第12話

 再び食卓に戻り、モリヤのために祈ったあと食事を再開する。

「私がメナムへ向かえば、大きな戦いが起きます。それを防ぐためには、先にレアブを引きずり下ろすしかありません」

「殺すのか」

 隊長はぶどう酒を傾けながら、物騒な問いを投げた。確かに、それを願う胸がないわけではない。

「あなたは、レアブが最も恐れている相手を知っていますか」

「メナムか」

「いえ、神です。彼は神に逆らった父に従い王の座に就いた、許されない存在です。神はその罰として、彼の子を全て取り上げ誰一人として育たぬようになさいました。リシェマの王は、血だけで継ぐものではないとお示しになられたのです。でもレアブ本人の命は奪わない。なぜだと思いますか?」

 乾いたパンをちぎりつつ尋ねると、隊長は汁を平らげて空になった椀を置く。最近はずっと二人分だが、隊長はよく食べるから結局三人分で支度をしている。

「悔い改めか」

「おそらくは。神はレアブには悔い改めて正統な王である私へ座を譲り渡すよう、そして私には……父を、家族を殺した罪を許すようお命じになっているのでしょうね。私の一番底にある暗い願いを、片時も忘れられぬ恨みを、お見逃しになるはずはありません。できることなら、この世の全ての痛みを味わわせてから殺してやりたいと思っているので」

 普段は決して触れない胸の内を言葉にするのは、これが初めてだ。義父にさえ、口にしたことはない

「軽蔑しましたか」

「いや、それぐらい考えてんだろうと思ってた。微塵も見せねえから、余計にな」

 控えめに窺う私を隊長は鼻で笑い、ぶどう酒を傾ける。変わらない姿に安堵して、長い息を吐いた。知られたくはないのに、知っておいて欲しかった。さっきから胸にある初めての感覚が、まだ落ち着かない。

「リシェマで、レアブと二人きりで会います。力を貸してください」

 きっとこんな心穏やかな食事にはならないだろうが、致し方ない。

「あいつには言うのか」

 隊長はぶどう酒のおかわりを注ぎながら、不機嫌そうな声で尋ねた。

「はい。これ以上、悲しませたくはありませんから。協力は得られなくても、話だけはしておきます」

 そうか、と短く答え、ぶどう酒を傾ける。

「レアブには手紙を書きますから、王宮経由で届くようにしてください」

「あいつにも手紙にしろ」

「……そうですね。そういたしましょう」

 ふふ、と笑んで答え、私もぶどう酒を呷る。レアブとの食事には、さすがにこんな粗末な木の食器ではならないだろう。職人にまた発注しなければ。平らげた器から、在庫の棚へと視線を移す。一番下の棚に押し込んだきりの布袋を確かめて、頷いた。


 レアブへの手紙は、隊長が聞き取った形にして送ってもらった。お探しのシャヤを見つけて秘密裏に確保している、王と一対一での面談を望んでいる、食事の場を準備するが応じるか、といった内容だ。

 返信は意外と早く、七日で届いた。内容をまとめれば、面談のあと引き渡しを要求する、場と食事の準備は任せるが、召使いはこちらで準備するとのことだった。

 返信を受けて、場所はリシェマ側の国境付近に隊長が準備し、料理はハシェンに頼んで揃えてもらった。羊肉や野鳥を香草やにんにくと共に焼いたもの、生野菜、豆と野菜とにんにくを煮込んだ汁、ほかにはパンやたくさんの果物、ぶどう酒だ。メナムらしく、にんにくを使った料理が多い。隊長が耳打ちした話では、準備の段階で一通り毒見はされていた。

