第11話

 目を覚ますと朝で、ヨバの屋敷だった。知らないうちにちゃんと衣を着ていたのは、ヨバの召使いが着替えさせてくれたらしい。ただ眠りこけている私を寝台まで運んだのは隊長だった。起こしてくれれば良かったのに。

 まあそれはさておき、今はこっちだ。

 先程センから届いたシュの原石を、卓に並べて確かめる。薄っすら紫がかっているものもあるが、殆どは白いものだ。さすがアテナン王が贔屓にしているだけあって、品質はどれも素晴らしい。透明感のある柔らかな白を薄日に翳してうっとりと眺めたあと、タヤのシュの箱を開けた。

 既に磨かれた紫のシュに合わせて白のシュも部品を準備し、二つのシュを使った一式を作る予定だ。本来は祝祭に出席するメナム王妃に献上するつもりだったが、ハシェンが覆さない限りは私が身に着けることになる。

――いつまでも男の真似は続かぬ。女に戻り私のために生きよ、シャヤ。

 髭の生えない顎を撫で、溜め息をつく。でも私がシャヤとして再び人生を歩むには、問題が多すぎる。メナムが戦いを始める理由を探しているのなら別だが……まさか。

 ふと思い当たった可能性に、宙へと視線をやった。

 前代未聞だが、否定する理由にはならない。私は娘であっても「神が選んだ王」の子だ。預言者モリヤの言葉により、神から授けられた最後の子。王座に就く正当性なら「レアブより遥かにある」と考える者がいてもおかしくはないだろう。私がメナムに下れば、アテナン王は私を正当な後継者としてリシェマの王座に就かせようと考えているのかもしれない。そして勝ったあとは、属国として私に統治させる。メナムがリシェマ攻めをしなかった最たる理由が、「私」で解決されるとしたら。

 もちろん今は想像でしかないが、考え過ぎと一蹴するのも都合が良すぎるだろう。

――世を照らし民を救え、シャヤ。

 脳裏に舞う父の声に、顔をさすり上げる。私がメナムに担ぎ上げられたところで、戦いとなれば夥しい血が流れるのは確実だ。神が百年に寿命を縮めても、血を流す者がいなくなるわけではない。それに、リシェマの王は血筋ではなく神が決めるものだ。神がなぜレアブを未だ放置しているのか知る由もないが、子が一人も育っていないところを見るに、決して許されているわけではないのだろう。

 きっと私が王座に就いたところで、同じようなことになる。それなら私がすべきは、神が選んだ正当な後継者を見つけ出すことだ。

 モリヤを探さなければ。

 生死は未だ不明とされているが、こうして私も生き延びているのだ。どこかで生きている可能性は高い。ただ問題は、どうやって探すかだ。諜報能力もなく部族にも属さない私に、この広い世で人探しをする能力はない。

 メナムが私を擁立しようとしているのならハシェンを頼るのは得策ではないが……いや、だめだ。あの気持ちを利用するわけにはいかない。

 となれば、隊長に頼むしかないだろう。少し頼り過ぎかもしれないが、ほかに策もない。どのみち、昨日は疲れすぎてできなかった報告を聞きに来るはずだ。私も聞きたいことがある。

――お前が『失われた王女』であることなど、とうに知っていたはずだ。

 いつから、「私」に気づいていたのか。

 夜まではまだ時間がある。どちらにしてもこれが必要なのは変わらない。卓の上にあるシュを眺めて、図案を考える。

 幼い頃に宝物庫で見たセンのシュには、美しい彫りで花の図案が入れてあった。リシェマでは見られない、艶やかな花だった。サマティラなら、やはりぶどうか。大きめな楕円を縦長にとって、葉と豊かな実りを彫り込もう。その石を中央に置き、あとの部品はぶどうの房のように紫のシュを多めに。王妃に献上したものは金が土台だから、私は銀にしよう。

 まとまったところで、紙と墨壺を取り出す。細く尖らせた青銅の先を墨壺へ突っ込み、職人達への指示書を急ぎしたためることにした。


 隊長はいつもどおり、少し遅くなってから店を訪れて夕食の席に着く。

「昨日はありがとうございました。寝入ってしまって、気づいたら朝でした」

 礼を伝えた私に軽く笑い、パンを食いちぎった。

「で、王子はなんと?」

「協力は取り付けましたが、決断は簡単ではありません。彼は発注した宝飾品を私自身が身につけて、祝祭前に彼と共に王宮を訪問すればいいと。そのままメナムへ連れて行くつもりのようです。確かに義父を早く牢から出すには最適な方法ですが、その後には危惧があります」

 個人的な内容を省いて説明しながら、私はぶどう酒を傾ける。職人達の仕事が早ければ、一月後には王宮に迎えるかもしれない。

「過ぎた危惧なら良いのですが、アテナン王が私の王位の正当性を主張する可能性を捨てきれません。現在メナムがリシェマ侵攻を行わないのは武力で劣るからではなく、戦いを仕掛ける正当な理由がないのと戦勝後の統治に問題があるからです。ですが私を王として擁立するつもりなら、そのどちらもが解消できます」

