第2話

この部屋に私と侍女の瑠珠るじゅ以外がいるなんて、ずいぶん久々に感じる。


それが、白雪公主の第一の感想だった。


静かな昼下がり、後宮の奥深くで滅多に人が尋ねてこないようなこの宮にやってきたのは、方士の青年だった。

彼の名は黎心。

彼ら宮廷に属する方士たちは、宮廷内で起こる呪詛事件の解決や呪物の取締りを行い、祭祀などの行事を担うこともある。

現在は皇帝の命により第一皇子の管轄となっており、つまり、公主の兄の直属の部下だ。

そんな彼がどうしてここへ来たのかというと、つい先日、後宮内で起こったとある不審な事件が理由であった。


侍女を控えさせ、黎心と向かい合う形で対話を始める。


「この後宮で方士が何者かに襲われた件については知っていますか」


公主はゆったりと頷いた。


「ええ、もちろん。先日の騒ぎのことでしょう。引きこもっていても噂話は届くもの、よく覚えているわ」


ここ数日前の話だ。

後宮で方士の青年が、何者かに襲われ意識を失い倒れているところを発見されたという怪事件。

基本的に女性と宦官しかいない後宮内で滅多に起きるような事件では無い。

瑠珠によれば、その日は一日中人々がしきりに騒ぎ怯えていたそうだった。


「襲われた俺の同僚は、柳静影りゅうせいえいという男なんです。彼は後宮へ何者かに呼び出された後、呪詛らしきものを使われて昏睡状態に陥ってしまった」


「あら、呪詛だったの。彼はまだ目覚めないそうね。発見されたのは確か、月照宮のあたりよね」


公主のいる宮からは正反対の方向にある、こちらとは違い豪奢な月照宮。

そこに住まう朱妃は、皇后にこそはならなかったが皇帝から寵愛されている。


「そうです。月照宮に続く廊下で倒れているところを発見されました。目立った外傷はないのですが、時折何かに取り憑かれたようにうわ言を呟くばかりで、一向に目覚めないんです。念の為、月照宮の人々には呪詛であることを隠したのですが……」


黎心が言うには、どう判断しても呪詛の類を使われたはずなのに、宮廷の方士が一丸となり手を尽くしても原因にたどり着けないのだと。

宮廷方士たちの出身は瑞花国の名だたる方士一門がほとんどで、その実力は一級品。

今目の前にいる黎心も、その名からして古くより朝廷に仕えてきた黎家の者であろう。


(方士たちが人々が思うより弱いのか、よほど厄介なものに憑かれているのか……)


そう思うも、前者の可能性は低いだろうとすぐにその考えは消える。

なにせ、現在方士たちの指揮権を持っているのはあの第一皇子だ。

公主の兄である第一皇子、志耀しよう

皇位継承権第一位である彼は次期皇帝として数年前から頭角を現し、政の場に出ることも多く、要するに有能な人物だ。

公主からしてみれば彼は一言では言い表せぬような複雑な人物であるのだが、世間から言わせれば人々の期待を背負った将来有望な人物である。

その志耀ですら解決に導くことができないでいるのだから、よほど厄介な呪詛なのだろう。


「発見された当時、静影はある文を持っていました。月照宮の宮女からの文で、『月照宮の宮女が呪具を仕込んでいるので助けて欲しい』との内容でした。勘づかれないように内密に頼みたいとも。恐らく静影は偵察に向かったのでしょう」


「そこを狙われた。要するに、罠にはめられたと考えられるわけね」


後宮の外で静影を襲うことも出来るが、わざわざ月照宮まで運んでくるのは不自然だ。

誰かに目撃される可能性や、偽装工作なら後宮の門から一番遠い月照宮を選ぶ必要性が無い。

現時点の情報から想定するに、文を出した宮女か、宮女を装った宦官か、後宮内の人間であると考えられる。


「静影に文を出した宮女の捜索にも当たっているのですが、決定的な証拠はまだ見つからず、どうにもできないのです」


「まあ、なにせ無駄に数が多いもの。時間はかかるでしょうね」


黎心曰く、似たような筆跡の宮女は何人かいたが、決定的な証拠にはならず、術による追跡も効果が無かったのだと。

痕跡を辿っても、月照宮にいる宮女が書いた文だということは確かだが、誰なのかがあやふやで分からない。

なにやら事件は思っていたよりも複雑になりはじめてきたようだ。


「月照宮から呪具は見つかったの?」


「いいえ。それらしきものは何も。あまり疑うと朱妃様のご機嫌を損ねてしまいますし、陛下も朱妃様は犯人では無いと仰っていましたので」


それを聞くなり公主は笑いだした。


「あら、その場にいたわけでもない男の言うことを簡単に信じるのね」


娘とはいえ、皇帝を敬わない大胆な公主の発言に黎心は驚いた顔をする。


「……いえ、そうではありません。陛下の命は受け入れますが、俺個人としては、あの宮には何かあるかとの予感が」


少し迷ってから彼はそう言った。

黎心はただ皇帝の言うことを鵜呑みにしたわけではない。しかし立場上強く言えない。

それが分かった公主は、ただふぅんと返しただけだった。


「それで、その件を私はどうすればいいのかしら。兄様はなんと仰ったの?」


「殿下は、公主様にお任せするのが良いと」


「そう。私の好きにしていいのね」


くすりと、公主は小さく口の端を釣り上げる。

それは黎心にはどこか不敵な笑みにも見えて、あんなに眠たげな顔をしていた娘と同じには思えないようだった。


「公主様。貴女は一体、どのようにしてこの件を解決なさると」


黎心を遮るように、公主はぴっと一枚の札を突き出した。


「黎心。これを夜までに柳静影の枕元に置いてきてくれるかしら」


「この札は一体……」


おずおずと黎心は札を受け取るが、疑い深そうに眺めている。

それも仕方の無いことだ。

方士である彼にとっては見たことの無い代物で、いきなりそんなものを差し出されても困るだろう。

木製の札に赤で線と崩れた文字の彫られたそれは、見ようによっては呪符にも思える。

ただ、初対面の彼にそれがなんであるかを話してあげられるほど公主の口は軽くない。


「気になるなら調べて貰っても構わないわよ。ともかく、それを置くだけでいいの。頼めるかしら」


どうせ調べたところで彼らには何も分かるまいし、彼らに危害を加えるような代物でもない。

黎心も公主の意思が伝わったようで、それ以上深く追求することはなかった。


「了解しました」


「じゃあ、よろしくね」


恭しく礼をすると、彼は早々に部屋を出ていく。

堅苦しい男だ。

その後ろ姿を見送りながら、公主はそう思った。

皇子のお気に入りの部下であるようだが、公主のことはやはり何も知らされていないのだろう。

公主に後宮で起きた怪事件をどうにかできる力があるようには見えないだろうに、訝しむこともなく儀礼を尽くすとは。

そういうところが兄に気に入られているのだろうけれども。


黎心が去った後、公主は立ち上がるとぐんと伸びをした。

髪飾りを外し、元の寝衣に着替える。


「公主様、夢を見るのですか」


瑠珠が床を整えながらそう言った。


「ええ。今夜もまた眠れないわね」

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