第8話 最速のリベンジ

 そこは白く、音もないまさに無の空間だった。杏子は何が起きたのか分からず周囲を見るがコメットもおらず周囲を見ても得られる情報はない。歩こうとしても歩いている感覚がない。まるで空中にいるように足をばたつかせているだけだ。


『始まりは小さな願いだった』


 声はするが誰もいない。だが確実に誰かの気配がする。見えない誰かは言う。


『小さな願いは大きな力となり、力は光となった』


 何のことだ。何を言っているのか理解できない。困惑するが不思議と焦りはない。奇妙な感覚だ。本来ならば混乱しているところだろうが安心感に包まれている。そして頭で色々考えていてもこの声は思考を全て通り抜けて頭の中にすっと入ってくる。直接頭の中に語り掛けているかのようだ。


『この力をあなたに託すわ。どう使うか、何に使うか。あなたの願うままに』


「おい!ちょっと待て‼ お前は」


『大丈夫。また会えるわ』


 虚空に向かって手を伸ばすが意味など無く、杏子は白い空間の奥へと吸い込まれるように落ちていく。




 目を覚ますと窓からは朝の光が差し込んでいた。杏子は布団にも入らず床に寝転がってだらしなく眠っていようだ。目を覚ました杏子は自分の体が昨日までとは違うことを実感した。昨日まで一切感じることのできなかった魔力を感じるのだ。自身の体内の魔力だけでなく寝ているコメットから微弱な魔力を感じる。

 

 第六感の獲得である。少しだけ困惑する杏子だったがパワーアップしたという事実が困惑を自信へと変える。敵に勝つための大きな一歩だ。


 決戦は今夜。


 杏子はいつもより少しだけテンション高めに学校へ行く準備をする。立ち上がる杏子だったが足に何か硬く冷たいものが触れて間抜けな声が出てしまう。驚いた杏子は脚に触れたものを見る。


「これ、まさか」




 今日も退屈な勉強と喧嘩が入り混じる歪んだ学校が無事に終えた杏子とコメットは夜守兵隊長ジャックリオンが潜伏している住宅街にやってきた。ヤツがまだこの周辺にいるのかどうかはわからない。もしまったく別の場所に移動されていたらもう一度見つけることは難しい。


 杏子は影に潜む敵の能力も警戒して出来るだけ街灯のある道を選びながら歩く。

夜守兵隊長ジャックリオンは影に潜るが影は暗闇に紛れなければ隠すことができない。姿はなくとも光の下では影だけは浮き彫りなる。せめてもの用心だ。


「まだいるかなぁ」


「魔法少女と戦って何もせず逃げ出すってことはないだろ。アタシだったらしっかり始末付けるぜ?」


「敵もそれくらい真っ直ぐな性格だといいけど」


 しばらく歩いているが周囲に敵の気配や魔法の痕跡は未だない。当てが外れたか。

そう思い始めていた杏子だったが直後に魔力を感じる。同時に命の危機を感じられたのは培われた勘だろうか。杏子はリンボーダンスさながらに体を大きく逸らす。


 そしてそのすぐ上を黒い何かが通り過ぎる。直撃していれば間違いなく杏子の体はバラバラになっていただろう。黒いそれは通り過ぎるとそのまま地面に溶ける。


「ほう、やはりよくやるものだ」


 溶け込むような動きができるのだから正体はすぐに分かった。敵がまだここにいるという杏子の予想は外れていなかったようだ。


「危ねぇな。アタシのセクシーなバストが削れちまうところだったろうが」


 念願の敵を見つけて杏子の心には一気にエンジンがかかる。昨夜、ヤツを逃してしまったあの瞬間からずっとこの時を待っていたのだ。たった一日の悔しい思いを晴らすための最速のリベンジを。


「今度は逃げられると思うなよ。この犬野郎」


 夜守兵隊長ジャックリオンが地面から杏子の前に姿を現す。暗闇の中でもその目が不気味に光る。


「それはこちらのセリフだ。今度こそ息の根を止めてやる。小娘」


 魔法少女に変身した杏子と夜守兵隊長ジャックリオンは戦闘態勢に入る。互いにすぐに突っ込むような戦い方はしない。互いの様子を窺うように睨み合う。前回の戦いで互いに侮れる相手ではないとわかっているため愚策な一手を取ることはない。


 杏子はじりじりと半歩前に足を出す。今にも戦いが始まりそうであったが杏子の死角からそれを邪魔する者たちが現れる。夜影騎士シャドーナイトだ。


「ちっ‼ やっぱり潜んでやがったか‼」


 杏子が夜影騎士シャドーナイトたちに気を取られた一瞬の隙を見て夜守兵隊長ジャックリオンが距離を詰める。挟撃きょうげきするつもりだとすぐに分かった。夜影騎士シャドーナイトは強敵ではないが放置はできない。だが対処しようとすれば夜守兵隊長ジャックリオンに隙を晒すことになる。割とピンチ。


