第6話 『夜守兵隊長』

「お、おい・・・もう帰ろうぜ・・・」


「何だよ杏子ちゃん。ビビってるの?」


「!!」


 小さな物音にさえ敏感になっていた杏子は驚いて持っていた懐中電灯を音の方へ向ける。しかし何もない。風で石でも転がった音だったのだろう。現在の時刻は夜の九時を過ぎた頃で空は暗く、周囲は風の音ばかりで人っ子一人いない。


 そんな未成年が補導されそうな時間帯に杏子はどこを歩いているのか。それは昼間に梅子から聞いた怪談の場所、と思われる住宅街だった。繁華街から離れたそこはマンションやアパートが立ち並んでいるが街灯は少なく、歩く人もおらず、繁華街の喧騒が遠くに聞こえる静かな場所だった。


「犬とか猫だろ。それか不審者。アタシたちの出る幕じゃないって」


「だめだよ。潜伏してるネフィリムかも知れないんだから。しっかり確かめないと」


「それだったらどれだけ良いか。ん?良くないのか? でも幽霊なのも、いやでも」


 杏子的には出会いたくないが人々のことを考えればまだ平和な幽霊と杏子的にはぶっ飛ばすだけだが人々にとって強敵のネフィリム、どちらがマシなのかを考えると脳がバグを起こしてしまう。そして残念な事にどちらにせよ杏子にとって良いことは一つもない。


 梅子の前では「ぶっ飛ばしてやる」と意気込んでいたが、いざ現場に来てみればいつものどデカい態度は一体どこへやら。今の杏子は普段とは打って変わって若干内股の弱気な少女である。


 懐中電灯を両手で握りしめて、プルプル震えてお可愛いこと。


 ビビりながら暗い住宅街を進む杏子だったが特に変なことが起こることはなかった。夜の公園へと辿り着いた杏子は登山でもしたのかと思うくらいベンチでぐったりとしている。


「今日はもう帰らねえか? どのみち全部を調べるのは無理だ」


 人影が出現するという場所がわかっているわけでもない現状、怪しい場所を一つ一つ調べていては朝になるどころかそのまま夜を迎えることになりそうだ。それに何より奇妙な噂が事実かどうか確証もない。これでは計画の立てようもない。


「むぅ、仕方ない。また明日来よう」


 ようやく肝試しから解放されたことで少しだけ元気を取り戻した杏子はベンチから立ち上がる。頑張った自分へのご褒美としてアイスでも買って帰ろうか。


 ふと足元を見ると公園の街灯に背後から照らされて伸びている自分とコメットの影が見える。


(少し太ったか?)


 自分の影を見て杏子は二の腕を摘まむ。しかし杏子の腕には贅肉らしいものは付いていない。昼食にパンばかり食べているとはいえ喧嘩まみれの日々で運動は間に合っているからだ。自分の実際の体格と影の自分の間にある若干の誤差が違和感を呼ぶ。


 この影、何かがおかしい。杏子の中で生まれた小さな違和感が急速に膨れ上がる。この違和感の正体を確かめようと観察していた時、火が揺れるように一瞬だけ影の輪郭が僅かに揺らいだ。杏子はその僅かな動きを見逃さなかった。そして直感する。


(こいつは、アタシの影じゃねえ‼)


 反射的にコメットを掴んでその場からすぐに離れる。


 自分がいたベンチを見ると杏子の影が伸びていた場所に人の形をした影が一つ取り残されていた。しかし影のある所には人はいない。その影は輪郭がはっきりとせず僅かに揺れている。


 杏子の影がおかしくなったわけではなかった。あの影がずっと杏子の影に重なっていたのだ。だから実際の体格よりも影が少し大きく見えた。


 こんな奇妙な真似ができる存在を杏子は一つしか知らない。


「んだよ。大本命が釣れてんじゃねえか」


 地面から、ソイツはゆっくりと姿を現す。 影のように黒いソイツは狼のような頭と光る金色の目、鋭い牙と爪を持っていた。その姿は言い表すならば人狼とでも言うべきか。


「なんだ?」


 しゃがれた声でブツブツと何かつぶやいているが何を言っているかはわからない。日本語でもなく英語でもなく全く聞いたことのない未知の言葉だ。だが何故だろうか。その言葉を聞いた杏子は背骨を指先で誰かに撫でられているような不快感と気味の悪さを感じていた。


「杏子ちゃん。この言葉を聞いちゃだめだよ。これは『夜影語』ネフィリムの呪われた言葉だ」


 呪われた言葉。なるほど気分も悪くなるわけだ。


「・・・呪われてなどいない。これは祝福された言葉だ」


 人狼が唸るように言う。


「っ!!」


 杏子は戸惑った。これまで『夜影騎士シャドーナイト』がまともに言葉を発したところなど見たことがなかったからだ。杏子が相手にしてきた『夜影騎士シャドーナイト』は感情など持ち合わせていないように表情を変えず、言葉を発さない。戦うだけの機械のような存在だった。


