第2話 出会ったソイツはプリチー妖精!?
だるい午後の授業を乗り越えた放課後、杏子は今度はアルバイトに勤しんでいた。年上の先輩のつまらない話にストレスを感じながら相槌を打って数時間を過ごすのはじっとしていられない杏子にとっては耐えがたい苦痛だったがそれでも杏子は今日もしっかりと地獄のバイトをやりきる。
バイトの夜の帰り道、杏子は弁当とペットボトルが入ったコンビニのビニール袋をぶら下げてヘロヘロとした足取りで住宅街を歩く。「あの野郎何か不幸な目に遭わねえかな」などと不謹慎な考えは口に出さず心の中に押し込んでおくが学校、バイト、人間関係。ストレスは溜まっていくばかりだ。
「本当、クソみてぇな世界・・・」
思わずそう呟いて自嘲するように笑ってしまう。しかし嘆いていても仕方ない。それでも明日はやってくるのだから。疲れを両肩に乗せながら杏子は家に向かって歩き続ける。
「けて」
ふと、かすかに声が聞こえた気がして立ち止まる。
「たす・・・て」
周囲を見回すが人はいない。どこかの家の音が聞こえただけだろうか。それとも風の音だったのかもしれない。再び歩こうとした杏子だったが今度はハッキリと聞こえた。
「ヘルプ・・・」
さっき聞こえた言葉と違うような気がするが今にも消えそうなか細い声が助けを求めている。杏子は声の主を探して周囲を探索する。そしてしばらくしてその声が人1人が通れるほどの細く暗い裏路地の奥から聞こえてきているのがわかった。先が見えないほどの不気味な暗闇に杏子はごくりと唾を飲み込みスマホのライトを点けてゆっくりと進む。
ここだけの話、杏子はその男勝りな性格に反して極度の怖がりだった。
お化け屋敷はもちろんB級のホラー映画にもビビるし、心霊映画を見ると寝る時に布団から足を出して寝られない。普段は一般人が恐れるような殴って殴られての日々を過ごしている不良なのにだ。
そんな杏子が暗い路地裏から聞こえる助けを求める声にビビらないはずはなく顔を青くしながらゆっくりゆっくりと路地裏の奥へと進んでいく。すでに失神寸前。今もし何か他の物音がすれば間違いなくチビる。最悪の場合その場でショック死する。
いやむしろ恥を晒すくらいなら死んだ方がマシかもしれない。
しかしもし誰かが本当に緊急事態だというのならそれを見過ごすわけにもいかない。恐怖はあるが、というか恐怖しかないが杏子は進む。
「たすけヘルプ」
声がだんだんと近くなってきている。路地裏の中では声が少し反響していて表にいた時よりも恐怖感が増す。もしこれがお化けの仕業ならかなりコミカルな語彙力だが杏子にそのコミカルさを楽しむ余裕はない。
「え?」
しかし何事もなく無事に生き止まりに辿り着けた。めでたしめでたし。・・・・・とはならない。事態は思わぬ方へと進んでしまった。声の主を探してここまで来たというのに路地裏には誰もいなかった。狭い道であったため当然見落としなどあるはずもない。不可解な出来事に杏子の腹の底から恐怖が沸き上がる。今すぐにでも叫びたかった。
今はどうにか自分の意識を保っている。引き返そう。叫ばずに帰ることができれば自分はまだ負けていない。恐怖に屈したことにはならない。自分は今日、初めてホラーに打ち勝つことができる。そう自分に言い聞かせる。引き返そうとした杏子だったがここで前に見たホラー映画のワンシーンを思い出した。
(こういう時に振り返ったら大体いる‼)
そう思うと後ろを向くことができなくなった。引き返せない。
(終わった‼)
まだ何も実害が出ていないというのに思い込みで勝手に詰む。しかしそれがビビりという生き物である。
「たすけて」
また声が聞こえた。どこにも人の姿はない。杏子は今にも口から泡を吹いて倒れそうだった。
「ここ、だよ」
杏子は声のする方に恐る恐るスマホのライトを向ける。
「ぬいぐるみ?」
そこには犬なのか猫なのか、はたまた熊なのかリスなのかよくわからない動物の小さなぬいぐるみのようなものが蓋つきのゴミ箱の上に置かれていた。人の姿はない。まさかとは思うがこのゴミ箱の中にいるのだろうか。そうだとすれば変質者の類に関わってしまったのかもしれない。それだったらぶん殴って終わりなのだが。
