第8話 死に勝るもの

 フェリーは個室にするか雑魚寝にするか凪沙なぎさは悩みに悩んだ。愛玲奈あれなの体力面を考えたら絶対に個室がいいし、愛玲奈あれなが凪沙を求めてくるのは間違いないからだ。実際、立ったまま乗船を待つ愛玲奈あれなは凪沙に腕を絡ませてどこかうっとりと頬を上気させ夢うつつな表情を見せている。だが、資金面を考え半額で済む雑魚寝の寝台のチケットを買った。いつか愛玲奈あれなとスイートに乗って海の旅をしてみたい凪沙は妄想をした。


 何もない床の上に間仕切りのカーテンを引いて、人心地着いたところで早速愛玲奈あれなが熱くて甘い溜息を凪沙に吹きかけながら火照った身体をなすり付けてきた。ここの間仕切りは足元は丸出しなので二人が何をしてるかは丸判りになってしまう。閉口した凪沙はその場から逃げ出し最上階の展望デッキの喫煙所に出た。


 ふわりふわりとうねる波のせいで凪沙の足元もふわりふわりと頼りなく揺れる。それが面白くもあり気持ち悪くもあった。黒くて細くて長い煙草に火をつける。紫煙の向こうの更に向こうのガラス戸の更に向こうは小ぬか雨だった。風が強い。だけどなんでこんな中に薄着でデッキに出ている奴がいるんだ? 酔いでも覚ましているのか。黒いシャツを着たその若い男は手すりに手をかけ何かをじっと見つめている。それを見ているうち凪沙の中に黒い不安がもくもくと浮かび上がる。こいつもしかして。

 男が海に向かって身を乗り出すと凪沙は確信した。こいつ死ぬ気だ。咥え煙草のまま喫煙室のドアを開けデッキのドアを開け男に向かって長い髪を振り乱しながら一直線に突き進み、男の腹に両腕を回すと思い切り引っ張る。二人は濡れたデッキにその身体をしたたかに打ちつけられた。

 遠くから「あきら!」と男の太い叫び声がする。凪沙は男から手を離し大の字になった。消えて湿気てしまった咥え煙草のまま男に向かって吐き捨てる。


「目の前で死なれちゃ寝覚めがわりいんだよ」


「死ぬ……?」


 男は呟いた。


「晃こいつは一体どういうことだ。あの、どうしたんですか? こいつが何かしましたか?」


 太くていかにも筋肉質な声をした筋肉質な男が晃と呼ばれた若い男と凪沙に訊いてきた。凪沙は荒い息で答える。


「こ、いつ、が、海に飛び込もうとした……」


「そりゃ、この子の早とちりだ」


 黒いシャツの荒い息で男も答える。


「ちっ、身を乗り出して……」


「何かいたからよく見ようと……」


「嘘だね、こんな暗がりで何が見えるってんだっ」


「でも見えたんだよっ」


 細かい雨に濡れた二人は身体を起き上がらせて睨み合う。髪にも服にも小さな水滴が無数についている。


「判った。とにかくこいつの身を案じてくれてありがとう。それにはお礼を言う。服のクリーニング代も出そう」


桐吾とうご! そこまでする事じゃないって。こいつが勝手にした事なんだから」


 その晃の言葉で凪沙は頭に血が上った。


「ああそうかい。確かにこれはわたしが勝手にしたことなんでお構いなく。あんたも今度は止めないから勝手に死んでくれ。な、ほら」


 凪沙はさっきまで晃がいたフェンスを親指で指差し、濡れてフィルターだけになった咥え煙草をぷっと吐き捨てるとその場を立ち去ろうとする。

 桐吾と呼ばれた男はそれでも凪沙の背中に声をかけた。


「あんた、どこに宿泊しているんだ? あとで礼にでも行かせてくれ」


「気遣い御無用ッ」


 桐吾の気づかいの言葉に凪沙はそう力を入れて吐き捨てると展望デッキの扉を開いて出た。

 シートに戻ると不貞腐れたのか愛玲奈あれなは自分の分だけ布団を敷いて寝ていた。凪沙は風呂に入って身体を温め着替えてコインランドリーで濡れた服を乾かす。やれやれ、少し縮んでしまったかもしれない、とうんざりする。シートに戻ると愛玲奈あれなを抱き寄せる。それに応え愛玲奈あれなが寝ぼけ眼でしがみ付いてきた。いい匂いがした。そのまま落ちるように眠りについた。