「女。お前は何者だ?」


「それは今からわかるさ!」


 突き上げた杏子の拳から光が溢れる。


『エンゲージ・マギカ‼ エンチャント・ミロワール‼』


 杏子は光に包まれて魔法少女エクスマギカミロワールへと変身する。とは言っても見た目に変化はない。は法少女らしい衣装ではなく、いつも通りの杏子だ。


「なるほど魔法少女マギカか。好都合だ。取り囲め‼」


 その言葉に命令されてどこからかゾロゾロと他のネフィリムたちが集まり始める。公園はあっという間に包囲された。数は二十人というところだろうか。あちこちにいる。これほどの数を相手にするのは初めてだ。


「杏子ちゃん気を付けて! こいつは『夜守兵隊長ジャックリオン』だ‼ 『夜影騎士シャドーナイト』たちをまとめる隊長クラスだよ‼」


「落ち着け。要は学校で言う班長、会社で言う係長だろ。下から数えた方が早ぇよ」


 杏子にはこんな状況でも軽口を叩く。その場にいた全員が戦闘態勢に入る。戦いが始まる。『夜守兵隊長ジャックリオン』である人狼は動かず、包囲していた『夜影騎士シャドーナイト』たちが次々と杏子に襲い来る。


 しかし『夜影騎士シャドーナイト』など杏子にとって敵ではなかった。魔法少女としての杏子にとって『夜影騎士シャドーナイト』は学校で喧嘩を売ってくるチンピラと大差なかった。あの日、殺されかけていたことが嘘のように杏子は『夜影騎士シャドーナイト』たちを蹴散らす。


 魔法少女と『夜影騎士シャドーナイト』の力の差は明らかだった。


魔法少女マギカがこれほどの出力とは」


 人狼の『夜守兵隊長ジャックリオン』は蹴散らされる仲間を見て冷静に分析する。


「なに余裕かましてんだ‼」


夜影騎士シャドーナイト』たちを瞬く間に倒した杏子は『夜守兵隊長ジャックリオン』へと向かって跳ぶ。地面を一蹴りするだけで攻撃の届く間合いまで一気に近づく。その姿はまるで弾かれた弾丸だ。杏子は空中で勢いを利用して体を大きくひねる。


 回し蹴りの体勢だった。速度と純粋な力が加わるこの一撃は防いだとしてもタダでは済まないだろう。しかし避けるにはすでに遅い。杏子は間違いなく当たると確信する。


 しかし


「なにっ!?」


 杏子の蹴りは外れた。杏子がミスをしたわけではない。そのままいけば間違いなく直撃になっていた。しかし『夜守兵隊長ジャックリオン』が目の前から消えたのだ。杏子の蹴りは標的を失い、直撃の感触の代わりに空を蹴り周囲に突風を起こす。


「どこ行きやがった!?」


 周囲を見ても姿はどこにもない。完全に消えた。焦りたくなるが杏子は落ち着いて何が起きたのかを考える。これまでのただの肉弾戦とは違う。世界の法則を無視した異能の力。それがこの現状を作った。


 突拍子もない考えだが杏子は冷静だ。コメットだって魔法を使った。杏子だってマギカの力を使う。現実という狭い枠組みは捨てなければいけない。戦っている間、世界は超自然と現実が混ざる異空間になる。当然杏子のいるここはすでに「超現実」だ。


 予期せぬことは何だって起きる。


「杏子ちゃん‼ 後ろ‼」


 振り向くと体の一部が地面に埋まった『夜守兵隊長ジャックリオン』がいた。その動きは水の中から出るようにも見える。


夜守兵隊長ジャックリオン』の鋭い爪の突き刺すような攻撃を杏子はギリギリで避けるが頬に僅かにかすって痛みが走る。杏子はその痛みを気にせず右ストレートを顔面にお返しする。今度は当たった。


(少し浅い‼)


夜守兵隊長ジャックリオン』の攻撃を避けたことによって体勢が崩れたせいで拳に体重が乗りきらなかった。『夜守兵隊長ジャックリオン』は後方に吹っ飛んだがこれでは決め手にはならない。すぐに次の一撃を叩きこむため杏子はまた地面を蹴るが『夜守兵隊長ジャックリオン』も再び消える。


「ちっ‼ うぜぇな!」


 イラつきながら周囲を警戒するが今度はいつまで経っても攻撃が来ない。


「逃げられたのか」


 その事実に杏子は苛立ちを隠せない。正面から戦うことを得意とする杏子にとってヒットアンドアウェイほど腹立たしいことはない。そのうえ、しれっと逃げられたとあってはスッキリしない。


「杏子ちゃん! 大丈夫?」


「ああ」


杏子は変身を解くと頬のかすり傷を拭う。血が出ているが大したことはない。


「乙女の顔に傷付けやがって。むかつくやつだ」

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