「久しぶりですね、レアブ。応じてくれたことには感謝します」

「土埃にまみれすぎて、口の利き方を忘れたか」

 召使いがレアブの盃にぶどう酒を注いだあと、こちらへ来て私の盃にも注ぐ。長い卓の端と端、警戒しなくても食事ができる距離にはしてある。

「お前がいつ、神に王だと認められたのです。それほどまでに子を取り上げられながら、まだ気づかぬと?」

「……お前!」

 レアブは声を荒らげて卓を叩いたあと、腹立たしげに盃を傾ける。

 年は五十半ばになったか、でっぷりと醜く肥えて頬も腹も膨らんでいる。髭だけは長く黒々として、金の指輪や耳飾りも格には見合っているが、とても魅力的には見えない。

「お前の要求は、私の引き取りと聞きましたが」

「ああ、そうだ。リシェマへ戻り、我が妻となれ」

 切り分けて皿に載せられた羊肉を、レアブは頬張るようにして口へ運ぶ。蠢く小汚い口に、思わず眉を顰めた。

「恥知らずな」

「何を言う、これは慈悲だ。サマティラでは男として暮らしていたのだろう? 俺が前王とのよしみで、女としての生き方を教え直してやると言っているのだ」

 粘りつくような視線をくれながら、レアブは行儀悪く片手で汁椀を持つ。ふと気づいたように器を眺めた。

「この程度は礼儀だろうと、この日のために私が作らせました。お前の目にも少しくらい良さが分かれば良いのですが」

 ところどころ薄く透けて見える鮮やかな黄色が美しい汁椀は、その皿とともに職人達に作らせたものだ。

 レアブは鼻で笑い、汁椀を傾ける。卑しく喉を鳴らして汁を飲み、野太い腕で口元を拭った。

「そういえば、お前は宝物庫の管理を任されていたな。それほどまでに贅沢が好きなら、王宮が恋しかろう」

「宝飾と聞いて贅沢としか思えぬお前と価値を語り合うつもりはありません。食事は口にあったようですから幸いです、足してやりなさい」

 視線でレアブの召使いに合図し、私も汁を掬って飲む。召使いは奥から壺を手に現れ、レアブの汁椀に二杯目を盛った。

「そういえば、レアブ」

 しばし食事に集中したあと、がつがつと羊肉を食らうレアブを冷ややかに眺めてパンを裂く。

「預言者のモリヤを覚えていますか」

 本題を切り出した私を、レアブは肉を食いちぎりながら睨んだ。

「私は先日、偶然モリヤに会いました。あれは、名を伏せてサマティラの牢にいたのです」

 モリヤの所在に驚いたあと、黙って視線を落とし汁へと逃げる。幼い頃から残忍かつ利己的で、恨みを抱きやすい。サラムを石で打ち殺したのは、何か特別な切っ掛けがあったわけではない。レアブと比べてサラムは心優しく、見目も良かった。人望や憧れを一心に集めるサラムを恨んで、打ち殺したのだ。そんな息子だと知りながらなお、アビムはその座を譲り渡した。

