第10話 産まれざるもの

 苫小牧の支笏湖通りでヒッチハイクした車の運転手はどこか気が弱そうでせわしない男だった。


「伊達までなら乗せられるけど……」


 と言った彼は気が急いてるようでもあり、どこかそわそわと嬉しそうにも見えた。


「それでもう充分です。ありがとうございますっ」


 嘘で塗り固められた笑顔を振りまいて凪沙なぎさは車に乗り込んだ。愛玲奈あれながあとに続く。


「しかし、こんな季節にヒッチハイクとは大変だねえ」


「ええ、大学のサークル活動の一環でして。わがサークルの伝統で記録を取ってるんです」


 男は凪沙が話を振るまでもなく勝手に自分の話を始めた。まもなく初めての子供が生まれること。長い不妊治療の結果、夫婦ともに待望していた子供でもう名前まで決めていることなど。

 彼が気ぜわしいのは早く妻のいる産婦人科に着きたいからなんだなと凪沙は思った。


「元気なお子さんが生まれるといいですね」


 愛玲奈あれなも珍しく言葉をかけた。


「なんかちょっと早いんだけどもう陣痛始まっちゃってるみたいだからさっ、急がないとなっ」


 伊達市まではおよそ一時間強の道のり。だが残り二十分ほどで異変が起こる。男のスマートフォンが鳴動する。


「おっなんだよ、もう産まれちゃったのかよ」


 男は笑顔でハザードを点灯し車を路側帯に停めスマホを取る。男の笑顔がみるみるうちに青ざめ呆然とした相貌に代わっていく。


「ああ、ああ、判りました。とにかく今から急いで行きますから」


 スマホを切って胸ポケットに入れる男は無表情に呟いた。


「あの、どうかされたんですか?」


 凪沙は恐る恐る尋ねた。


「死産だってよ…… あいつの身体も危ないって……」


 二人は凍り付いた。


「散々つれえ思いして不妊治療したってのに、こったらことになるなんてなあ……」


 男はウィンドウの向こうのどんよりと曇った空を見つめ脱力して呟く。


「急ぎましょう!」


 凪沙は力強く言った。


「え?」


「奥さん危ないんじゃないんですか? 行って元気づけてあげましょう!」


「ああ、そうだな!」


 男の眼に活気が甦る。男はスピード違反すれすれで車をぶっ飛ばした。


 男は今後これから子供が生まれるまで不妊治療を続けるのだろうか。子供が生まれるチャンスがあるだけ良い。わたしたちにはそんな機会天変地異が起きてもあり得ない。凪沙はふと寂しくなった。子供がいたらどんなにか幸せだったろう。養子をとればいいと言う事もできる。だがそれは血を分けた子供ではない。自分の腹を痛めた子ではない。やはり私たちは自然界の中では異質な存在なのか。そう思うとやり切れなくて悔しくなる。


 国道前の病院で二人は降ろされた。凪沙は男に向かって手を振る。


「まだ何かも終わったわけじゃないですから! まだ機会はあると思っていれば! きっと幸せになって下さい!」


 疲れ切った表情の男には凪沙の言葉は届かない。やつれた蝋人形のような顔のまま振り向くと病院の奥へと小走りに消えていった。

 彼のように機会があるだけまだましだ。わたしたちにはそんな可能性ゼロなんだから。凪沙は心の中で独り言ちた。


 確かに、生きていれば機会はある。きっと必ず機会はある。

 だけど生きられなかった者はどうなのだろう。生きて産まれることすら許されなかった者は全ての機会が失われたまま静かに消えゆく。その事実に凪沙は珍しく鼻の奥に刺すような感覚を覚えた。隣の愛玲奈も目を潤ませている。凪沙は愛玲奈あれなの肩を抱いて病院の敷地を出た。強い寒風が凪沙の長い髪をなびかせる。


◆次回 第11話 通行止

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