九つ数えてさようなら

十余一

九つ数えてさようなら

 帰宅してからというもの、青年は怪奇現象に悩まされていた。

 最初の異変は、窓ガラスや鏡に写る人影。しかし振り向くと誰もいない。ぼんやりと写り込む幽霊然とした姿には、どことなく愛したひとの面影があった。


 次の異変は、物陰からこちらを見つめてくる醜い塊。まるで水死体のように、ぶくぶくと膨れている。三つ目、窓に打ち付ける赤黒い雨。四つ目、部屋の隅に散乱した四肢と頭。目玉があったはずの眼窩がんかから蛆虫うじむしが覗いている。全て幻覚のはずだが、今にも腐臭が漂ってきそうな、妙に現実的な質感があった。


 この頃になると、青年は憔悴しょうすいしきっていた。

 郷里の母親からかかってきた電話にも、曖昧な相づちを打つだけだ。

「それでね、しばらく連絡が取れてないらしいの、なっちゃん。あんたも覚えてるでしょう」

「……うん」

「少し短気なところもあったけど、何も言わずに出ていくような子じゃないと思うのよ。いったい何処に行っちゃったのかしら」

「……うん」

「あんた、こないだ帰省したときに会ったりした? 何か聞いてる?」

「会ってない」

「そうなの。昔は『大人になったらケッコンする!』なんて言うくらい仲良しだったのに」


 その後も異変は続いた。

 五つ目、酷い耳鳴りが続く。それはやがて不気味なからすの鳴き声となり、がりがりと何か硬いものを削るような音が混ざる。耳の奥にこびりついて離れない。その存在を強く意識すると、鼻腔に腐臭が漂う気さえした。六つ目、青白い手が後ろから回され、抱きすくめられた。その手は白骨化し、血肉も皮膚も纏っていない。七つ目、青年の住む部屋で火災が発生する。幸いにも延焼する前に消し止められ、青年の他に死者はいない。


 同日、青年の郷里で小規模な林野火災が発生し、焼け跡から人骨が発見された。死後数か月が経過した、若い女性の遺体だった。骨には動物に噛まれた痕があったが、直接の死因は頭部への打撲だったようだ。



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