第13話
レアブの死亡と「失われた王女」の即位は、瞬く間に民にも知れ渡った。一代ぶりの「神の定めた」王にリシェマの民は湧き、祝いの宴は長く続いた。メナムとの戦いを恐れていた多くの民は、隣にいたハシェンの姿に胸を撫で下ろしたことだろう。
一方、サマティラにとっては神の意に沿う新たな王は脅威でもある。レアブの時には己の後ろ暗さゆえに見逃されていた「サマティラ王」を、断罪される恐れがあるからだ。だから、サマティラ王宮への私的かつ内密な夜の訪問は、とても重要なものだった。
「この度は、突然の申し出に関わらず応じてくださったこと、心より感謝申し上げます」
大広間の奥で待つ王と王妃に近づき、サマティラの礼に準じた腰を落とす挨拶をする。場所は王の間ではないが、正装だった。もちろんこちらもそれに見合う格好はしているから、問題はない。
「そのように我が身に謙られる必要はございません、女王。あなたの目には我らなど取るに足りぬ者でございましょう」
王は自嘲の交じる口調で答え、私の腰を上げさせた。背はそれほど高くないが、がっちりとして骨の太そうな男だ。顔は確かに、隊長とよく似ていた。皺を深くして、長い髭や髪に白いものを増やしたら、きっとこんな感じだろう。
ふと湧いた寂しさを収めて、王と視線を合わす。
「かつてカロブ王も、神に選ばれし王でした。そして神の認める唯一の王としてリシェマと、このサマティラを治めました。しかしあなた方は独立を望み、何度か小競り合いを」
窺う私に、王と王妃は小さく頷く。
「王はその小競り合いを終わらす方法を、本当に知らなかったのでしょうか。砂漠の民を滅せば片が付くと、十にも満たない私ですら分かり得たことが分からなかったと?」
中途半端に血を流す小競り合いを繰り返せば、お互いに疲弊していくのは分かっていたはずだ。そこに掛かる金も、戦う兵も無限ではない。終わらせようと思えば、確実な方法はいつでもそこにあった。
「口には出しませんでしたが、王は認めたかったのでしょう。人の子は、神には縋りきれぬと分かっていたからです。人の子は、己の目に見える姿、己の耳に届く言葉を投げる強い存在を欲しがります。もし神がサマティラ人から王を選んでいたら、リシェマ人達も同じように王を立てようとしていたはず。私も、そう考えています」
「では」
控えめに尋ねる声に、頷く。耳元で
「表立って認めることはできませんが、あなたやその血を注ぐ者が善き王としてこの地を治めている限り、私は断罪するつもりはありません。恒久の平和は約束できませんが、あなた方が同じ思いであることを祈ります」
「寛大な御心、なんと感謝を申し上げれば良いのか。もちろん、サマティラも同じ思いにございます。共栄のために、力を尽くします」
心強い言葉に、ようやくの安堵が湧く。致し方ない状況になれば兵を挙げざるを得ないが、私はサマティラともメナムとも、ほかの国とも戦いたくはない。
「その言葉が聞けて安堵いたしました。また改めて使者を派遣いたしますので、流通に関する契約は全て明文化いたしましょう。諍いを引き起こす理由を一つずつ消していくのです。あと、個人的にはサマティラの素晴らしい
「今日も、大変に美しい石を身に着けていらっしゃいますね」
ふふ、と頬を緩めた私に、初めて王妃が会話に加わる。願ってもない話題だが、王妃も気になっているのだろう。頷いて首飾りを指先で軽く撫でた。
「ええ、とても美しいでしょう。このように色は違いますが、面白い組み合わせなのですよ。センではこの柔らかな白い石を、タヤではこの鮮やかな青紫の石を、共に『
「ああ……実は私も、タヤの
王妃は納得したように頷いて答えたあと、王をさり気なく一瞥する。どことなく王が所在なさげに見えたのには、気づかないふりをしておいた。
「まあ、そうなのですか。では、祝祭の日にまたお美しい姿にお会いできるのですね。楽しみにしております」
答えて、笑んでおく。見下さず、謙らず、ただ事実を告げるだけ。気難しい王でも素直に受け入れられるだろう。これでもう、義父は自由になるはずだ。
「女王、ぶどう酒はいかがですか」
「ええ、いただきましょう。サマティラのぶどう酒は、身を隠している時にも飲みました。とても美味しかったのを覚えています」
光栄です、と答えた王から盃を受け取り、軽く掲げた。口へ運ぶと、馴染んだ味が喉を伝って落ちていく。一仕事を終えた胸に、長い息を吐いた。
会談を終えたあとは粗末な麻に身を包み、王宮を出る。今日はひとまず、ヨバの屋敷へ泊まる予定だ。
「これで、無事に義父は解放されるはずです。もし解放されなければ兵を動かしますので、連絡を」
「いきなりの国交断絶はやめてくれ」
隊長は笑いながら、らくだの手綱を繰る。私も笑い、久しぶりの胸に凭れて目を閉じる。相変わらず、ここは落ち着く。
リシェマに戻れば、しなければならないこととしたいことが山のように待っている。レアブの積み重ねた悪行と肥やした私服は、一朝一夕でどうにかできるものではなかった。分かっていたことだし、今は力強い味方もいる。ハシェンはリシェマに逗留し、しばらく私の手伝いをしてくれるらしい。街に出れば、民は私を称えてひざまずく。彼らを守らねばならないと思うし、誓ってもいる。ただ。
「……時々、私を攫いに来てくれませんか。月に一度でも、難しければ二月や三月に一度でも。時々こうして私を乗せて、どこかへ連れ出て欲しいのです」
薄く目を開き、変わらぬ強さで打つ胸の音に耳を澄ます。わがままを言っているのは分かっていた。でも、ここでしか得られないものを私は見つけてしまった。
「こうしていると、美しい石でも埋められぬ何かが満たされます」
この思いがなんなのか、疎い私でもさすがに察せる。一国の女王が軽々しく口にしていいものではないことも。
隊長は何も答えなかったが、腕は私を抱き寄せる。長く安堵の息を吐いて、また目を閉じた。
辿り着いた屋敷の前庭で、隊長は私を下ろす。触れていた手を離せば、もう一度触れる理由はどこにもない。
「この先、『サエル』はどうするつもりなんだ」
「リシェマに親族が見つかったから一緒に暮らす、ということにしようかと」
義父が店に帰ったら一度顔を見せるが、それで最後にするつもりだ。もう潮時なのは、分かっている。
「お前がいなくなったら、街の治安が悪化するな」
「あなたがいれば、大丈夫でしょう」
「俺に昼寝する時間を与えろよ」
隊長は笑ったあと少し間を置き、私に手を伸ばす。ちらつく松明の灯りに、思惑ありげな笑みが揺れた。
「いつまでもってわけにはいかないが、いい考えがある」
指は私の顎を軽く撫でて、離れた。
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