謎解きはどこから来て、どこへと還っていくのか

「四人いないと殺人事件はミステリとして成立しない」と昔からよく言われます。登場人物が三人だと、誰が犯人か、推理するまでもなくわかってしまうからです。
その例は極度に簡潔だとしても、ミステリというものは常にコミュニティの中で生まれるということを、このことはよく表していると解釈することも可能であると私は思います。

この世界は無数のコミュニティで構成されています。ひとつのコミュニティはたくさんのコミュニケーションの連続から成り立っており、コミュニケーションは、いわば小さな推論の連続です。とすれば謎解きは小さなコミュニティを、果ては世界を構成している一単位であると見做すこともできましょう。
謎解きとコミュニケーションが互いに不可分な関係にあるためだと私は思います。
ですから、優れた(というよりも私が面白いと感じる)ミステリ小説は、謎解きのトリックだけではなく、その機会を生むコミュニケーションの段階から、すでに優秀なことが多いです。本作『放課後対話篇』も、そんな作品のひとつです。

大きな社会問題も、相対的に小さな学校のコミュニティが抱える問題でも、共通の思い込みや偏見、価値観の違いや異文化への不理解が根本に潜んでいることがあることを、本作は幾度となく指摘しています。
それら問題には往々にして、根本のところでコミュニケーションの、そして謎解きの不正確さが存在します。
コミュニケーションは、相手を正しく理解しよう・相手に自分を良く理解してもらおうとするところから始まります。その中で生じる不首尾な結果は、やはり謎解きの不正確さから来るものです。
それを当事者や依頼人を通して、正確に事件を紐解くのは、ミステリでいう探偵の役割です。

日常から少し離れた、謎めいたイレギュラーなことが起こる。それが無事に解決をみて、その全貌がコミュニティに還元され、コミュニティの質が変容・再形成されていく。それはまるで行きて帰りし物語かのようにもみえます。

本作の主人公の月ノ下くんは、これまで学校で数々の謎解きをしてきました。それはコミュニティの体質を変えると同時に、月ノ下くん自身や、彼の周りの人物にも大きな影響を与えて来たようです。そんな彼らの今後がどのように雪世さんの筆によって描かれるのか、これからも楽しみにしています。

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