「ゴミ箱じゃないよ」
そう言うとゴミ箱の上のぬいぐるみのようなものがむくりと起き上がって杏子の方を向いた。
「僕のn」
「きゃああああああああああああ‼」
「ええええ‼ お、落ち着いて‼」
杏子の中に抑え付けられていた恐怖の感情がついに溢れ出した。叫ばなければ初めて恐怖に打ち勝てたというのに結局我慢できずに叫んでしまった。だがぬいぐるみが起き上がってこちらに話しかけてきたとなるときっと杏子でなくとも叫ぶだろう。そう考えれば全然怖くないB級ホラー映画で叫べる杏子にしてはここまで叫ばなかったのは頑張った方なのかもしれない。
杏子は蟹のように口から泡を吹いて垂直に倒れて気を失った。
しばらくして杏子は目を覚ました。目が覚めるとそこは先ほどまでと変わらず暗い路地だった。どのくらい気を失っていただろうか。ぬいぐるみのようなものが喋っていたような気がするがそれが夢だったのか現実なのか区別がつかない。
「やっと目を覚ましたね。突然倒れるからびっくりしちゃったよ」
声の方を見るとそこには気を失う前に見たものと同じ、犬なのか猫なのか、はたまた熊なのかリスなのかよくわからない動物のぬいぐるみのようなものがいた。ソイツはコンビニのビニール袋の中に入っていた梅干しのおにぎりを頬張っていた。口元にはごはん粒が付いている。
「ごめんね。君のごはん勝手に食べちゃって。僕も餓死寸前でさ」
そうして「ごめんね」と言っておきながら悪びれる様子もなくペットボトルのお茶を勝手にがぶ飲みする。杏子は思わず放心してしまうが少しずつ、自分の中の冷静な部分が目の前の出来事と自分の知る現実とのギャップに違和感を生み始める。再び恐怖が沸き上がってくる。
「あばばばばばばば」
「あぁー落ち着いて‼ お化けとかじゃないから‼ もっとプリチーなものだから‼」
得体の知れないものの言うことなど信用できない。特に自分で自分のことをプリチーとかいうやつの言うことなど相手が人間であってもあまり近寄りたくない。杏子はできるだけ平静を装い地べたに座りながらその自称プリチーの話を聞く。
「ボクの名前はアインシュタイン」
「そのファンシーな見た目で天才物理学者!?」
「本名はアルカイトインスタンシュライグタルマエルインスペルビア。長過ぎるから略してアインシュタイン。でも皆からはコメットって呼ばれてる」
「いや何でだよ」
結局のところこのぬいぐるみのようなものの名前はアルカイトなんとかなのかアインシュタインなのかコメットなのかはっきりしないがとりあえず1番短くて覚えやすいコメットとすることにしよう。一見するとお化けではないし会話の通じるようなので杏子の中の恐怖は先ほどよりも薄らいでいた。
「アンタ何?宇宙人? それとも最先端科学の結晶的な?」
「そうだな、君たちの言葉で言うなら妖精が1番近いかな」
妖精。そう言われて杏子の頭の中に浮かんだのはピーターパンのティンカーベルくらいのものだがそれさえもおぼろげだった。目の前のコメットを改めてよく見ても妖精というよりも小さなぬいぐるみにしか見えない。それに妖精などという非現実的なものの話をされても突拍子もなさ過ぎて理解できない。実はドッキリ系番組の撮影なのではと疑う杏子が周囲を確認してもそれらしき機材もない。
コメットはそんな杏子の様子見て言う。
「じゃあボクが妖精だっていう証拠を見せてあげよう」
コメットはそう言ってぬいぐるみらしい小さな丸っこい手を振り下ろす。するとコメットの手から一瞬だが小さな炎が噴き出した。
「危なっ!」
「これは炎の魔法。でもこれが限界。ボクたち妖精はこの世界じゃ十分に力を発揮できないんだ」
一瞬ではあったが炎は確かに噴き出した。それは何か道具を使ったとかではなく本当に何もないところから炎を出していたように見えた。種はあるだろうが仕掛けはない。しかしこんなものを見せられると余計に混乱しそうになる。しかし疑い続けていても仕方がないためとりあえず杏子は話を切り替える。
