第11話

瑞花国の宮廷には、優秀な皇子がいるという。

次期皇帝としての将来が期待される一方で、影では皇帝から疎まれているのではないかという噂もある。

表向きは良き親子関係を築いているが、その実、皇帝は自身よりも有能な皇子に地位を全て奪われるのではないかと怯えているのだとか。


……否、皇帝が本当に恐れているのは、皇子が何よりも慈しんでいる彼の妹君だ。


彼女は美しい姫君だが、ある特別な力があった。

かつてこの国に存在したとある仙女が操る術、夢術。

文献には隠されているが、その仙女は、現在の朝廷の真祖により不当に殺害された。

仙女は深い怨みを抱いただろうが、朝廷は彼女を弔うことすらせず、歴史の闇へ葬り去った。

だが今、仙女を謀殺した皇族に仙女の力を持つ娘が存在する。

皇帝はそれを知り、娘の存在を大いに恐れた。


『いつかこの娘は、私を殺すだろう』


その時のことを知る者は、宮廷でも極わずかしかいない。



​───────​───────


よく晴れた午後のこと。

一人の男が、後宮の隅を歩いていた。

顔を見られぬように布を被っているが、その手元には色鮮やかな花束が。

華やかな宮々から遠ざかり、茂みの間を縫うように進んでいく。

しばらくすると、小さな建物が姿を現した。

足音を聞きつけたのか、扉が開き中から小さな人影が飛び出してくる。


「志耀さまじゃありませんか!こんな時間にどうされました?」


瑠珠の眩しい笑みに顔をほころばせた彼、志燿はそっと花束を差し出した。


「中々会いに来れなくてすまなかったな、瑠珠。今日はそなたの為に花を持ってきたぞ」


「まあっ!ありがとうございます、きっと公主さまも喜んでくれますよ」


「そなたの為の花なのだがな……ははっ、まあ良い。日頃世話になっているのだから、次は簪でも贈りたいのう」


「まったく、志燿さまったら。本当にお上手なこと。それより、こんな時間に来てくださるなんて珍しいですねぇ」


瑠珠から冗談だと思われてあしらわれてしまった。

志耀としては瑠珠は旧知の中であり、大切な妹を任せられるほどに信頼しているのだが、こうなるのは普段の行いのせいだろうと苦笑するしか無かった。


「また下らん予定が入ってきおって、いい加減息抜きがしたい。我が妹は眠っているだろうが、少々邪魔するぞ」


そう言いながら扉をくぐれば、不機嫌そうな声が投げかけられる。


「起きてるわよ」


新台の縁に腰掛けた公主が志耀を出迎えた。


「おお、なんとまあ珍しいことよ!どうしたのだ、普段なら眠りこけて顔も合わせてくれぬのというのに」


「よく言うわね。私に月照宮の事件を押し付けたくせに」


不機嫌な理由はそれだったようだ。

公主は志耀に仕事を押し付けられたと思っていたらしい。


「それは、そなたのことを信頼しているからだ。そなたは期待通り、全て解決してくれただろう。さすがは我が妹よ。ああでも、できることなら私が側にいてやりたかったのに、黎心のヤツめ。私が会いに行くのを我慢している間になんども我が妹の元を訪れていたとは……」


「あなたが頼んだんでしょ」


またしても独り言をブツブツ呟きはじめた兄に、付き合ってられないと公主はため息をついた。

公主のことになると志耀の挙動がおかしくなるのは相変わらずだ。


「でも、志耀さまではないお客さまなんてずいぶん久しぶりでしたからね。公主さまが楽しそうで、瑠珠はとても微笑ましいと思っておりましたよ」


「瑠珠、黎心は友達じゃないわよ」


花瓶を抱えて戻ってきた瑠珠に公主がそう言った直後、もうひとつ足音が聞こえてきた。


「​───────おや、俺は少しは公主様と親しくなれたと思ってたんですが」


黎心だ。

小さな瑠珠の後に続いて出てこられると、余計に彼の等身の大きさが目立つ。


「はぁ……もう少し空気を読まんか」


志耀は跡をつけられていたことは分かっていたが、敢えて放っておいただけのこと。

だが黎心はそれほど譲歩してくれるつもりはないらしい。


「すみません、殿下。でもあなたが勝手にどこかへ消えてしまわれると困るんですよ」


「知らんな」


ふんっと拗ねたように顔を逸らすが、黎心は気にかける素振りもない。


「何かあったの?」


「それが、一月後の祀事で協力いただく予定の方士一門の方から、息子を宮廷所属にして欲しいと言い出されまして……。断ったら祀時間への参加を渋り始めたんです。その時はなんとか言いくるめて丸く収めましたが、ご覧の通り殿下の機嫌がすっかり悪くなってしまいましてね」


話を聞くだけで、なんとまあ志耀の怒りを買いそうなことをするものだと、公主は呆れてしまう。

志耀は曲がったことはなによりも大嫌いで、そんな性格じゃあ政とは相性が悪かろうと何度も周囲から言われていた。

その性格を美徳とし、彼を慕うものは少なくは無いので良いことではあるのだが。


「相変わらず忙しそうね。この後も予定がいっぱいって感じかしら」


「そうですね。吏部の方から言伝があるのと、中書省からも一件。どちらもできるだけ優先したいところです」


その口ぶりからして、それ以上にもまだやるべき事がたくさんあるのだろう。


「まあまあ、志耀さまにも休息は必要でしょう。そうだ、黎心さま!せっかく来てくださったのなら、少しお手伝いを頼めませんか?お庭の木の枝が伸びすぎてしまったのですけれど、私では鋏が届かないんです」


「おや、もちろんいいですよ」


こっちです、と瑠珠は軽やかに歩いていく。

確かに庭の木の枝は一本だけ不自然に飛び出してしまっていたが、今すぐやらなければならないほどでは無い。

もちろん、瑠珠が志耀のために気を利かせてくれたのだ。

室内には公主と志耀の二人のみが残される。


「なんだか、一人増えただけでずいぶん賑やかに感じたわね」


「そうだな。瑠珠も言っていたが、そなたが他者をこの宮に入れるのはずいぶんと久しいことだろう」


「まあ、そうね……それで、兄様。ただ遊びに来ただけじゃあないんでしょう」


志耀は頷いた。


「黎心が夢術を使えた理由、だったな」


ずっと公主が気にしていたことだ。

何故彼が夢術を使えたのか。それも、無自覚に。

方士が使うような術とは異なり、素質が無ければ成せないものだ。

それを、理屈も知らず操るなど何か理由があって然るべきだろう。


「宮廷で夢術を使う人物は、二人いる。一人はそなた、もう一人は朱妃……そなたを毒殺するようにみせかけて、夢術の力に目覚めさせた張本人だ」


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