女王の珠玉
エピローグ
店の窓を開けてしゃがみ込み、いつものように明かりに
「いい鉱脈を掘り当てたね。かなり強気な価格で交渉してもいいと思うよ。大きい原石は僕が買うから、ほかに売らないで」
「また買うのか」
「いくら石が好きだからって、リシェマの財源は無尽蔵じゃないんだぞ」
購入意思を示した私に、義父とヨバが揃って小言を返す。周年の祝宴が終わった頃から小言の質ががらりと変わったが、私だってそんなことくらい分かっている。
「全部宝物庫に入れるわけないでしょ。サマティラとの流通や罰則の改定も明文化したことだし、そろそろお互いの益になる方法を考えてるんだよ。僕が図案を描いて作らせて身に着けて、『どこで作ったんですか』って聞かれた時にサマティラの
私の提案に、ほお、とヨバは感心したように返す。
「史記には『商才に長けた女王』と書かれるだろうな」
「そんな詳細は書かないでしょ。きっと一行で終わるよ」
苦笑して腰を上げ、窓を閉めた。どうせ『モリヤの預言によりシャヤは王となり、レアブを殺した。』と、その程度で終わる。歴史なんてそんなものだ。
「国を放り出して隣国の店で働く王なんぞ、聞いたことがないがな」
義父は呆れたように言って、顎髭を撫でた。
――サマティラまで攫ってやるから、何日かサエルとして過ごせばいいじゃねえか。あと二年くらいなら、髭なしもごまかせる。
あのあと隊長は、私に女王として過ごす合間に「サエル」を挟むことを提案した。気晴らしとサマティラの状況確認、直接買い付けを兼ねてだが、ハシェンは良い顔をしなかった。
――ならばその間、私もリシェマで過ごす。お前が国を空けるのなら、不在を埋める者が必要だろう。お前にとって私以上の存在はないからな。
相変わらずの調子だが、ハシェン以上に信頼できる存在がリシェマにいないのは確かだ。ぶつぶつ文句を零しながらも送り出してくれることには感謝している。今回仕入れた原石の一つで、ハシェンに贈る指輪を作るつもりだ。それで全てが許されるとは、思っていないが。
「サエル、来てくれ!」
いつものように店の戸を慌ただしく開け、ニブラムが私を呼ぶ。
「何があった?」
「盗みだよ。ヨーゼがアダンの店から首飾りを盗んだらしい」
「ヨーゼが? そんなことをする子じゃないだろう」
ヨーゼは街の外れにある家の息子で、まだ十にもならない子供だ。農夫の両親を助けて働く、真面目な子だった。
「ああ、でもこの前母親が死んだって話をしただろ? それがどうも関わってるみたいなんだ」
ニブラムは小走りでアダンの店を目指しながら、かいつまんで説明をする。
ニブラムを始めとした街の皆には、リシェマに親族を見つけてそちらへ住処を移したことにしている。数年後には独立し、世界を巡る商人となる予定だ。
人だかりを掻き分けて進み出ると、店の前で兵士を待つアダンと座り込んで項垂れるヨーゼの姿があった。
「どうした。何があったんだ、アダン」
尋ねた私に、アダンは少し
「大したことじゃねえよ。こいつが売りもんに手をつけ」
「売りもんじゃないし、お前が約束を破ったからだ!」
遮るように口を挟み、ヨーゼはアダンを睨む。
「煩え、お前は」
「待て、アダン。店の物に手を出したのは、確かにヨーゼが悪い。ただ僕は、ヨーゼが何もないのに売り物に手を出す子供じゃないと知ってる」
アダンの怒声を制し、ヨーゼの前にしゃがみ込んで視線を合わす。
「ヨーゼ。お前は店の品物に確かに手を出したけど、理由があった。それで間違いないか?」
まずは事実を確認した私に、ヨーゼは小さく頷く。
「じゃあ、その理由を教えてくれ。アダンとどんな約束をしたんだ」
「……お母さんが病気で、アダンに薬を買う金を借りてた。でも、死んじゃって……お父さんは、すぐに返せないって。鉱山から帰ってきたら返せるから、それまで待ってくれって、頼んだ。だけどアダンは、家の中からお金になりそうなものを持って行った。金を持ってくるまで待つ、店には出さないって約束で。でもさっき店を見たら、お母さんの首飾りや耳飾りが、店に並んでた」
気丈に語る口が少しずつ涙交じりになる。それでも目元を腕で拭いながら、最後まで自分の思いをちゃんと語った。