「神は、私にリシェマの王になるようお命じになりました。これがモリヤの最期の預言です」

 突き放しても、その歪みは必ずどこかで現れる。犠牲になるのは私ではない。私の目に分かるように、周りが犠牲になる。私に神の声は聞こえないが、その質はもう知っている。

「今もお前の命が許されているのは、神が悔い改めを望んでおられるからです。お前がアビムと己の犯した罪を心より悔いその座を下りるのであれば、私はお前を許しましょう」

 盃を置き、じっとレアブを見据えて伝える。震えた語尾を飲み込むように唇を噛んだ。私の血の吐くようなこの思いを、この男は知らないだろう。知るはずがない。

「レアブ。その座はこの六年、一瞬たりともお前のものではありませんでした。それはこれからも決して変わることはない。リシェマの王は、お前ではありません」

 睨み合う視線を逸らさず、腹に息を落とす。

「私です」

 はっきりと言い放った私に、レアブは勢いよく腰を上げた。揺れた卓に盃が倒れ、床へ落ちて硬い音を立てる。

「預言など、取るに足りん戯言を誰が信じる? ここでお前を殺せば済むことだ!」

 吐き捨てるように返して手を払うと、壁際に控えていた召使いが部屋の戸を開いた。

 溢れるように現れた兵士達は、私を囲んで槍を向ける。

「一対一と言ったはずです」

「そのようなもの、正直に守る馬鹿がどこにいる。お前以外にな」

 勝ち誇ったように嘲笑うレアブを、冷ややかに見据えた。

「やはり、お前に情など掛けなくて正解でした」

 腰を上げた私に、兵士達が槍を構え直す。大きく一つ、深呼吸をした。私は、間違っていない。

「父を殺し母を殺し、兄達を殺したお前を、私が本当に許すと思ったのか」

 低く伝えて視線をレアブの器にやる。その汁椀も皿もタヤ産の、毒を含む鉱物を加工して作った。食事に毒が盛られていなくても狙って殺せる、以前そちらが口封じをしたのと同じ方法だ。己が使った手段で殺される気分はどうか。

 ほどなく小汚い息と唸り声が聞こえて、緩みきった体が卓の向こうに崩れ落ちる。苦しげな息は、やがて途絶えるだろう。

「預言を翻し、偽りの王となったレアブは死にました。預言者モリヤの最期の言葉により、カロブ王の娘シャヤが新たな王となります。神を畏れる者は、ひざまずきなさい」

 与えた私の命に従いひざまずいたのは三人、おそらくは父に仕えていた兵だろう。

「ならば、ほかの者達は最期まで己の王に仕えなさい」

 その指示を待っていたかのように、装いの違う兵士達が次々と姿を現し部屋を埋める。メナムの、ハシェンの兵士達だ。まあ、控えさせているだろうとは思っていた。

「では、私達は参りましょう。ひざまずいた者だけついてきなさい」

 瞬く間に確保されていくレアブの兵士達を横目に、恭しく腰を上げた三人を立たせる。

「ああ、あなた達はレアブの器や遺体に決して触れてはなりません。あれは毒です。全て彼の兵士達にさせなさい。良いですね?」

 ハシェンの兵士達に伝え、一足早く広間を出る。待っていたらしい隊長に足を止め、苦笑した。おそらく、全て見ていたのだろう。

「軽蔑、しましたか」

「いや、よくやったと思ってる。お前が神になる必要はねえからな」

 穏やかに許す言葉が、胸に沁みていく。泣きそうになって手を伸ばし掛けた時、シャヤ、と呼ぶ声がした。

 振り向くより早く伸びた腕に抱き締められ、溜め息をつく。まあ、来ているだろうとは思っていた。兵だけやって大人しく座っているような男ではない。

「無事か、怪我はないだろうな。触れさせてはおらぬな?」

「なんともありません、ハシェン。大丈夫ですから、少し腕を緩めてください」

 引き締まった胸から顔を上げると、ハシェンは歯を見せて笑む。

「レアブを殺しました。メナムの料理にも、助けてもらいました」

 あの独特の臭いをごまかすには、香りの強いメナムの料理が必要だった。まああの様子なら、疑いもせず掻き込んでいたかもしれないが。

「シャヤ、お前は正しいことをした。お前の父も、喜んでいるはずだ」

 死には死を以って贖われるのは、サマティラでもリシェマでもメナムでも変わらない。でも王を殺し王になった場合は、例外だ。法はこれを裁かない。だから……神は、許さないのだろうが。

「リシェマへ向かいます。すべきことをしなくては」

「ああ。私と我が兵が共に行こう。リシェマとメナムが再び強く結びついたことを、民に知らせるのだ」

 ハシェンの申し出に気づいて探す視線が、立ち去る隊長の背を捉える。

「追うな。あの男はもう、役目を終えたのだ」

 ああ、そうだ。私を守り王にすることが、隊長の部族を守るために必要だった。でも。

――最初はな。

 胸に蘇る優しい声を抱き締めて、促すハシェンの手に従った。

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