 以前までならそうだろう。杏子は右足に力を入れ魔力を集める。瞬間的に夜守兵隊長ジャックリオンは何かを察知して杏子から距離を取る。杏子から放たれたのは力強い回し蹴りだ。周囲に突風が吹き荒れるが蹴り自体は誰にも当たってはいない。


 何も起きていない。攻撃を空振っただけか。そう思われたその時。


 近くにあった「止まれ」の標識と夜影騎士シャドーナイトたちの胴体が文字通り真っ二つになった。夜影騎士シャドーナイトたちはそのまま灰になって消えてしまった。


「やっべ!力入れすぎちまった‼ 加減が難しいな」


 あらゆることを自在に再現できる魔法にとって大切なのはイメージだ。何をしたいか、どう使いたいか。それらをイメージすることで自分の魔力をどう使うべきかわかってくる。しかし喧嘩上等の杏子にとってアニメの魔法少女のような魔法はあまり性に合っていなかった。


 だから魔法をお得意の喧嘩と合わせることにした。肉弾戦ならば体の使い方もわかっているうえに自分の肉体だけで足りないものがすぐにわかる。日頃自分があったらだと思うものをより過激にして再現するだけでいいのだから。


「銃を使った格闘術はガン=カタっつーらしいぜ。ならアタシの戦い方は喧嘩が元だからケン=カタ? 魔法要素もあるしマギ=カタなんてのも良いかもな」


 夜守兵隊長ジャックリオンがあの一撃を警戒したということはあの一撃は有効打になるということの証明。敵を倒せる武器を一つ確実に持っているということだ。その事実が杏子に少しだけ余裕をくれる。


「さあ、今度こそ邪魔はさせねえ。覚悟は出来てるか?」


 今度は杏子から夜守兵隊長ジャックリオンに向かって仕掛ける。杏子の拳を夜守兵隊長ジャックリオンは防御するが魔力で強化された拳の威力は防御しても反動で体が後ろに下がるほど重たい。この一撃を見て杏子はパワー有利を確信する。


 杏子は畳み掛けるが顔面を狙った大振りの拳が外れると同時に夜守兵隊長ジャックリオンが姿を消した。影に潜ったのだ。影に潜ったと途端にそれまで感じていた夜守兵隊長ジャックリオンの気配も消える。厄介なことに影の中にいる間は感知が難しいほど気配が極端に小さくなるようだ。


 杏子は周囲を警戒する。影は夜の暗闇と同化し視覚で追うことは出来ない。どうにか気配を探すしかない。だが敵も無策というわけではない。杏子を妨害しようと再びどこからともなく現れた夜影騎士シャドーナイトたちが襲い来る。


(これじゃヤツを探せねえ‼)


 そう思った直後、脇腹に痛みが走る。軽傷だが爪に切り裂かれた跡が残る。杏子は夜影騎士シャドーナイトたちの妨害に紛れたヒットアンドアウェイ戦法に成す術がなく翻弄される。夜影騎士シャドーナイトは強くないが数を利用して集中力を乱すのにはうってつけだ。


 全身が痛い。致命傷になっていないだけで体はもう傷だらけだ。腹立たしいことに夜守兵隊長ジャックリオンの攻撃は慎重でリスクを冒して致命傷を狙うのではなく安全を優先して軽傷を負わせ続けている。


形勢の逆転。魔法少女が倒れるのは時間の問題だ。


「とか考えてんだろ?」


 突然、杏子を中心としてスポットライトの光でも当てられたように周囲が強く照らされる。影が消されるほどの光に照らされたことで潜伏先を失った夜守兵隊長ジャックリオンが弾かれるように地面から飛び出す。


「やっと出てたな。影と一緒にそのまま消えてくれたら楽だったんだけどな」


「何だこの光は‼ 夜影騎士シャドーナイトこの光を破壊しろ‼」


 夜空を見上げると上空に大きな宇宙人の宇宙船を連想させるような光源が浮いている。夜影騎士シャドーナイトは指示に従ってビーム状の魔法で光源を破壊しようとするが放った魔法はそのまま夜影騎士シャドーナイトに跳ね返り、体を貫いた。


