第4話 今日からアタシは魔法少女
「梅子?」
「え? ああちょっと、ぼんやりしてただけ」
「大丈夫かよ」
杏子はそう言って道端の自販機でジュースを買って梅子に手渡した。
「こいつやるからしっかりしろよ。梅子がそんなじゃアタシの調子が狂うからさ」
「ありがと」
「アタシの優しさに惚れてもいいぜ?」
「ばーか」
少女たちはそう笑い合いながら歩く。女子高生らしい小さな華やかさがそこにはあった。いつものように途中の道で梅子と別れ、自宅のボロアパートに帰宅した杏子は玄関のドアを閉じると同時に息を止めた。いや思わず止まってしまったと言うのが正しいだろうか。
杏子はしばらくその場から動くこともできず玄関で立ち尽くしていた。緊張と混乱のせいだろうか体中からゆっくりと汗がにじみ出てくるのを感じる。それまで静かだと思っていた心臓の激しい鼓動を全身に感じる。
「バレてない、よな?」
杏子がそう言うとバッグからコメットが顔を出す。
「傷は完治してるし魔法である程度記憶をぼかしてあるから大丈夫だと思う」
起こったことをなかったことにできる万能の力など杏子にはなかった。だからあの場でできたことは何もなかったように振る舞うことだけだった。梅子が意識を失ったのは一瞬のことだったし、コメットの魔法もあって彼女の記憶は曖昧なものだ。梅子自身は自分に何が起こったのかを覚えてはいない。
つまり杏子が黙っていれば
「本当のことを教えてあげなくてよかったのかな」
「言えるわけないだろ。こんなこと」
この一連の出来事を一体何と言って説明するのか。バカ正直に説明したって受け入れられるはずがない。いや、仮に受け入れてくれたとしてそれに一体何の意味があるというのだろうか。梅子がネフィリムの存在を知ろうと知るまいと彼女に出来ることは何もない。魔法少女ではない梅子は自分を守ることさえ出来ず、ネフィリムと遭遇すればきっとまともに逃げることも出来ない。ならばせめて恐れや不安を知らず、何も変わらず今まで通りの日常の中にいた方が良い。
それが杏子に出来る精一杯の優しさだ。
姿見鏡の前に立った杏子はバッグをワンルームの隅に投げ捨てその場で制服を脱ぎ捨てて着替える。ネフィリムにひどく痛めつけられたはずの杏子だったが傷はどこにも見当たらない。やはりあの時に負った傷は全て完治したようだ。
「にしても杏子ちゃん。君は魔法少女だったの?」
「んなわけあるか。アタシはただの高校生だ。・・・少なくともさっきまではそうだった。何が何なのかはこっちが知りたいね」
実は正体を隠していた、とかではなく杏子自身も何が起こったのかはわかっていなかった。さっきはただネフィリムを倒してこの場を切り抜けたいと思っただけだ。実際に切り抜けることは出来た。だがその代わり事態は誰も想像していなかった方向へと向かっている。
『エクスマギカ・ミロワール』
杏子の口から自然と出たそれは『マギカ』という名の力。言い換えるならば魔法少女の力だ。つい先ほどまで何も知らなかったはずなのに今ではそんな知識が頭の中に深く刻まれている。だが一体何故、いつからこんな力を持っていたのか。全ては謎で説明のしようがない。
「マギカの力は妖精族が管理しているはず。ならあの力は・・・?」
そして現状の出来事を理解できていないのは杏子だけではない。この力は杏子の中に刻まれた知識通りならば間違いなくマギカの力だ。だが初めに魔法少女の話を持ち掛けてきたコメットにとってもこれは『想定外のもの』のようで小首をかしげている。コメットはしばらく何か考え込んでいるようだったが諦めたのか顔を上げる。
「まあ難しいことは追々考えるとして。今必要な情報を共有しよう。さっき君が戦った
確かに魔法少女となった杏子は
「魔法少女である以上これから先、君は世界を守るために戦い続けなくちゃいけない。例えどんなことがあろうとね。」
