バイ・バイ

福山典雅

バイ・バイ

 私はぬいぐるみだ。


 名は「ラプラス・エレメンタル・ド・バルコビッチ」という。

 ちなみに通称は「にゃん太」だ。どうか覚えておいて欲しい。


 私のご主人様は世間で言う所の中二病を患っておられる方で、幼少時は「にゃん太」だったのだが、近年変名を余儀なくされた。本人も呼びにくいのか結局「にゃん太」になっている。どうも中二病を貫く覚悟が足りてない様だ。にわかはこれだから困る。


 この名前でわかる通り、私は猫のぬいぐるみだ。自分で言うのもなんだが、とても愛らしい。二歳のご主人様と共に時を過ごし早十年以上。よだれはつけられるわ、甘噛みはされるは、マジ噛みもされるわ(痛かった)、壁に投げられるわ、カレーやハンバーグを食べさせられるわ、風呂にいれらるわ、川に流されそうになるわ、自転車から落ちるわ、自動車でひかれるわ、散々な目にあっている。雇用保険はどうなっている? 労災だと私は強く訴えたい。


 そんな私だが、ご主人様は汚れる度に自ら洗濯をしてくれた。


 幼少時は洗剤を塗りたくられ、毛がボロボロになりかけ、小学生の時は臭いが取れないと58回も洗濯機で回される苦行を強いられた。流石に中学生になられた現代は、母君がクリーニングに出してくれるので非常に快適である。


 さてそんな酷い目に会う私だが、ご主人様は毎晩愛おしく私を抱いて寝てくれる。実に暖かい。私はそんなご主人様に愛されて幸せだと感謝している。そして朝を迎えるとベッドの端にご主人様の足で押しやられ、完全に潰されかかっているのはご愛敬だろう。マジで労災を申請したい。


 さて、そんな私は現在不穏な状況にある。


 どうにも焦げ臭い匂いが立ち込めた場所にいる。しかも私は紙袋に入れられ、身動きが取れない。いや、動けはしないのだが、この状況は、まさか、いやいや、馬鹿な、うちのご主人様に限ってそんな事があるはずないと私は信じている……。信じているが少し自信がない。


 最近、毛の痛みも激しいし、手や足が破れ、その度に母君から補修を受けている。打ち捨てられず、これだけ深い愛着を持っているのだ、例え結婚しても私を連れて行くべきだと強く訴えたい。不当解雇には断固反対だ。


 だが、どうにも避けられない運命なのかも知れない。


 紙袋に入れられた私を強く抱きしめているのは母君だ。その母君が泣いておられる様だ。愛着のある私を処分するのに涙まで流して頂けるのなら、本望だ。潔く諦めるしかない。


 そうして私は覚悟を決めようと努力した。だが、しかし、やっぱり嫌だ。やめてくれ、踏みとどまれ、考え直せ、まだまだ、私は愛らしいですよ、ホント、マジで!


 だが、そんな私の声が聞こえるはずもなく、ついに紙袋が開かれ、わたしは業火が燃え盛る様な場所に出された。


「美奈、ほら、あなたの大好きだったにゃん太よ、一緒に連れてってあげてね」


 母君がそう言うと、私は冷たくなったご主人様の顔の横にそっと設置された。


 周囲では母君を始め父君やその他大勢の人々が泣いておられる。激しい嗚咽や引き裂かれそうな涙声を上げ、皆がご主人様に今生の別れの言葉を告げ、悲しみと共に花を添えていた。


 そうか、そういう事か……。


 もう半年もの間、私は住み慣れた家ではなく、消毒臭いビョウインなる場所で、日に日に弱々しくなるご主人様と過ごしていたのだ。


 静かに蓋が閉められ、そして暗闇の中、私はご主人様と二人きりになった。


 もうかつての様に私を「にゃん太」とは呼んでくれない。


 もうかつての様に私を抱きしめてもくれない。


 もう一緒にお話する事も、一緒に寝る事も、一緒に出掛ける事も、


 もう、もう、もう…………。


 私は何も言ってくれない冷たいご主人様の顔をじっと眺めた。


 周囲の温度が上がり、激しい業火が私とご主人様を包んでいる。


 あなたにバイ・バイとは言わせない。


 私はご主人様とどこまでも一緒なのだ。












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バイ・バイ 福山典雅 @matoifujino

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