 ぶどう酒を手に窺う向かいで、隊長は黙ったままぶどう酒を飲む。隊長が、サマティラがどこまで知って控えているのか、それも知っておく必要がある。

「ですが、リシェマの王は神が選ぶもの。たとえ私が前王の娘であったとしても、それは人の子が王を決める理屈です。神の選んだ者を王に据えなければ、リシェマの統治はできません。私がメナムへ向かうとしても、王擁立の流れとは切り離さなければ。そのためには、預言者モリヤが必要です」

 一旦の結論を伝えた私を、隊長はじっと見据えた。何をどこまで知っているのか、話す気はないのだろうか。

「あなたは、あなたの部族は、私が『失われた王女』であることを知っていた。その力を使って、モリヤを探していただきたいのです」

 隊長は私の願いを溜め息で受けたあと、しばらく黙々と食事を続ける。やはり、難しいことなのだろう。無理なら、ハシェンに頼むしかない。私も答えを待ちながら、汁の椀を傾けた。

「お前が『失われた王女』なのを知ってるのは、俺だけだ。部族の連中は、王を含めて誰も知らない。まあ昨日の一件で『王子に会った女は誰だ』って話にはなってる。でもお前もシャヤとして蘇った以上は、ごまかし切れないのは分かってることだろ」

 やがて切り出された話には、予想外の答えが含まれていた。一人しか、知らないのか。

「なぜ、私がシャヤだと」

「聞いたんだよ、モリヤ本人に」

 更に驚く答えに、隊長をじっと見据える。動揺に落ち着かなくなった胸を、深呼吸で宥めた。

「……モリヤは、どこにいるのです」

「会わせるから、ついて来い」

 平板な声で命じたあと、隊長は腰を上げる。どこに、とは尋ねられないまま、あとへ続いた。

 まさかモリヤもサマティラに身を潜めているとは思わなかったが、確かにこちらならリシェマで暮らすよりは安心だ。生活するには、顔を知らない人間が少しでも多い方がいい。私に会いに来なかったのは、気づかれる可能性を少しでも減らすためか。

 でもいろいろ考えるうちに辿り着いたのは、王宮だった。あの、と思わず零した声にも隊長は答えず、ただ予想した王宮内ではなく詰め所を目指す。

「隊長、どうして。あ……ダメですよ」

 詰め所の中で夜間の番をしていた兵士が、私に気づいて隊長を諫める。義父への面会だと思ったのだろう。確かに会いたくはあるが、まさかここだとは思わなかった。

「いいじゃねえか、黙ってりゃ分からねえよ。一度くらい会わせてやれ」

 隊長の言葉に、兵士は「知りませんからね」と答えて見ない振りを選ぶ。隊長は灯りと鍵を手に取り、許された地下への通路に進んだ。

「『彼』は、いつからここに?」

 入り口で既に嗅ぎ取れた得も言われぬ臭いに、頭巾の布で鼻と口を覆う。ここへ入るのは、もちろんだが初めてだ。

「六年前だ。内乱に紛れてここへ来て、神に選ばれず就いた王を非難してぶち込まれた。違う名でな」

「六年も? 元気なのですか」

「死なねえ程度にはな。もうほぼ目も見えねえじじいだ」

 小声でひそひそと交わしながら、奥へと進む。両側に並ぶ部屋の中に、今は何人過ごしているのか。たまに聞こえるうめき声に怯えつつ、小走りで隊長の背を追う。こんなところに、いつまでも義父を置いておけない。一日も早く、救い出さなければ。

 やがて隊長が足を止めたのは、奥の突き当たりだった。

「いいぞ、入れ」

 鍵を開けた隊長に促されて、おそるおそる中に入る。続いて入った隊長の灯りが、石造りの狭い部屋を奥まで照らす。寝台も何もない場所に擦り切れそうな布を敷いて、痩せた老人が横たわっているのが見えた。動かないが、眠っているのだろうか。

「……モリヤ?」

 小さく掛けた声に、ぴくりと動くのが分かった。

「そのお声は、シャヤ様では」

「そうです、モリヤ。私です。まさか、こんなところにあなたがいるとは。なぜ知らせなかったのです」

 弱々しく嗄れた声を漏らしたモリヤに、駆け寄って答える。

「神が仰ったのです、あなたが私の名を、口にする日を待てと」

 枯れた腕をさするが、もう起き上がることもできないらしい。乾いた咳が聞こえた。

「シャヤ様、我が王。神は、あなたを王に、選ばれました」

「……そのような」

「神の思し召しに、逆らってはなりません。王になられませ、シャヤ様。その輝きで、世を照らすのです」

 少しだけもたげられた手に触れてすぐ、ふっと何かが消えたのが分かった。これを伝えるためだけに、命を繋がれていたのか。神も、酷なことをする。

「安らかに、モリヤ」

 手をそっと置き、神にモリヤの安寧を祈る。腰を上げ、佇む隊長を促して外へ出た。

「モリヤは俺の素性も当てて、お前を守るように言った。それしか部族の生き残る道はないと」

「だから、助けてくれたのですね」

 行きと同じように灯りに揺らめく背を追いながら、少し視線を落とす。鈍く痛む胸を押さえて小さく息を吐いた。

「最初はな」

 ぼそりと返す声に、視線を上げる。なんとなく触れたくなって伸ばした手のやり場に惑い、結局その上着を少しだけつまんでついて行った。

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