第14話 望まぬ来訪者
それから六日後のひどい吹雪の休日だった。まだ三時なのに薄暗い。二人はすっかり剥げた土壁に寄りかかり腕を絡ませていた。
「ねえ、今日誰かの誕生日だっけ」
「ううん、誰の誕生日でもない」
凪沙も静かに囁く。
「じゃあなんでロウソクを灯すの」
「きれいでしょ」
「うん…… きれい…… ずっと見ていたくなる。それにいい香り」
「そ? よかった」
まもなく、あと三ミリで二人の唇が重なる頃、汚い音を立ててけたたましく呼び鈴が鳴った。二人はビクッと震えてドアを見る。凪沙よりは少し背の低い人影が玄関ドアのすりガラスに映っている。
「だれ……?」
「判らない……」
凪沙も緊張した囁き声を吐く。
もう一度苛立たしい音を立ててブザーが鳴る。
「出るの?」
「ああ」
「いやよ私怖いっ」
「大丈夫。大丈夫だから」
もしこれが
また耳障りな音で呼び鈴が鳴る。
凪沙はドアの前まで行ってすりガラスの向こうの顔を確認しようとしたが薄暗いせいもあってさっぱり判らない。
「だれ?」
反応はない。代わりにもう一度呼び鈴が鳴るだけだ。凪沙は腹を括ってドアをいきなり開けた。特殊警棒を構える。猛烈な雪と風が吹き込んできてろうそくの火が消えた。
逆光でよく見えない黒い人影は女性ながら震えあがるほどどすの効いた声で凪沙に言い放った。
「親に向かって何をするがやこん馬鹿もん」
よく聞いた声だった。母の
「かあ、さん……」
凪沙が呆然としていると淑枝は分厚くてがさがさで皺だらけで陽に焼けた手のひらで力いっぱい凪沙を平手打ちした。頬がはたかれる大きな乾いた音がする。凪沙はそのまま尻餅をついてしまった。淑枝は靴を脱いでずかずかと六畳一間の部屋に上がり込み、拳で凪沙に更なる一撃を加えようとした。二人の間に
「どいとーせお嬢さん」
「どきません。お母様」
「お嬢さんにお母様などっと呼ばれる筋合いはない」
二人はしばしにらみ合う。がやがて淑枝は忌々しそうな顔をしてちゃぶ台の前にどっかと腰を下ろした。
愛玲奈
「やめっとおせぇ。藤峯のお嬢さんにそがなことはさせられん」
「わっ、私っ、私もうお嬢様じゃありませんからっ、これぐらいのことはしますっ」
その頃には凪沙も気を持ち直し母と正対する位置に座った。
十秒の沈黙ののち淑枝が凪沙に言い放った。
「こりゃ一体どういうことやか?」
凪沙は悲痛な表情を浮かべ沈黙して俯いた。
「われらがおらんなってからというもの、村ではわれがお嬢さんをたぶらかしてかどわかしたって評判の的ぜよ」
その通りだ。二十九も上の男との縁談が来て、凪沙と別れたくないと号泣する
「……それは、当たってる。わたしが
「どいて?」
「私に縁談が来たからです」
「どいて? 言いゆぅ意味があわからん」
淑枝は再び凪沙の方に顔を向ける。
「われが縁談の来たお嬢さんを哀れに思うたがかえ? それとも妬ましかったか?」
「私を救い出すためにです。あれは私の望んだ縁談ではありませんでした」
「望まん縁談やって? それで手に手を取って逃げてきた、ということやか」
「はい」
「で、これからどうするか?」
「ここで暮らします。死ぬまで」
「……死ぬるまで、やか?」
淑枝は初めて驚いた表情をした。
「はい……」
「望まん縁談か」
淑枝は独り言ちた
「お嬢さん。この縁談はみんなを救う。そがな縁談や」
「どういうこと?」
凪沙は思わず訊いた。
「
最後の言葉に凪沙も
「潰……れる?」
さっきまでの強い意志を見せていた瞳からすっかり力が失せる。
「そんなばかな。大体なんでそんなこと知ってんだ」
凪沙が母の言葉を否定しようと試みるが、淑枝に一蹴された。
「そがなん誰だって知っちゅう。知らん奴は耳の穴がそこいら辺の木の穴みたいになっちゅうんやろう」
淑枝は凪沙を睨んで吐き捨てた。
「もおひとつ、良うない知らせがあるんじゃ」
「なに?」
凪沙の声を再び淑枝は一蹴する。
「われには関係ない」
そして淑枝は
「実はおまさんたちがおらんなってざんじ、旦那様が床に伏してしもうた」
◆次回 第15話 生涯の愛
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