第14話 暗闇からの訪問者

 まるで重力が、半分になった砂時計のように、時の流れが遅く感じられる入院生活も、一週間が過ぎようとしていた。熱が下がるまでは、おとなしく寝かせてもらっていたが平熱になる頃には、一体いつまで続くのだろうと思えるほどの検査が待ち受けていた。昼間の間は、ほとんど自室のベッドを暖めることもなく、各科の検査室をはしごする毎日だった。

 それでも、夜になればほぼ毎日のように、美佳が病室を訪ねてくれることが唯一の楽しみとなっていた。

「それでね、また望月さんがサボってたから一言言ってあげたんですよ。橘さんがいないんだからしっかりしてくださいって。」

「あいつ、なんて言ったんだい?」

「橘が勝手に休むから悪いんだって、言ってましたよ。俺の責任じゃねぇよですって。」

 クスクスと笑いながら、美佳はボクの空白の今日を埋めるようにおしゃべりを続けている。

 伸子が言っていたとおり、情報収集のための検査なのだろう。心にひとつ、堅いしこりが存在してるのも自分ではわかっている。美佳には、伸子がハンターであったことも、伝えてはいない。それを知ったところで、自分のしこりの重さが半分になるわけでもなく、ただ単に美佳の心に波紋の輪を広げるだけだろう。その混沌とした検査漬けの毎日を知ってか、美佳は極力明るく振る舞ってくれている。

「わっ、もうこんな時間。」

「ああ、明日も仕事なんだから、帰って休まなきゃ。大変だから、毎日来なくていいよ。もう大丈夫なんだから。」

「わたし、来たいから来てるんです。橘さんのためではなく、わたし自身のために来てるんですから。こう見えてわたし、かなりの自己中なんですよ。」

 唇の先をとがらせて、両頬を膨らませている美佳の顔を眺めながら、もう動くことのない両足に力を入れた。

「そう、じゃあこれからが大変だ。考え直さないといけないかな?」

「ダメです。橘さんの秘密、わたし知ってますから。」

「もう、その証明はなくなったけどね。」

「何で、まじめに答えるんです?」

「ごめん。」

「じゃ、一晩反省してください。わたしは帰りますから。明日、わたしが来るときには、いつもの橘さんでいてください。橘さんは、何も変わってないんですから。」

美佳は、一瞬表情を硬くしたが、すぐにいつもの笑顔に戻って、病室を出て行った。

 時計の針は、9時前を指している。ここの消灯は10時。いつものように、美佳の帰った後のもてあまし気味の時間がやってくる。最初、入院してきたときには、体の倦怠感で眠りについていたが、今週になってからは睡魔とも疎遠になり、長い眠れぬ夜を過ごすようになっていた。買ってきてもらっていた雑誌に目を通して時間をつぶしていたが、そのうち消灯の時間になり看護師が見回りにやって来た。

「橘さん、眠れないの?」

「ええ、遊んでばかりですからね。」

「患者さんは、みなさんそうなんですよ。あんまり眠れないようなら、先生に言って安定剤とか出してもらえるようにしますけど?」

「ええ、まあ大丈夫です。そのうち眠くなりますから。」

「そう。じゃあ、何かあったら遠慮なく言ってね。」

 病室の明かりを消して、看護師は出て行った部屋に、廊下の明かりが反射して仄明るい天井を見上げている自分が残った。

 自分が発病して以来、下半身に力が入らなくなり、歩くことも立つことさえも出来なくなってしまった。それでも、別に悲しい感情が湧くでもなく、淡々として受け止めている自分がそこにはあった。変わったと言えば、車椅子がなければ、本当にどこにも行けなくなった事だろうか。しかし、今までだってそれはそうだったのだから、美佳の言うとおり何も変わってないのかもしれない。

 整理しかねている頭の中の思考を、夜という時間に薄めながら時計の秒針の音だけが耳に響いていく。

 いつの間にか、ウトウトしていた僕の目を覚まさせたのは、静かに閉まるドアの音だった。覚醒し切れていない僕は、はじめ見回りに来た看護師だと思っていた。だが、明らかにシルエットは違いその影は、自分の足で歩いて僕に近づいてきた。

「久しぶりだね。橘君。」

「だれ?」

 病室には、カーテン越しに入る街灯の微かな光と、ドアにはめられた磨りガラスから漏れてくる灯りしかない。ゆっくりと歩み寄る影はやっと白衣らしきモノを着ているのがわかった。