「アンタが妖精だとして、ここで何をしてるの?」
「そうだった‼ 今人間の世界が大変なんだよ‼」
またしても突拍子のない話だがどこかで聞いたことのあるようなセリフだ。若干置いて行かれている杏子をよそにコメットは話を続ける。
「今人間界にはネフィリムたちが雪崩れ込んで来てて悪事を働いているんだ。ボクはそれを止めるために」
「ま、待て。ネフィリムって何?」
「ネフィリムは全てを喰いつくす邪悪な存在。要するに敵ってことだね」
「そのヤバそうなやつがこの世界に何の用があるわけ?」
「侵略だよ」
色々と疑問が生まれる杏子に対してコメットが放った答えは限りなくシンプルなものだった。侵略。聞きなれないし、その正確な意味も知らないがそれがどんなものなのかは映画や漫画で大体知っている。しかし具体的なイメージは想像力の乏しい杏子の頭ではあまり沸いてこない。
「侵略って何でそんなことを」
「大した意味なんてないよ」
杏子の疑問にコメットは再び短く答える。
「ただ自分たちの生存圏を増やしたいだけさ。だから人間界を侵略する」
「そんな自分勝手な」
「ボクはそれを止めるためにミスリラ、異世界から来たんだ」
「じゃあアンタが戦うわけ?」
ネフィリムという存在がどんなものかは知らないが少なくとも目の前のぬいぐるみもどきのような存在が戦えるようには見えない。魔法という奇妙な技を持っているとはいえその気になれば杏子ですら勝ててしまいそうなほどに小さく、弱そうに見える。
「ボクは戦えない。だから協力者が必要なんだ」
コメットは杏子の方を見て言う。
「君、魔法の才能ありそうだし魔法少女として世界を救ってくれない?」
コメットは小さな手を杏子に向かって伸ばす。しかし杏子にはコメットの言葉が理解できなかった。正確には言葉の意味はわかるのだが何を言っているのかが理解できなかった。コメットは今何と言った?間違いがなければ『魔法少女』と言ったか?魔法少女とは何だ。
杏子の頭の中に浮かんだのは女の子がピンク色の衣装を着て魔法のステッキを握ったり、2人組の女の子が力を合わせて敵に立ち向かっていくアニメ。そうアニメだ。現実のものじゃない。フィクションであり、娯楽であり、幻想である。つまり魔法少女とは実在しない作り物だ。目の前でぬいぐるみが喋っているこの状況も現実離れしているがこれはまだロボットとか何かしらの科学的なものとして説明できなくはない。まだ
しかし魔法少女まで出てくるとそうはいかない。それはもう
「いや、普通に嫌だけど」
事態の複雑さに対して非常に単純明快な答えだった。
「あれ?おかしいな。普通なら受け入れてもらえるところなのに」
コメットは小声でブツブツとつぶやいているが杏子はそれを無視して立ち上がる。
「どこ行くの!?」
「帰る。もう夜遅いし」
「魔法少女にはなってくれないの!?人類のピンチなのに!?」
コメットは必死に杏子を引き留めようとするがそれに対して杏子はとても冷静だった。出会った時のようなお化けへの恐怖など微塵もない。コメットの話があまりにもぶっ飛び過ぎていて恐怖などどこかへ消えてしまった。
「人類のピンチとかそんなこと言われたって信じられないし、本当だとしてもアタシには荷が重すぎる」
杏子は普通の人間だ。ただの女子高生だ。アニメの主人公のように物分かりがいいわけでもなく、勇気があるわけでもない。アニメのキャラクターに世界の危機や誰かの命を背負わせるのは簡単だが現実でそれと同じものを背負える人間が一体何人いるだろうか。少なくともそんなに重たいものを簡単に背負えるほど杏子の心と体は丈夫ではない。
「それに正義の味方なんてものとは正反対の存在だ。アタシは」
杏子は暗い路地裏から出ていつもの帰路へと着いた。杏子は非現実的な出来事からいつも通りの現実へと戻っていく。
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