第28話「同じじゃないのかな」
おにぎりは縁側で食べることにした。僕を挟んで、アオイとじいちゃんが腰かける。
「母さんは?」
「お夕食作るんだって」
「そっか」
日が暮れれば、仕事を終えた父さんもやってくる。母さんは昼ご飯をさっさと済ませ、支度を始めたらしかった。
「おじいさん、梅と昆布どっちがいいですか?」
「じゃあ、昆布をもらおうか」
「はい」
アオイがおにぎりを差し出すと、じいちゃんは「ありがとう。頂きます」と笑った。白くてしなやかな腕から、日焼けしてところどころシミのある腕に手渡される。
縁側に置いたお皿には、二つ残っていた。僕が適当に手を伸ばすと、アオイが「純平はこっち」と指さした。
「あ、そうなの」
僕は促されるまま手に取った。
隣でアオイが、こちらをじいっと見ている気配がする。
──無言の圧……。
「い、いただきます」
妙なプレッシャーを感じながら、一口ほおばった。
パリパリの海苔が巻かれたおにぎりは、ふっくらと握られていた。ほどよい塩味のあとで、食べ慣れた具のうまみが口の中に広がり、はっとした。
「これ……」
──僕の好きな鮭マヨネーズだ。
「どう?」
アオイが首をかしげるようにして、僕の顔を覗き込む。
「おいひい」
僕はもぐもぐしながら答える。
「ほんと?」
「うん。本当に、おいしい」
「良かったぁ」
彼女は、ほっとしたようににっこりすると、自分もほうばった。
──もしかして、僕の好みに合わせてくれたのかな……。
「う〜ん! おいしいねぇ、純平」
「うん」
アオイは本当においしそうに笑みを浮かべた。
その顔が、この時間を精一杯味わおうとしているように見えて、胸がちくりとした。
「葵さん、ご馳走様でした。とっても元気が出たよ」
じいちゃんは満足そうに微笑んだ。
アオイは「私は握っただけで……」とほんのり頬を赤くした。「私、普段お米を食べる機会がないんですけど……。このお米、毎日食べたいくらい美味しいです」
「それは良かった」
じいちゃんは意外そうな顔もせず、ただ頷いた。
「お家の前で獲れたんですよね」
「そうだよ。あそこから、あそこまでが、うちの田んぼなんだ」
じいちゃんは指で宙をなぞってみせた。
「へえ」
アオイが瞳を大きくして、前のめりになる。
「ここらを見るのは初めてかい?」
「えっと、はい。遠くから引っ越してきたばかりで」
遠くというのは、未来のことだ。
「じゃあ、少し案内しようか」
じいちゃんの言葉に、アオイの顔がぱあっと明るくなる。
「はい!」
おにぎりを食べ終えたあと、僕は風呂場に向かった。
「葵ちゃんは?」
台所でネギを切っていた母さんが訊いてきた。
「じいちゃんと外を見てる」
「そう。あんたが女の子のお友だちを作るとはね。いい子ね、あの子」
「うん」
「可愛いし」
「う……」
──危ない。また反射的に頷くとこだった……。
母さんは鼻歌交じりに、まな板をとんとん鳴らした。
風呂場に入ると、蛇口をひねり、木の桶に水を注いだ。
──可愛い……。アオイが、可愛い……。
なんだか頭から離れない。言葉にされると、きもちの輪郭がはっきりと感じられた。
『私、好きだな。ここ。連れてきてくれてありがと、純平』
『これで良し……!』
『う〜ん! おいしいねぇ、純平』
彼女の笑顔と言葉が、頭の中でふわふわと浮かんでは消えていった。
「あ……」
気づけば、桶から水が溢れていた。
風呂桶を抱えて縁側に戻ると、蚊取り豚を不思議そうに覗き込むフロッディがいた。
「フロッディ。どこにいたの」
「純平サン。博士の肩にいたのですが、髪の毛が暑いので出てきマした」
──そっか。今日は髪下ろしてたもんね。
フロッディは小さな前脚をパタパタとあおいだ。
「ちょっと待ってて」
僕は水を張った桶をもう一つ持ってきて、縁側に置いた。「はい。これ」
「おお。ありがとうございマす」
彼は、ぴょんと跳ねて桶に入ると、温泉に浸かったように「はあ」と息を吐いた。
僕も靴脱ぎ石に桶を置いて、裸足を浸した。ひんやりして気持ちがいい。
アオイは庭の隅にある畑を熱心に見ながら、じいちゃんに何かを訊いている。ナスやトマトが大きく膨らみ、採り頃を迎えていた。
丘をくぐり抜けてきた風が稲穂を撫で、縁側に腰を下ろすように、ゆっくりと家の中へ入ってくる。
ちりん、りん……
風鈴の涼しい音が揺れていた。
「のどかな風景ですねぇ」
フロッディが、しみじみと言った。
最近、彼の話し方は、前よりずっと滑らかになった感じがする。四角くした目を釣り上げて、アオイやテッちゃんと言い争う姿も見なくなった。
「君たちも水ノ宮から来たんじゃないの?」
彼は「未来では都市化が……」と言いかけてやめた。「すみません。この時代を生きている方に話すべきことではありませんね……」
「ううん。そっか……。きっと、変わっていくんだね」
『米農家は、じいちゃんの代で終わりにしようと思ってるんだ』
申し訳なさそうに話す、じいちゃんの顔を思い出した。
「はい……。こうして時を渡ると、世界は喪失と誕生を繰り返していることに気付かされます。自然も、町も、そして人も」
畦道に出たアオイが腰をかがめて、垂れた稲穂を手のひらにのせている。
フロッディは、その姿をそっと見守るように見つめていた。
「人には時間があるんですね」
「君にはないの? フロッディ」
「さぁ、どうなのでしょう。あったとして、人と同じようには感じられないのではないでしょうか。システムが動作する限り、私は在り続けます。宇宙船からこの体に移ったように、器を入れ替えてしまえば、私という自我は続いていくのですから」
フロッディの眼差しが、アオイを通り越して、気の遠くなりそうなほど彼方に向けられたように感じた。
ふと思い浮かんだのは、風呂桶の舟に乗ったフロッディが大海原を漂う光景だった。どれだけ流されても、延々と地平線を眺めることになる時間の海に、ぽつりと彼はいた。
「お〜い!」
こちらに気づいたアオイが大きく手を振った。
まだ太陽は高く昇っているのに、どこからかヒグラシのカナカナと鳴く声が聞こえる。
僕は手を振り返した。
「俺には……僕には、ずっとこのままがいいな、って思う時間があるよ」
同じように手を振っていたフロッディが僕を見上げる。
「僕らは、同じじゃないのかな。フロッディ」
くりっとした黒目が小さく揺れた気がした。
彼は前を向き直り、そっと目を閉じた。
「──ええ。そうですね、純平さん」
空想少年の宿題 青草 @aokusa
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