当然気は進まない。命が掛かっているからだ。自分のだけはない。何も知らない無力な人々の命もだ。その全ての命は不良の女子高生が背負うにはあまりにも大きく重すぎる責任だ。しかし拒むことは許されない。残酷なことに魔法少女になってしまった以上杏子という『少女』には選択肢などない。ネフィリムと戦う者がいなければ人間は滅びの道を辿るしかない。故に少女は背負わざるを得ない。
「いつまで戦うわけ?」
「わからない。1年かもしれないし10年かもしれない。敵がいなくなるまで。あるいは君が死ぬまで君の戦いは終わらない」
「なら20歳までには終わらせたいな。それ以降はキツいし。ビジュアル的に」
既に年齢的には魔法少女というよりも魔法青年であり、ギリギリ感があるというのに何が悲しくて社会人として働きながら裏では魔法少女をやらねばならないのか。20代前半ならばまだなんとか魔法少女を名乗る自分を許せるかもしれないがそれ以降はさすがに年齢的に無理があると言わざるを得ない。世間的におばさんと認定されても仕方ない30歳手前まで自らを「魔法少女です♡」などと名乗るのは恥ずかしい。
「学校にバイトに魔法少女。忙しい日々がさらに忙しくなっていく・・・」
「学校とバイトかぁ。魔法少女の活動に邪魔だからやめよう」
「おぉ。じゃあ誰が1人暮らしのアタシを養ってくれるんだ? アタシの将来は?」
「家とかなくても食料さえあれば生きていけるよ?」
「ホームレスの魔法少女とか聞いたことないんだけど!?」
当然だが魔法少女は履歴書には書けない。もし学校をやめれば杏子はただの中卒になる。それに家を捨てて公園や橋の下に段ボールハウスを築いて生活するには杏子は若すぎる。魔法少女として奮闘するのだからせめて現役女子高生としてこの現代生活くらいは享受していたいし、将来の心配くらいはしたいものだ。
もしホームレスの魔法少女をやっている人がいたら敵とか世界とかの話をする前にまず自分の生活を救ってください。
「でもこれから先、どのタイミングで敵が現れるかもわからないし」
「まあ、そうかもだけどさ」
残念だがこちらの都合の良いようにはいかない。ネフィリムたちもシフト制であればいいのだが奴らは自由出勤だ。きっと杏子が学校やバイトに行っている間も平気な顔で大暴れするのだろう。現代の働き方に合わせてフレックス制度を導入するのは結構だが是非ともコアタイムの方も設定してほしい。
「こっちからネフィリムの本拠地とかに殴りこむことは出来ないのかよ」
「それはちょっと難しいかな。現状僕たちは現れた敵に対処するしかないね」
最悪なことに杏子たちは常に後手に回るしかないらしい。アニメの魔法少女はどういうわけかいつもトラブルが起こってから行動し、自分から敵を探して倒そうとはしない。それはいわゆる『お約束』だが残念過ぎることに全く同じものが現実世界にも適用されているようだ。
『魔法少女は先制攻撃なんてしない、というかできない』
なんと面倒くさい『お約束』でしょう。
そんなわけで厄介な敵のフレックス制度とお約束展開のせいで早期解決は難しい。本当に残念な事ばかりだが地道にその時その時の状況で臨機応変にやっていくしかないということだ。
「考えてもしゃーねぇってことかよ」
杏子は考えるのが面倒くさくなってきて寝転がってテレビを点ける。だらしないその姿はさながら休日のオッサンである。
「吞気すぎない? 普通もっと焦ったりすると思うんだけど。やっぱり経験者? 経験者なの? 魔法少女経験者なの!?」
「んなわけあるか」
こうして杏子の魔法少女エクスマギカ・ミロワールとしての日々が始まった。
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