第2話 相談と考察

 僕と星原が勉強会をしている図書室の隣の空き部屋は、使用頻度が少ない備品が保管されている半分倉庫のようなところだ。型落ちの教材などのほか、かつて応接に使われていたのだろう年季の入ったソファーとテーブルも置かれている。


 普段は勉強会に使っているのだが、ひとまず今日は狛江さんに一人掛けのソファーに座ってもらい、テーブル横の二人掛けのソファーに僕と星原が腰掛ける。


 ちなみに虹村は倉庫の奥に保管されていたパイプ椅子に座って、僕らの少し後ろで様子をうかがっていた。


「それで? 君になりすました人間がいたっていうのはどういうことなんだ?」


 僕の質問に狛江さんは少し緊張した面持ちで、ぽつりぽつりと語り始める。


「あの、順を追って話しますと。テニス部で卒業する先輩にお祝いをするために『手作りのメッセージTシャツを作って贈る』という企画を私が考えたんですよ。ところがそのTシャツがインクを乾かしている間に誰かに汚されていたみたいなんです」

「……その状況はどんな風だったのかな」

「汚されていたのが判ったのは作った翌日の昼休みなのですが、部室の鍵の貸し出し記録を見ると、そのときに出入りした人間が三人いたんです。さらにその中の一人として私の名前が書かれていました。……でも私はその時、部室に行っていませんし、もちろん鍵も借りていないんですよ」

「なるほどね。それで誰かが君になりすまして部室に入りこんだ、と」

「はい。ちなみに他の二人は『二年生の先輩』と『私の同級生の一年生部員』です。鍵の借りた順番は『二年生の先輩』『私』『同級生』となっていました。ただその『先輩』が入った時にはTシャツに異状はなかったということでした。そして、その後で忘れ物を取りに来た『同級生』が部室でTシャツを汚されているのを発見したんです」

「そうなると、『その二人の間』に鍵を借りて部室に入った人間。つまり君の名を騙った誰かが必然的にTシャツを汚した犯人ということになるのか」


「そうなんです」と彼女は苦々しい感情をかみしめるような顔で頷いた。

「ちなみに犯人に心当たりはあるのかな?」

「私は男子部員が怪しいと思っています。男子テニス部は元々人数が女子テニス部より少ないので、練習時間や部室の使用時間が限られているみたいで。そのことで私たちのことをよく思っていないから仕返しをした可能性があるんじゃないかと」

「でも、今のところ証拠があるわけじゃないんだよね」

「…………はい」


 とその時、背後の虹村が軽く手を挙げる。


「あのう、狛江さん。ちょっと聞いても良い?」

「何でしょう」

「Tシャツが汚した犯人が見つからない可能性もあるし、もしくは見つけても弁償させることができないかもしれない。その場合はどうするの? 卒業生のお祝いということだったらもう時間もあまりなさそうだけれど」

「その件なんですが。実はもともと、卒業生のお祝いについては『贈り物をする』ほかに『レストランで食事会をする』という案もあったのです。まあ多数決をした結果『贈り物をする』という方に決まったのですが。こうなった以上は準備に手間がかからない食事会の方になりそうな雰囲気ですね。もう一度お金を出して贈り物をするのにも消極的な状況で」


 星原もここで怪訝な表情で疑問を口にする。


「食事会になりそうな雰囲気、ということはもしかして他の部員たちは犯人を探して弁償をさせようという気持ちはあまりないということなの?」


 狛江さんは少したじろいだように沈黙してから言葉をつづけた。


「私は……、私はみんなで一生懸命、先輩のために作っていたのに、こんなことをするなんて許せないし犯人を見つけたいと思っています。でも他の部員たちは『もう犯人探しをするのはやめよう』という諦めムードでして。…………あの、私一人の個人的なお願いでは引き受けてもらえないんでしょうか」

「ああ、いいえ。そういう意味で訊いたのではないの。ただ少し気になったものだから」

「そうでしたか。それではよろしくお願いします。もし解決してもらえたら、お礼として近くのケーキ専門店のサービスチケットをお譲りしますので」


 かすかに安堵した表情になった彼女は僕らに一礼をすると、立ち上がって部屋を後にしたのだった。





 狛江さんの後ろ姿が扉の向こうに消えたところで、僕ら三人は顔を見合わせる。


「なりすました、か。まあ、校内の鍵は借りるときに職員室で近くにいる先生に声をかけて、管理表に名前を書くだけだからな。先生だって全ての生徒の名前と顔が一致しているわけじゃない。だから他の人間が狛江さんの名前を書いて鍵を借りるのは十分可能だろうけど。……どう思う?」


 星原と虹村はそれぞれ何やら難しそうな表情を浮かべていた。


「なんとなく不自然な感じがするのよね」

「……うん。どうも引っかかるというか。いや、あの狛江さんという子が嘘をついているとかいうのではなくて」


 どうやら二人は狛江さんが語った一連の流れに思うところがあるらしい。僕はまず星原に水を向けてみる。


「その不自然なところ、というのは?」

「だって考えてみて。三人の人間が出入りして、最初の人間は『何もなかった』と証言して、最後に入った人間が『Tシャツが汚されていた』と言っている。普通なら『二番目に入った人間』つまり、狛江さんが真っ先に犯人扱いされそうなものじゃないの」

