一番恐れていたのは、発病することではなくて発病してない自分だったんでしょ?」

 伸子の言葉は、絵空事を唱える宗教者のように僕の耳のたどり着いた。

「ごめんなさい。きみに偉そうなことを言える義理ではないことはわかっているわ。結局の所、私はきみのことをずっと騙していたんだから。でもね、本当ならターゲットにこんなネタばらしみたいなことはしないのよ。だけど、私は橘くんに最後まで嘘はつきたくなかったの。これが、きみに対する私の誠意だから。」

「山口先輩。」

「橘くん。最後くらいは名前、呼んで欲しかったわ。」

少し寂しげな声を残して、車椅子のブレーキを外し、ドアの方向に向きを変えた。

「さよなら。祐一くん。大丈夫よ。きみはどんな状態になっても橘祐一なんだから。」

伸子は、流れるようにドアを開けて、振り返りもせず、ボクの言葉をも待たずに病室から立ち去っていった。

「それって、なんなんだよ。」

 それは、取り残されてしまった僕が、舌打ちしながら吐いた言葉だった。

伸子の閉めたドアの音が、部屋中の壁に反射して残響となって僕を包み込んだ。もう、追われることはない。その安堵感。必死で隠していた事が、すでに秘密ではなくなっていたことの羞恥心。二つの想いが心の壁にもう一つの残響として漂っていた。

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