「それで、約束が違うから盗もうとしたのか」
私の確認に、ヨーゼは頷く。一息ついて、腰を上げる。すぐ傍の卓に並べられていたのは、大して質の良くない小さな
「鉱山帰りが条件なら、確かに約束が違うんじゃないか」
「やめてくれ、サエル。こっちは元々麦の刈り入れ時には返す約束で貸したんだ。先に約束を破ったのはそっちだろ。それでこっちだけ責められるんじゃ不公平だ」
不服げに返し、アダンは屈強な腕を組む。別に金貸しではない、普通の雑貨を売る商人だ。病人を抱えたヨーゼ一家を不憫に思い、親切心で貸してやったのだろう。その善意を断罪したくはない。
「そうだな。じゃあ、この件は僕が買い取ろう。借金はいくら?」
「銀貨三枚だが……子供だからって、甘やかすのは良くねえぞ」
「そんなつもりはないよ。改めて僕とヨーゼの間で約束を交わすだけだ。鉱山から帰っても返しに来なかったら、売っ払う。うちは宝石商だから、すぐに売れるしね」
見下ろしたヨーゼの顔色が悪くなったが、立て替えることが正しいと思えないのは私も同じだ。
「悪いな。うちも待てる余裕がねえもんでよ」
「分かってる、こういうのはお互い様だ。ヨーゼ、詫びてからお母さんのものを持ってついておいで」
金を渡し終えて踵を返した時、ようやく兵士達が追いつく。またお前かと言いたげな表情に笑い、「もう済んだよ」と返した。
それで、と隊長はいつもの席でぶどう酒を傾ける。
「あれが店に並んでるわけか」
「はい。父親が鉱山から帰ってきたらすぐ返しに来い、早く引き取りたいならお前も水汲みの仕事を探して稼げ、本気で売るぞ、と脅して返しました」
「子供にはちょうどいい薬だな。こっちに連れて来られたら、鞭で打たないわけにはいかねえし」
子供が道を踏み外す理由の大半は、貧しさだ。大人だって、確かに自堕落や放蕩で身を持ち崩すものもいるが、殆どは違う。ヨーゼの家のように病人や怪我人を抱えたり、不作のせいで十分な賃金が支払われなかったりと、多くはやむを得ない理由で身を
「民が貧しさに身を落とさぬようにするためには、まず農夫が一年を通して安定した収入を得られるようにする策が必要です。今のように各自が閑散期に日雇いの仕事を探して働くのでは、零れ落ちる者が必ず出ます。リシェマでも同じ問題があって」
溜め息交じりに目下の課題を伝え、ちぎったパンを噛み締める。
義父はとっくに自由放免になったが、私達の話は聞くのが怖いらしい。隊長が来る夜は、ヨバの屋敷で世話になっている。だから、あれからもずっと二人きりだ。
「神が収穫を終えた大地は次まで休ませるよう仰っている以上、続けて何かを植えるわけにはいきません。今は鉱山労働が主流ですが、さすがに全ては受け入れられませんし」
「農夫は、そこそこ力があって働けるんだよなあ」
隊長は唸りながらぶどう酒を飲み、また唸る。ふと気づいたように、卓の上から視線を私へ向けた。
「国の工事を、閑散期に集中させるのはどうだ」
「ああ、確かに。全てをそうしてしまうと、突発の工事に対応できなくなりますが……でもその考えはとても素晴らしいわ。ぜひ活かしましょう」
基本をそれにして、あとは必要なところへ調整を加えればきっと。素晴らしい策に頷きながら向けた視線が思惑ありげな視線と結びついて、少し驚く。
「なんですか」
「いや、俺の知恵が女王のお褒めに
「そのようなことはないでしょう」
「普段は胸しか褒められてねえ」
返された言葉に、少し時間を置いて顔がじわじわと熱くなっていくのが分かった。
「……あなたは、胸以外も、素晴らしい方です」
ぎこちなく褒めた私に隊長は笑う。
「少し、走らすか」
腰を上げた隊長に私も頷いて続き、いつものようにあとを追った。
店を出て見上げると、紺碧の夜空に輝く月と星が見える。冴え冴えとした輝きだ。
――世を照らし民を救え、シャヤ。
胸に浮かぶ父の声に頷いて、また背を追った。
(終)
失われた王女は珠玉を愛す 魚崎 依知子 @uosakiichiko
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