 凪沙がふと目覚めると愛玲奈あれながいなかった。時計を見ると四時三十七分だった。トイレに行ったのかとも思いゴロゴロして帰り待っていたがいつまでたっても帰ってこない。仕方がないので探しに出かけた。

 愛玲奈あれなは寝台のすぐそばにある吹き抜けで開放的な展望ラウンジにいた。窓の外は雨の叩きつける一面の黒一色で、どこか不吉だった。

 愛玲奈あれなは一人ではなかった。よりによって凪沙が展望デッキで出会ったあの二人連れの男と一緒だった。頭に血がのぼる凪沙。愛玲奈あれなは男に対し脇が甘すぎる。


「何やってんのここで」


 男たちを無視してつっけんどんに愛玲奈あれなに詰め寄った。


「あ、凪沙。これすっごく面白いの」


 表情をぱっと明るくして凪沙に話しかける愛玲奈あれな


「いやそうじゃなくて何やってんのあんた」


「何って、カードゲーム?」


 確かに愛玲奈あれなの手には何枚かのカードが握られていた。


「いや、済いません。彼女の方から興味津々に話しかけられたのでつい仲間に引き入れてしまいました。何だったらもうお開きにしましようか」


 筋肉質で背の高い桐吾が低く、だが丁寧な口調で言った。もう一人の神経質そうで華奢な一見してコンピュータエンジニアに見える晃は凪沙に対してあからさまな警戒感を見せる。


「そんなのもったいないわ。ね、凪沙、一緒にやってみない? とっても面白いの。ね、お願い」


 愛玲奈あれなに手を合わせて可愛らしくお願いされてしまった。そうなると凪沙にも抵抗のしようはない。わざとらしくため息を吐いて参加する。

 じぶんの手番に山からカードを引いてその手札の中から場にカードを出し最終的にカードの数値が一番小さかったものが勝者となる。中世風のおどろおどろしい絵が描かれたカードも雰囲気がたっぷりだ。

 何度かプレイをするうちにコツを掴んだ。何度目かのプレイの終盤、凪沙はカードを引いてぎょっとする。そこにかかれていた数字は最強のゼロ。大きく禍々しいデザインで数字のゼロがが描かれた脇に二体の死神が大鎌を振り上げわらっている。それはゼロが、無が、死が、何ものにも勝る最強の力であることを意味していた。

 凪沙の手番が終わると愛玲奈あれなが両手を振り上げて歓声を上げ、手札の最後の一枚となるカードを場にだす。ゼロのカードだった。黒々としたタッチのカードの山の頂上で勝ち誇ったように死神がわらい飛び跳ねる。ルールではあと一巡して愛玲奈あれなの出したカードを妨害できないと愛玲奈あれなの勝利になる。ゼロを、無を、死をもってして愛玲奈あれなは勝者になる。二人の男に手持ちのカードはなかったようだ。残念そうに笑って頭を振る。そして凪沙は愛玲奈あれなの死神の上に自分の死神を乗せた。こうすることで勝者は凪沙になった。凪沙は死に死をもって勝利を得たのだ。死を制するものは死しかない。


「ああもう惜しかったなあ」


 悔しそうな愛玲奈あれなに凪沙は何も言わず、心の中で一人呟いていた。死ぬのは自分一人でいい。わたしは愛玲奈あれなの為なら死ねる。もし叶うのなら何度だって。


◆次回 第9話 決意

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