第4話
「あの幽鬼に襲われて、柳静影は一度……いえ、何度も死んでいるのよ。死んで体を失って、それから蘇る。また死んで、また蘇って、それの繰り返しよ」
黎心たちが来た時には既に静影の肉体は失われていた。
その後、あの狼に追いかけ回されている間に静影の肉体が再構築された結果、静影がどこからともなく現れたかのように見えてしまったのだ。
大量に残された血痕がなによりの証拠だろう。
「夢の中では死の概念はないわ。もし命に関わるほどの重症を失ったとしても夢の中から存在が消えるだけで、目覚めれば元通りよ。この世界で魂が奪われることなんてない。私はそれを知っている」
いつだったか、ある後宮妃の夢に迷い込んでしまった時に滅多刺しにされたことがある。
狭い後宮に押し込められ、外にも出られず味方もいない状況で鬱憤が溜まっていたのだろう。
酷い目に合わされたものだが、そういう経験のおかげで夢の中での生死について知ることができた。
結局、教本なんてないのだから、自分の身をもって学ぶことが一番良い。
「ですが、そのような事が可能なのですか。私にはそんな危険な術を静影が使えるとは思えない」
起きた事象について理解はできても納得はできない。
そういう表情だった。
「普通ならね。外の世界ならできなくても、夢の中ならなんだってできるの。夢の主がそう思えばそれだけで、ね」
ここは、現実ではない。
夢想の世界に常識や理論は必要ない。
夢を見ている人物の脳内に従うだけ。
実際、この建物の空間が捻れているのも、幽鬼があのように変質しているのも全ては夢の中だからなせることだ。
柳静影は無傷ではなく、消滅してまた構築されただけ。
「では静影が自ら望んで何度も殺されていると?」
「そこなのよ。私たちは根本的に勘違いをしていたのだわ。今となってはこの夢が柳静影のものだと到底思えない。それはあなたもでしょう」
むう、と公主は表情を歪める。
黎心の腕の中で穏やかに眠る青年について、公主は何も知らない。
けれど彼の置かれている状況からして、これが彼の夢だと言うのなら何故彼は一向に目覚めることの無いまま死を繰り返しているのか、説明がつかない。
「静影は眠っている間、ずっと苦しんでいるみたいだった。こんな夢に、どうして静影は囚われているんだ……」
顔を上げれば、月明かりが照らし出す凄惨な光景が。
これは夢で現実ではない。分かっていても心は痛む。
「試してみる、かな」
「公主様?」
そっと屈むと、ゆっくり静影の胸に手を伸ばす。
指先まで意識を集中させて、静影の意識の糸を辿る。
そうして、彼の内側に触れようとした、その時。
「いたっ」
「公主様!」
バチッと紫電のようなものが一瞬走る。
残念なことに、今の状態では静影に触れることはできないみたいだった。
ひりひりする指先を押さえながら、黎心になんでもないと首を振る。
「私の術を跳ね除けたのね……なるほどなるほど、いい度胸をしているじゃない」
「今の術は……」
公主が何をしようとしていたのかが分からない黎心は、眉間に皺を寄せて考えごとを始めようとする。
しかしそれもすぐに邪魔が入った。
どおん。
地響きが聞こえる。
段々と近づいてくる衝撃で、ぱらぱらと天井から砂埃が落ちてきた。
「もう見つかったのか!」
チッと悔しげに黎心が舌打ちをする。
公主が何か言う前に、黎心は立ち上がり一歩踏み出す。
「六式・天牢!」
携帯していたのであろう札を取り出した彼は、そのまま術式を発動させた。
室内が一瞬光に包まれ、一面に青く光る薄い障壁が完成する。
これは結界だ。それも、かなりの強度の。
「まあすごいわ。本当に実力者なのね」
外ではガタガタと扉を叩く激しい物音がする。
幽鬼がこちらへ乗り込もうと躍起になっているのだろう。
ぼろぼろの扉なのに、どんな猛攻にも耐えて見せるかのような強度になってしまった。
「今のうちにどこかに退避を!」
「いいえ、この先は現実で話し合うしかなさそうよ」
「なっ……!待ってください、静影はどうするんです!?彼をこのままにはしておけません!」
納得できないと声を荒らげる。
あの危険な化け物を目前にして静影を置き去りにしていけなんていわれても、簡単に頷けはしないだろう。
だが、それはこちらも同じだ。
「彼を救いたいのなら尚更現実に戻る必要があるわ」
静影にかけようとした術を、今度は黎心に。
彼の胸元に手を伸ばし、その動きを止めさせる。
「目覚めなさい、黎心」
「公主様、あなたは一体───────!」
その続きは聞こえなかった。
黎心は公主の手により夢の世界から弾き出され、目覚めることになる。
目覚めるといっても、眠っていたわけではなくその意識は常に働き続けていたわけなので、きっと彼はすぐに疲労感に驚くことになるだろう。
「あら、まだ効力が残っているのね」
ドンッと幽鬼が追突する鈍い音が響く。
黎心がこの世界から消えたことで彼の術も失われると思ったのだが、まだ彼の創った障壁は堅くそびえ立っていた。
さすが宮廷直属の方士だと言えるだろう。
「これで少しの間でも彼を守りたいっていうことね」
静影の眠りの原因を探すのなら、また現実に戻らなければいけない。
夢は記憶の再現だ。
そっくりそのままとは言わなくとも、この廃屋も静影の、もしくは他の誰かの記憶に存在する風景だというのは確かなこと。
この独特な構造や、あちこちに見られる菱形の飾り、雑草の間に生えていた植物。
手がかりになりそうなものはいくつもある。
問題は、公主にそれを全て記憶し照らし合わせるだけの気力が残されているかどうかだが。
「ごめんなさい。もう少しだけ、待っていて」
横たわる静影にそう声をかけた。
その直後、公主の視界がぐらりと傾く。
どうやら夜明けが近いみたいだ。
少しづつ意識が現実に戻っていくのを感じながら、公主はそっと目を閉じる。
『許さない……柳家は私が絶対に……!』
どこからともなく聞こえてきた言葉。
途切れていてはっきりとは分からないけれど、その高い声は公主でも黎心のものでもない。
(これは……子供の声?)
思わず目を見開いたものの、そこには何もいない。
待って。まだ、まだ目覚めてはいけない。
何か大切なことを見逃してしまう。
そう焦っても、時間の流れは変えられない。
朝が来れば、公主の力は通用しなくなり、現実に引き戻されてしまう。
消える直前、視界の端で、静影が体を起こし立ち上がろうとするのが見える。
ふと、彼と目が合った気がした。
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