「一体何が起きている!?」


「パニクるのも無理ねぇよ。テメエらにはまだ見せてなかったからな」


 混乱する敵とは対照的に杏子は冷静に言う。そして「正体はこれさ」と続けるとその場で一枚の鏡を。上空の光源の正体は光ではなく、光を反射している巨大な鏡だった。


「アタシのだ。自由に鏡を生成するだけの地味な能力」


 敵が待ち伏せしていたように杏子も無策でやってきたわけではない。当然、影に潜る敵の能力への対策もしてきた。街中の光源を集めるように密かに鏡を配置し、敵が影に潜ったところで影そのものが消えてしまうくらいの光で照らす。大胆な作戦だ。


 戦いながらも敵に勘付かれないように鏡を配置していたため十分過ぎる光を集めるのに少々時間が掛かったが何とか杏子がやられる前に間に合った。


「バカな‼ その程度の能力で」


「言っただろ。自由に生成できるって。魔法を反射する鏡を作ることだってできる」


 魔法少女エクスマギカ・ミロワールの能力は鏡を生成するだけの地味な能力だ。一見何の役にも立ちそうにないが生成する鏡はあらゆる特性を付与でき、杏子が自在に操ることができる。


ただし付与できる特性は『鏡から連想、もしくはイメージできること』に限定される。魔法反射の特性は鏡が光を反射することから連想したものだ。


「さて、種明かしも済んだしそろそろ終わりにするか」


「馬鹿が‼ 光源を潰せば‼」


「だったらその前にテメエをぶっ飛ばすだけだ‼」


 杏子は夜守兵隊長ジャックリオンとの距離を一気に詰めて殴りかかる。残念だが街灯などの光源を守ることは出来ない。数が多すぎるうえに構っていられない。夜守兵隊長ジャックリオンが影に潜れなくなったこのチャンスを逃すわけにはいかないからだ。


 夜守兵隊長ジャックリオンは杏子の重たい拳を受け止めるがただの肉弾戦は杏子の十八番だ。これまで一体どれだけのチンピラどもと殴り合ってきたか。防御の甘いところを見つけるなど朝飯前だ。


 大きな一撃が夜守兵隊長ジャックリオンの懐に深く突き刺さる。それが決定打となった。防御が一気に崩れ、杏子の攻撃が通り始める。杏子の拳のラッシュ攻撃によって大きなダメージを負った夜守兵隊長ジャックリオンに杏子は渾身のアッパーをかます。夜の真っ暗な空に夜守兵隊長ジャックリオンの体が上空に舞い上がる。


 空中ならば潜伏する影もない。無防備となった夜守兵隊長ジャックリオンを取り囲むように十数枚の鏡が展開される。


「これで終わりだ‼」


 杏子は全身の魔力を手に集める。マギカの力を最大限に発揮する。


終極魔法ファイナルコード:イマジナリー・カレイドスコープ』


 杏子は攻撃魔法を放つ。だが放った魔法と夜守兵隊長ジャックリオンの間の見えない壁が邪魔をする。魔法による防御だと理解するのに時間はいらなかった。


「この程度の攻撃魔法など‼」


 攻撃と防御が拮抗する。仕留めきれない。そんな風にも見えるが夜守兵隊長ジャックリオンの周囲に展開した鏡が輝き始める。杏子の魔法が映った鏡から杏子が放った攻撃魔法とまったく同じ出力の魔法が発射され夜守兵隊長ジャックリオンの体を容赦なく貫く。


 鏡から放たれた魔法は鏡から別の鏡へと反射し続けるが出力は衰えない。夜空で眩い光が弾ける。見ればそこには無数の鏡も夜守兵隊長ジャックリオンの姿もない。代わりにキラキラと輝く星屑のような小さな鏡の塵が夜空で輝いていた。


 全身ボロボロの杏子は背を向けると腕を真横に伸ばして親指で地面を指差してバッドサインを作る。


「乙女を傷つけた罪は重いぜ。地獄に堕ちろ」




「痛ってぇ‼ もっとそっとやれよ!」


「あーはいはい。すんまへん」


 夜守兵隊長ジャックリオンと初めて戦った公園で杏子とコメットは傷の治療をしていた。魔法での治療は痛くなさそうに見えるが実際は一般的な治療と同じくらい痛い。


「にしても杏子ちゃんいつの間にマギカの力を習得してたの?」


 杏子は魔法の練習こそしたがマギカの力を使う練習はしていない。


「なんつーか。知らないはずなんだけど元から知ってたみたいな?なんか変な感じなんだよ」


「マギカの特性なのかなぁ。分からないことだらけだね」


「でもマギカの力は使えるようになったぜ。ほら」


 杏子は次々に鏡を生成する。鏡は地面に落ちては霧散する。まるでマーライオンのような無限ループ。そんな風にふざけていると傷口から少量の血が噴き出した。


「あ」


「ぎゃー‼ 塞ぎかけだったのに‼ しばらくじっとしてて‼」


 イラつくコメットに対して杏子の笑い声が静かになった夜の空に響く。

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