第16話 生贄(Sacrifice)
やりきれない思いを胸に
たまたま狭い裏路地に「冨久屋」という小さな店の看板を見つける。見てみると出入り口前の雪かきをする若い、とは言え凪沙より五つは年上に見える女性店員と眼が合った。温かみのある包容力を感じる目だった。それに素朴だが不思議と美人だ。その美人店員は外見に違わぬ美しい声で凪沙に声をかけてきた。
「どうぞいらっしゃいませ。開店したばかりですから席は空いてますよ」
やけ酒か。それも悪くない。普段なら節約のために飲酒など控えていたが、
凪沙も静かに飲んだ。枯れた味わいの肴が酒によく合う。二時間ほど飲むうちに凪沙は酩酊寸前にまでなった。
窓の外は吹雪いたり止んだりを繰り返しているので客の入りは悪い。凪沙はカウンターの隅っこで一人物思いにふけっていた。この先自分はどう生きればいいのか。
「あれ? もしかして凪沙さん?」
神経質そうな声。
「ああ、そうだ間違いない、凪沙さんだ」
野太い声。
「
驚いて涙を拭く暇もなかった凪沙。
「僕たちまた旭川に来たんですよ。僕は函館に来たことがなかったと言ったら彼が連れてきてくれたんです。観光です。湯豆腐と熱燗四合」
晃の声は幾分和らいでいるように聞こえた。
「
桐吾がごく軽い口調でそう言いながら凪沙の隣に、晃がさらにその隣に座る。凪沙は泣き出しそうになるのを堪えて吐き出した。
「
わずかに驚いた表情を浮かべた桐吾は痛ましそうに言う。
「そんな。あんなに函館に来たがっていたのに。一体何があったんですか」
「私の母が
桐吾と晃は沈黙する。小鍋の湯豆腐が来ると晃は黙ってそれをいそいそと桐吾に取り分けた。その間に桐吾が重い口を開く。
「凪沙さんと
「どうしてそう思うんですか」
凪沙の言葉は投げやりだった。
「何と言うか…… 匂いとでも言おうか、まあそういう曖昧なものです」
「……その通りです」
桐吾は得心したように深く頷いた。桐吾の声にさらに深刻さが上乗せされる。
「これからどうなさるおつもりですか」
「判りません…… まだ何も……
俯いて涙を流す。桐吾が重々しい声で言った。
「それでいいんですか」
よくない。何一つよくない。
桐吾が更に凪沙に詰め寄る。
「では、彼らは
どうでもいい。藤峯の家が潰れようが村人が何百人路頭に迷おうが凪沙にとってはどうでもよかった。腹の底からどうでもよかった。
だが
「
「優しい方なんですね。
桐吾は穏やかな口調で言ったが、すぐにすうっと眼を細める。
「しかし……」
「しかし?」
「どうなんでしょう。
だがその生贄に自ら進んでなりたがるのが
「これまで育ててくれた父親への恩義も感じていたんでしょう」
「それなら倒れた親御さんの看護をするとか、そう言った形で恩返しをすればいい。もし、親御さんが今回のような望まぬ婚儀をさせるために
◆次回 第17話 決意する凪沙
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