第2話 神の裁き

 そもそも、今の社会形態ができあがるきっかけは、1970年に発生した原因不明の病気から始まる。日本での発症は、大洪水のように突然やってきた。まず、3歳ぐらいまでの幼児が、突然高熱を出し倒れた。熱は一週間程度で下がるが、その後、ほぼ全員下半身おもに脚力が減衰し、歩行困難に陥った。感染経路はもちろん、病原体自体も見つからず、状況は加速度的に悪化する一方だった。抵抗力の少ない、乳幼児には瞬く間に広がり、徐々に上の年齢層も浸食していった。

 政府も民間も、全勢力を注ぎ病気の解明を急いだが、全く成果を上げられないまま時間だけが過ぎていった。やがて、病気の勢力は小中高の学童年齢の子供たちまで飲み込んでいった。こうなると政府は、学校や交通機関など、公共施設の設備の対応を迫られた。いつも、後回しにされる福祉施策だが、大多数の国民の求めるものは一致している上、政治家や官僚自身、我が子や孫の現実を目のあたりにし、目をそらすわけには行かなかった。予算も優先的に設備改善に回され、環境整備は急ピッチで進められた。いつか自分にも訪れる、そのときのためでもあり時間に追われながらも淡々と行われていった。

 その一方で、病気に対する研究はいっこうに進展せず、研究者の間でもあきらめの言葉さえ出てきていた。唯一の救いは、発病後下半身の麻痺が残るものの、生命に関わるところまでにはいかないことであった。麻痺の強弱は個人差があったが、ほぼ同一の症状だった。病気の、感染率が全人口の50パーセントを超えた頃から、この状況がさも当たり前のように人々は受け止めだした。親たちは我が子が発病しても、誰もが麻疹か水疱瘡にでもかかったかのように、病院に行き医師の診断を静かに聞いた。大人の発病の場合は、多少なりとも精神的な抵抗があったが、短期の入院を経て、生活訓練を受けた後、もとのくらしに戻っていった。社会基盤は、着々と整備され、たとえ発病後であっても、生活の不自由さは年数をおうごとに少なくなっていった。

 最初の、感染者の発見から30年足らず経過した現代では、全人口の98パーセントが発病した。病気の原因究明に行き詰まった頃から研究者たちは、発病しない人々に最大の関心を寄せていた。政府は、この病気の研究目的と言って、未発病者の人たちを集めだした。大人はもちろん、2歳くらいになっても発病しない幼児まで研究施設に集め隔離された。その次に政府は、「社会貢献法」を立法化し、検査の終わった人たちを特定の職種に就かせた。社会貢献法とは歩行可能者は、その能力を最大限に生かし、社会に貢献しなければならないと言うものであった。その職種は、歩行可能者でなければできない危険を伴う仕事も多かった。当然、反発する人間もいたが、最終的にはほかの選択肢は存在しない状態だった。まだ、小さい子供たちは、一般社会とは隔離された教育機関で育てられた。洗脳と呼ぶべき教育を受けさされた子供たちは、社会への抵抗力を失い、そのシステムに組み込まれていった。この操り人形とも言うべき子供たちが、社会に出て行けば行くほどに世界は静かに落ち着いていった。

 ただ、この子たちの親は、歩けると言うだけで自分たちの子供の将来が、勝手に変えられることを素直に受け入れられる訳がなかった。

 このような状況から逃れるため検査からの逃避や検査証の偽造などが行われたという。このころから、社会貢献法から不正に逃れようとするものに対して、取り締まりを行う機関が存在するらしいという噂が世の中に流れ出した。現在、人々がハンターと呼ぶものだが表立っての活動があるわけでもなく、政府自体が存在そのものを否定していたにも関わらず、その噂が絶えることはなかった。

 人々が、おもしろおかしく噂しているのを僕は恐れを抱いて聞くだけだった。

ハンターは、捕まえた歩行可能者をどうしようというのだろうか。施設に送り込み、洗脳して、新たな苦役につかそうというのか。それとも、悪夢というべき病原体に感染しない体を切り刻み、原因とか免疫性の研究に使おうというのだろうか。

 どちらにせよ、今の生活を続けられなくなるのは確かであろう。今の生活に、満足しているわけではないが、平穏な毎日を奪われると思うと体の芯が堅くなるのがわかる。たとえ、追われている感覚で震える夜を過ごそうとも。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る