「すまない、驚かしてしまって。僕だよ、本社の人事部でキミの新人研修を担当した。」

「横山さん・・・ですか?」

「覚えていてくれたんだ。ありがとう。」

 困惑の表情をしているであろう僕の顔を見て、横山は言った。

「これっ?これはね、見つかったときのために、医局に忍び込んでちょっと拝借させてもらったんだよ。」

「いえ、そうじゃなくって、何故あなたがここに?」

「ああ、そのこと。キミがターゲットから外れたって情報が入ったから、様子を見に来たってわけ。」

 僕の寝ているベッドの脇に立ち、横山は外に漏れないように静かに、だがはっきりと言葉を発した。

「あなたは、ハンターの仲間なんですか?」

「ちがうよ。あいつらなんかとは。」

 はっきりと敵意がこもった言葉を吐いた後、少し間をおいて言葉は続いた。

「例え、それが政府の統轄する機関であろうとも、情報があふれているところからは、必ず漏れてくるもんなんだよ。すべてを隠蔽することなんて出来やしない。それに、人間なんて弱いモノだよ。どんな強固な組織だって内通者を作り出すことは、それほどむつかしいことではない。」

「ハンターに捕獲されたって噂が、会社で囁かれてましたけど。」

「ああ、あれも情報戦の勝利さ。捕獲要員が出動する日時も、こちらにはわかっていたし、

大体命令が発令された時点で、もう把握していたんでね。キミの情報だって、ずいぶん前からわかっていたんだよ。ただ、キミの場合は捕獲対象ではなく、経過観察措置対象だったから、あえてこちらも手を出さなかったんだよ。」

横山は一旦言葉を止めて、部屋の中を見回した。

「やはり、ここにもイスはないんだね。」

「ああ、すみません。ボクの車椅子でも良ければ、これに座ってください。」

「悪いね、じゃあ。ボクも普段は、立って歩くことはないから、こうやって立ってると、疲れてしまうんだよ。」

そう言ってベッド脇に置いてあった車椅子を引き出して、カラダを車椅子のシートに沈めた。

「看護師の次の見回りは午前1時。まだまだ時間はたっぷりあるからね。キミだって、知りたいことがいろいろとあるだろ?この病気のこと、ハンターのこと、歩行可能者たちのこと。それと山口伸子のこと。」

 車椅子に座ったことで、一段と近くなった僕の顔をのぞき込むように横山は言った。

「まずは、何から聞きたい?」

 僕の言葉を待たずに、横山は続けた。

「結論から先に言えば、この忌まわしき病気の原因はわかっていない。研究も決してストップしているわけではないんだけど、予算も人員も年を追うごとに削減されていってるのは確かだ。キミは『進化の限界点』ってのを聞いたことがあるだろうか。どんな事象にも限界というモノは存在する。人間も種としての進化が、限界に来たのではないかと主張するある学者が推論として発表した。人間の遺伝子にある設計図以上の進化は望みようがないと。そして進化が止まれば次に来るべきモノは『退化』だ。この病気は、その退化の始まりではないかと。まあ、僕だってこの推論を信じてるわけではないんだよ。この論文は、政府の諮問機関に送られてきたんだけど、そこで潰された。だってそうじゃないか?仮にこの推論が正しいとしたら、あまりに悲しいじゃないか。人間は、希望という行き先がないと生きていかないからな。」

 横山の口の動きを、ただ見つめてるだけの僕を見て、一瞬あきらめ顔になって沈黙の時が流れた。

「なんだ、つまらなそうな顔して。」

「あっ、いえ、そんなこと。」

「もっと科学的なモノの言い方すると、病原菌自体も発見されてないし、もちろん感染経路もわからずじまいだ。風土病の一種が、突然変異で一気に広がったという研究者もいるが、机上の空論の域を出ないのが現状だ。人間というのは、急激な環境の変化にはある程度反抗するが、その変化した環境が長期間に及ぶと、体も心も順応してしまう。当たり前になったモノに興味を示し続ける人間などいない。だから、興味を引かせる何かがいるんだ。」

