白雪公主は眠りたい

雪嶺さとり

第1話

瑞花国の後宮には、麗しい姫君がいるという。


雪のように白い肌に、長く艶やかな黒髪。

瞳はこの世の全てを見通すかのように澄んでいて、声は鳥のさえずりのよう。

一目見ればすぐに心を奪われてしまうような、そんな美姫がいるのだと。

多くの人々が彼女の姿を一度でも見てみたいと願ったが、姫君は病弱で外へ出ることが叶わなかった。

だがある時、後宮の奥に秘められた美しき姫の話を聞いた西洋からの使者が、まるで彼女は童話のようだと口にした。

曰く、大国に伝わる御伽噺には、雪のように白く美しい姫の物語があると。

可憐な娘ではあったが、世界で一番美しいと評されたがために、嫉妬に怒り狂った継母に命を狙われてしまうという。

しかし、美しい外見だけでなく清らかな心を持つ姫は逃げ延びた先で精霊たちに救われ、他国の王子と結ばれる幸せな結末を迎えるのだと。


それを聞いた人々は感嘆し、姫君のことを御伽噺になぞらえて呼ぶようになった。


彼女は、『白雪公主』であると──────。



​───────​───────



「それで、本当にあなたが本当に白雪公主なのですか」


瑞花国の方士、黎心れいしんは寝台の上でだらしなく横たわる少女にそう言った。

ただの宮廷所属の方士が皇族に向けて良い表情ではないのは分かっていながらも、黎心は疑うような視線を向けざるを得なかった。


瑞花国には、美しき公主がいる。


それは、この国の誰もが知っている話だ。

長い黒髪に雪のような肌を持つ麗しい彼女は、後宮の奥深くに閉じこもり、滅多に人前に姿を現さない。

数多の人々が彼女の姿を一目でも見たいと望んできたが、まさか、その噂の公主がどうみてもただの年頃のぐうたら娘にしか見えないだなんて誰が想像しただろうか。

長い黒髪はぼさぼさに乱れ、衣服は皺だらけ。

甘い香の匂いが漂う部屋で、面倒くさそうにちらりとこちらを見た彼女は渋々身体を起こし、いかにも今まで寝ていましたというような寝ぼけた顔であくびをした。


「ふぁ……。そう、そうよ。私があなたたちが噂してる白雪公主よ。理想と違ってごめんなさいね」


そう言うなり、もぞもぞと寝台の上で寝返りをうって二度寝を始めようとする。

確かにその横顔は美しい。

だが、美しいただそれだけでは無いのだ。

病弱でか弱く、名の通りに淡雪のように儚い娘であると黎心は聞いていたしそう思っていたのだが、なんだか想像と違う気がしてならない。

いや、噂などどこまでいっても所詮は噂なのだから信憑性は薄いことぐらい黎心にも分かっている。

しかし、他者に対するこのつっけんどんな態度といい、初対面の男の前で平然と眠りこけようとする姿といい、いくらなんでも首を傾げざるをえない。


「すみません。公主様はふだん、この時間はまだお休みになられているんです」


公主にそっぽを向かれ途方に暮れていた黎心に侍女が謝る。

低い背丈に高く間延びした声で、一見して子供のように見えたのだが、驚いたことにここには彼女以外の宮女がいないようなのだ。


「そ、そうなのか……ああ、いや、公主様の都合が悪いのなら日を改めさせてもらいましょう」


「いえいえ。せっかくここまで来てくださったのですからそういうわけにはいきませんよ。ほらほら、公主さま。久しぶりのお客さまなのですから、そろそろ起きてくださいな」


小さな侍女が公主の体を揺さぶってなんとか目覚めさせようとしている。

そこまでしなくても、と止めようとするも、その遠慮のない様子はまるで姉妹のように見えて、なんだか止めづらい。


「まだ眠いの。こんな時間に訪ねてくる方が悪いのだわ」


「しかし、こんな時間とは、今は昼間ですが」


「だからこそよ。昼は昼寝をするに決まってるでしょ」


なんという言い草だろうか。

一切の迷いなくそう断言されて、少々気圧されつつも会話を続けようとする。


「では、朝に訪ねれば良いのですか?」


「朝は早いわ。まだ寝ている時間よ」


「では……夜に」


「夜?ダメよ、一番眠たい時間じゃない」


にっこりと穏やかに微笑み、彼女はそう言った。

黎心は思わず項垂れる。

朝昼晩全てが駄目だということは。


「つまり、来るなと」


「ええそうね。それが一番いいわ」


「……」


黎心は絶句した。

彼女の兄であり自身の主である皇子殿下に遣わされ、ここまで来たというのに公主本人に拒絶されるとは。

『この件は公主に任せるが良い。俺が遣わしたとあれば、公主も自ら協力するだろう』というのは皇子殿下の自信満々なお言葉だ。

それを信じて来てみれば、要約すると眠いから帰れという返答を受け取ることになるなんて。


「もう公主さまったら!だめですよ、そんな態度をとっては。兄上さまが見たら悲しまれますよ」


「そもそも兄様からの遣いなんて、絶対厄介ごとでしょう。どうして私が進んで関わろうとするのかしら。するわけないわ」


話はもう終わったとばかりに、公主は柔らかい微笑みには似合わないほど強く断言した。


「申し訳ありません、公主様。しかし、我ら方士は公主様のお力がどうしても必要なのです。今ひとつどうかお考えください」


ほらほら、と侍女がせっつく。

侍女にはもはや公主の言葉を待つ様子はなかった。

お客様がお待ちになっているんだから、と怒りながら公主の体を持ち上げ、髪を梳き、紅を引き、衣服の乱れを整え……。


「……」


黎心はすぐさま衝立の向こうへ撤退した。

いつの間にか本格的に身支度が始まったので、男性の黎心がその場にいるわけにはいかないだろう。

多分、侍女は公主のお世話に夢中で周りのことが頭に無かったのだろうが、流石に動揺した。

しばらくしてからこちらへ声がかかる。


「もう、仕方ないわね。あなた、こっちへ来ても良いわよ」


ゆっくりと黎心が歩み寄ると、寝台の前では公主が待ち構えていた。


「これは……」


黎心は思わず、感嘆の声をこぼす。

先程までのだらしない娘はどこへやら、そこにいたのはまるで天女のような少女だった。

長い黒髪は綺麗に結わえ、白い花飾りが見事に咲き誇っている。

紅を引いた目元は凛としていて、惹き込まれそうだ。

それらの美しい装飾が、よりも 一層公主の美に磨きをかけている。


公主は黎心の見蕩れたような様子を見て、小さく笑う。


「それであなた、兄様は私になにをさせたいのかしら?教えてくださる?」

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