「まあ、そうだな。彼女自身は自分じゃなくて『誰かが自分の名を騙って入り込んだんだ』と主張しているけど」

「それなのに、部員たちは彼女を疑う様子がないっていうのはどうしてなんだろうと思って。……犯人探しさえするつもりがないのでしょう?」


 確かにそれは不自然と言えば不自然だが。


「でもTシャツづくりの企画をしたのは狛江さん自身みたいだったからな。……『企画をした本人が自らそれをぶち壊すようなことをしない』と部員の皆は考えたんじゃないか?」

「……そうなのかしら」と彼女は腑に落ちないと言いたげに呟いた。

「虹村はどうなんだ? 何か気になることがあったのか?」


 クラス委員の少女は眼鏡を軽く押し上げながら僕の質問に答える。


「私が引っかかっていたのは『部内の考えが逆転している』ってことなんだよね。狛江さんの話だと元々、卒業生のお祝いをするのに『食事会』と『贈り物』の二つの案があって、多数決で『贈り物』に決まったんでしょう? それなのにいつの間にか『食事会』をする方が多数派になっていたなんてことあるのかな」

「そういえば犯人を見つけ出して弁償させることにも執着していないみたいだものな。単純に作り直す時間と手間を惜しんだだけかもしれないが」


『誰も狛江さんを疑わない』

『部内の考えが逆転している』


 確かに彼女たちの疑問を聞いていると、部内に何か見えない事情があるのだろうかという気もしてくる。


「『狛江さんを疑わない』理由の方は、今の段階ではよくわからない。でも虹村の言う『部内の考えが逆転している』というのは案外それが犯人の目的と繋がっているんじゃないかな」


 虹村は僕の言葉を受けて「どういうこと?」と首をかしげる。


「つまり最初の多数決で負けた『食事会をしたがっていた部員たち』の誰かが犯人だったんだ。その人間が『贈り物をしたがっていた部員たち』のモチベーションを壊すためにTシャツをインクで汚したとすれば説明がつく」

「なるほどねえ。それで部内の意見が逆転したと。でも、卒業生のお祝いを自分の思うやり方で出来なかったからってTシャツを汚すようなことまでするなんて。そんなにこだわる人がいるものなのかな」

「そこなんだけど……部内が『贈り物』と『食事会』の二つの案で分かれたというのは結果的な話に過ぎないのかもしれない。元々、それと関係なく部内に対立関係があったとしたらどうだろう」


 ここで彼女は「ははあ」と頷いて見せる。


「つまり実はもともとテニス部内で『何かの派閥』があって、意見が割れたのはその『結果』だった。そして少数派の派閥が負けたっていうこと?」

「そういうこと。つまり『食事会』や『贈り物』にこだわっていたんじゃなく、部内に存在した対立が表面化して事件が起きた。外部からではわからないけど、多数決で負けたテニス部内の少数派たちにとって『贈り物』を邪魔したくなるほどの動機があったんじゃないかな。『正しい少数派が圧殺される』なんてよくある話だろう」


 僕は星原を横目で見ながら言葉を続ける。虹村が僕の意味ありげな言葉に何の話かと言いたげに首をかしげた。星原が軽く肩をすくめて「虹村さんが来る前にちょうどそんな話をしていたの」と答える。


「いわゆる多数決は常に公正な答えを出してくれるわけじゃあないという話。……まあ、私たちはどういう事情でテニス部内で多数決がされたか知らないものね。もしかしたら部内で方針を決める過程で『少数派が理不尽な負担を押し付けられた』ということなのかもしれない」


 星原の言葉に虹村も考え込むような表情で呟く。


「『誰も狛江さんを疑わない』『部内の考えが逆転している』っていう状況に部内での何かの派閥が関係しているということはあるかもしれないね。狛江さんが疑っていた男子テニス部員にしても見方によってはテニス部内のマイノリティってことになるもの」

「だが、そのあたりは実際に部員たちに話を聞いてみないとわからないからな。明日にでも行ってみようか。……星原はどうする?」


 僕の問いに彼女は「狛江さんと虹村さんがいるなら、私がいなくても女子部員に話を聞きやすいでしょう。そのあたりは任せるわ」と何故か面倒そうな表情で首を振った。


 その後「いつもながら手間をかけて悪いね。それじゃあ、そろそろ私はクラス委員会があるから」と虹村は部屋を後にした。


 二人だけになった空き部屋で僕は眉をひそめる。


「虹村も妙に部活関係の相談事を持ちかけられるなあ。クラス委員会って予算以外だと部活間でトラブルがあったときに注意するぐらいだったと思うんだが」

「彼女、面倒見がいいからついつい引き受けちゃうんでしょ」

「まあ、確かに星原はそこまで積極的に人のトラブルには首を突っ込まないな」


 僕自身が何度か厄介ごとを抱え込んだときに相談に乗ってくれたり、本当に親しい相手が困っているときに動くことはあるがそれ以外はマイペースで自分の時間を大切にしているようなところがある。


「私は人の面倒を見るときには相手を選ぶたちなの。……例えばあなたの勉強とかね」


 彼女は悪戯っぽく片目をつぶって見せてから、参考書を取り出した。


「……ああ、そうだった。急がないと今日の分のノルマが終わらない」


 急な相談事で忘れかけていたが、今日は彼女と勉強会をするところだったのである。彼女の言葉を受けて、僕も問題集を机の上に並べて準備を始めたのだった。

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