「でも、それは・・・。」

「ハンターだってそうさ。そりゃあ、歩行可能者は利用価値がある。捕獲してそれなりの職種に就かさせれば、この社会には役に立つ。しかし、歩行可能者の数も年々減少傾向にあるんだ。幼児検査で選別される数も減ってきている。でも、それがゼロになってしまうと困るんだよ。なぜだかわかるか?この病気に対しての謎解きが進んでいることを示しておくためだという側面もあるんだ。歩行可能者を捕獲すれば、病気の解明が進む、治るかもしれないと言う、ただそれだけの希望が欲しいのかもしれない。いつの時代でも、マイノリティは必要なんだよ。そう、大人の理屈だけどね。」

「あなたは、何故そんなことまで?」

「ああ、昔、僕は幼児検査で引っかかって、歩行可能者の施設に入れられたんだよ。施設は君たちが思っているほど、ひどい施設ではなかったよ。自由はなかったけれど、ちゃんとした教育は受けさせてもらってたよ。まあ、そうじゃないと特別な職種にも就けないからね。僕は医者になるためのコースにはいって勉強してた。ある時、システムエンジニアコースのヤツが、ハンターの組織のデータベースにセキュリティホールを開けたんだ。見つからないようにね。教官たちにバレないように、毎日少しずつデータを抜き出して、経過観察措置対象の歩行可能者の存在を知ったんだよ。もし、この連中とネットワークが出来れば、僕たちが脱走しても社会に潜り込める組織が出来るのではないかと。」

「それで。」

「経過観察措置対象の歩行可能者との連絡が取れれば、ハンターの情報と引き替えに協力をしてくれる者が出てくるのは当然の結果だった。あとは、施設から抜け出して、この社会に潜り込んだんだ。幸いなことにこちら側には、優秀なクラッカーがいて情報操作で、他人になりすますことが出来たのは大きかったね。」

「あなたたちの目的は?」

「私たちが、世界を支配する。なんて言わないさ。」

 横山は、少し戯けたように静かに笑みを浮かべた。

「じゃあ、なにを?」

「そうだなぁ。あえて言うならば、この社会での共存かな。社会をひっくり返さなくても、お互いの立場を尊重していけば不可能なことではないと思うんだけどね。」

「それができると?」

「ああ、存在価値を認めてもらえれば、生きていく術は後からいくらでもついてくる。」

「で、僕に接触した理由は?」

「まあ、それは、こちら側の仲間になってもらおうと思っていた。数年前からキミは、ハンターのターゲットとなっていた。だけど、キミはそうとも知らず、毎日を怯えて過ごすばかりだった。もう少し違った生き方を示していてくれてたら、もっと早くに声をかけていたかもしれない。まあ、今となっては遅延発病者になってしまったんだけど。」

「僕が悪いと?」

「いや、そうではない。ただ、残念だと。」

横山は、腕時計の目をやり再びこちらに視線を向けた。

「山口伸子は、こちら側に人間だ。」

「えっ。ハンターだって。」

「そう、ハンターだよ。でも、本当は僕たちの仲間なんだよ。彼女は、キミと同じ歩行可能者だった。そして施設で生活していたんだよ。でもね、途中で発病して遅延発病者となったんだ。だけど彼女は、親元には戻らず、ハンターとなる道を選んだ。そして、その後僕たちが接触して、仲間になってもらったんだ。まあ、仲間といってもたびたび連絡を取り合うわけではなく、自主性に任せて行動してもらってるって言うのが正しいのかもしれないけれど。だから、キミのことも彼女に任せていた。今回、キミが遅延発病者になったことで、一番安心したのは彼女だったかもしれない。」

「先輩は、今どうしてますか?」

「さあ、どうかな。キミが、発病したことを連絡してきて、それからは知らん。」

「そうですか。」

 横山は、再び腕時計に目をやり、僕の車椅子からゆっくりと立ち上がった。

「そろそろ、僕は行くよ。あっ、そうだ。こんなことを言っていたヤツがいたなぁ。この病気は、神様が傲慢になった人間たちに与えた、優しさを見つめ直す時間のプレゼントだと。でも、人間はどんな環境におかれても、結局のところその傲慢さは変わらない。と。」

 横山の影は、病室のドアに近づいて

「じゃあ。」

 と、右手を少し挙げて、去って行った。コツコツと遠ざかる堅い足音を、僕は最後まで聞こうと目を閉じた。

 一人になった病室は、再び訪れた静寂と闇が僕を取り囲んだ。そして、多くの眠れぬ時間が通り過ぎて行くごとに、横山の言葉と影は、現実と夢の世界の境界線を漂いはじめていた。夢と思いたい自分がそうさせているのかともわからないままに。

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