放課後対話篇5

雪世 明楽

マイノリティの憂鬱と卒業生への贈り物

第1話 テニス部の卒業祝い

 窓の向こうに山林が新緑に近づいているのが見えた。昼下がりの陽光で照らされる本校舎の廊下を歩きながら、僕はため息交じりに呟く。


「そろそろ卒業のシーズンだな。僕らは一年先だけれど」


 隣を歩いていた色白で黒髪の少女がちらりと僕の顔を見て応える。


「なんだかあまり楽しくはなさそうね。別れてしまうのが辛い先輩でもいるの?」


 彼女は星原咲夜ほしはらさくやというクラスメイトの女の子だ。僕、月ノ下真守つきのしたまもるは一年ほど前に彼女をあるトラブルから助けたのをきっかけに放課後を一緒に過ごすようになった。今日も定例になっている勉強会をするために図書室の隣の空き部屋に足を向けていたところである。


 僕は少し憂鬱そうに眉をしかめる。


「いや。ただ、さっきのクラスでやっていた多数決のことを思い出していたんだ」

「ああ、あの卒業生へのメッセージを書いて渡すイベントのこと?」


 季節も春先にさしかかり僕らの通っている天道館高校も卒業式の時期が近づいていた。そして三年生の卒業を祝う式事がクラス委員会の主導で準備されていたのだ。その際のイベントとして「合唱で別れの歌を歌う」か「メッセージを渡す」のどちらを実施するか、クラスの多数決で決めることになった。


 しかし合唱などの練習に時間を取られるのを嫌がった人間が多かったこともあり、結局メッセージを書いて渡すイベントが選ばれたのだ。


「そう、それだよ。部活に入っていない僕には思い入れのある先輩もいないからなあ。メッセージに書く文面も思いつかないし、合唱の方が個人的には良かった」


 星原はぼやくような僕の声に肩をすくめてみせる。


「普通にお祝いの言葉を形式的に書くだけでもいいと思うけれどね。そんなに悩まなくてもいいんじゃない?」

「だけど、たまたま部活とかで顔見知りの先輩がいる人間が多数派だからメッセージを渡すイベントの方に決まったんだろう? そうじゃなかったら合唱の方が選ばれたわけだ。こういう単に少数派だったために自分の支持する選択が選ばれないのってモヤモヤするんだよな」


 星原は僕の疑問を聞いて「ふむ」と形のいい眉をひそめた。


「そういえば、多数決にまつわるエレベーターの話を聞いたことがあるわ」

「へえ。どういう話だ?」

「あるところに五階建てのマンションがあって、エレベーターを設置することになったんですって」

「うん」

「そこで五階の住人から『費用を住人たちで平等に負担しよう』という案が出たの。でも、これに一階の住人が猛反対した」

「そりゃあ、一階の住人はエレベーターを使用しないものな」


 自分が使わない設備の費用を負担させられたら反対したくなるのもわかる。


「そうね。……でもこのままでは話がまとまらないから改めて多数決で決めようということになったのだけれど、このとき一階の住人に腹を立てていた五階の住人が『一階の住人が全額を負担する』という案を出したの」

「それはまた理不尽な提案だ」

「普通に考えればね。でも二階から四階の住人たちも『自分たちも負担しなくて済むなら』と利害が一致してこれに賛成してしまうわけ」

「……えっ」

「その結果、四対一でこの不平等な案が採用されてしまうという話」

「なるほどなあ。典型的な少数派が圧殺される構図だ。……つまり多数決も常に正しい結果を出すわけじゃあないってことだ」


 僕はその状況を想像して嘆かわしい気分で首を振った。一方、隣を歩く星原は黒目がちな瞳でこちらを見ながら小さく微笑む。


「まあ、学問の世界でもガリレオが『地球は廻っている』といったとき、当時の他の学者は信じなかったもの。歴史上で少数派の正論が当時の多数派に認められなかった事例はいくらでもあるわ」

「でもそうだとして、少数派が多数派に勝つ方法ってないのか?」


 僕としてはマイノリティの意見が常につぶされてしまう状況というのはどうにも嫌な気分だ。何か対策があるのなら知っておきたいという気分で星原に尋ねてみた。


「いや、流石に二者択一の多数決で少数派が勝つ方法はないでしょう。ただ……」


 彼女が何か言いかけたそのときだ。


「ねえ。ちょっといいかな?」


 背後から通りの良い高い声がかけられる。振り返ると二人の少女が並んでたたずんでいた。一人はポニーテールに眼鏡をかけた容姿端麗な少女。規律正しい行動を信条とするクラス委員の虹村志純にじむらしずみだ。そしてもう一人。


 ショートカットの髪をバンダナで軽くまとめた活発そうな印象の体育会系女子が僕らの方を見つめていた。初めて見る顔だがリボンの色からして一年生のようである。


 僕は怪訝な顔でクラス委員の少女に目を向ける。


「虹村。……どうかしたのか?」

「いや、邪魔をして悪いのだけれど。実はこの子から部活関係で相談を受けているの。ただどうも話が込み入っているみたいだから、もし良かったら一緒に話を聞いてくれないかと思って」


 虹村は人柄が良い真面目な少女であるし、僕とはこれまでお互いに助けたり助けられたりという間柄だ。できることがあれば力になりたいところではある。


 星原の方はどうかと目を向けると彼女も「仕方がない」という表情で小さくため息をついていた。ここで件の少女が初めて口を開く。


「初めまして。私、一年A組の狛江こまえいずみといいます。……ええと。関係のないお二人にこんなこと話すのはなんですが。実は私の所属しているテニス部でちょっとした事件がありまして。虹村さんに相談したら『そういうトラブルなら解決に向いている人がいる』って聞いて、呼びとめていただきました」

「トラブル? テニス部で? ……いったい何があったんだ?」


 僕の問いに彼女は悩まし気に顔をしかめて言いつのる。


「実はですね。私、卒業するテニス部の先輩に贈り物をしようと思っていたんです。それで一年と二年の部員にプレゼントを手作りして渡すっていう企画を持ちかけていたのですが、誰かが『私になりすまして』妨害をしたみたいなんです」


 唐突な言葉に僕と星原は一瞬、顔を見合わせる。どうやら詳しく事情を聞いてみた方が良さそうだ。


「とりあえず廊下じゃ落ち着いて話ができないな。……場所を変えようか」と僕は彼女に促したのだった。

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