第12話
十一年前の、あの事件。
犯人は公主の母に嫉妬した妃だとされているが、その妃を唆したのが朱妃だ。
朱妃は犯人の妃と親しく、彼女が持つ嫉妬心に目をつけて利用した。
公主を殺すためではなく、公主が夢術に目覚めるように。
朱妃への疑念を最初に持ったのは公主だった。
事件の後、心を病み衰弱していく母の代わりに、公主を守り育てようと朱妃からの提案があった。
皇后でこそはないが、当時最も皇帝からの寵愛を受けていた朱妃の元にいれば公主も安心できるだろうと、公主の身を案ずる朱妃の慈愛に感激する人々もいたが、公主にはあまり信じられなかった。
『夢の中で何度も滅多刺しにしてきた人の元に行って、何が安全なのだろう』
様々な夢を彷徨うようになってから、ある夜、公主は朱妃の夢に誘われたことがあった。
その時朱妃は、なぜ上手くいかないのかと文句を言いながら公主をいたぶり酷い言葉を何度もを浴びせてきた。
当時の公主には朱妃が何をしようとしているのか分からず、他に頼る相手もいない中で窮地に立たされたが、そこを救ったのが志耀だった。
同じくして朱妃を疑っていた志耀により、後宮の奥の小さな宮と侍女の瑠珠を与えられ、朱妃から逃げ切ることが出来た。
朱妃の正体や目的も全て志耀から教えてもらったことだ。
「朱妃はまだ私のことを許していないみたいよ。前に月照宮に行った時は、嫌な視線をもらったもの」
それよりも、月照宮の人々から向けられる視線の方がよほど嫌なものだったかもしれない。
やはり彼女たちにとって、公主はこの国の姫である以前に、『美しく心優しい』朱妃を拒絶した愚か者なのだろう。
「あの人に会ったのは久々だったけれど、やっぱり月照宮に行かなくて正解だったって何度でも思うわね」
「そうだろうな。自らの目的の為に宮女を使い捨てるような妃に、かわいいそなたを預けられるわけがなかろうに」
志耀は憎らしげにそう言う。
このままだと志耀の朱妃に対する恨みで話がどんどん逸れていきそうで、公主は軌道修正をはかる。
「それで、その朱妃と黎心に何か関係が?」
「ああ、そなたには話していなかったがな、黎心は朱家の生まれだ」
「はぁっ?」
なんということも無く軽い口調で言われたが、聞き捨てならない。
そんな話は初めて聞いた。
珍しく派手に驚く公主に、志耀は気楽な様子で返す。
「朱家の生まれだが、不義の子であった為に存在を消され、黎家の息子として育てられた。これは本人も知らぬことだ」
「じゃあ、黎心が朱家の家紋に気づかなかったのって」
「育ての親が極力朱家に関するものを遠ざけていたからだろうな」
「へぇ……そういうこと……」
つまり黎心も仙女の末裔であり、素質は有している。
やり方次第では夢術を自由自在に操れるようになるわけだ。
とはいえ、志耀の軽い口調に反して不義の子と言われるとなかなか他人が口出しできることではなくなる。
それも、本人がいないところであれこれ詮索するような真似は良くない。
公主はそれ以上聞かないことにした。
「朱妃も黎心に目をつけたことがあったようだが、私がいるからな。手は出せまいよ」
「……だから、朱妃は自分のところの宮女を利用せることにしたってことでね」
志耀が頷く。
「翠玲という娘の処分は任せてもらうぞ。悪いが、いくら我が妹の頼みとはいえいいようにはしてやれん」
「分かってるわよ。その代わり、朱妃についても皇帝が黙認して無かったことになって終わり、なんてことにはしないでちょうだいね」
「ああ。これ以上奴を野放しにはできん。朱妃だけでなく、月照宮そのものをなんとかせねばな」
志耀の顔が険しくなる。
この事件で志耀は自身の部下を狙われたのだ。
翠玲と柳家の因縁により標的にされたとはいえ、ある意味志耀への大胆な挑戦とも取れるだう。
「朱妃というより、月照宮の宮女たちが結託したんでしょ。静影を呼び出した文は皆で書いたことで筆跡が不揃いになって、口裏を合わせることで目撃者もいなくなる。薄々勘づいてはいたけど、実際月照宮に足を運んでみてすぐ分かったわ。あの宮は空気が悪すぎたのよ」
甘ったるくて息が詰まりそうで、嫌になる。
そういう空気だった。
「それも分かっていたか」
「当たり前よ。それより、月照宮をどうにかするって言っても、証拠がないんじゃどうにもできないんじゃないの?」
「どうにかしてみせるさ。そのために私は今の地位にいるのだから」
そう言って志耀は自信満々な笑みを見せる。
「頼もしいかぎりね」
「おおっ!我が妹が私を褒めてくれたぞ!なんということか!これほど嬉しいことはない!」
「……」
たった一言で騒ぐ志耀の横で、公主はぱたんと寝台に倒れ込んだ。
せっかくちょっとかっこよかったのに、どうしてこうすぐ自分で台無しにするのか。
隣で嬉しいと喜びはしゃぐ兄の姿から目を逸らしながら少し考える。
(またしても朱妃が黒幕だなんて、気分が悪いわ……)
彼女が何を成そうとしているのか。その真の目的とは。
正確なことは言えないが、おそらく彼女は己に与えられた天性の夢術という才を試しているのだ。
公主も長いことこの力についての文献や史料を集め研究しているが、他者に力を与える技や今回のような複雑な呪詛は、公主には扱えない。
だが朱妃は公主の知識の何倍も先を進んでいる。
自らの知識の為なら他者を利用しようが構わない。そういう方針で、いくつもの知識を得ている。
悪、というよりもそれが悪いことだという自覚がないのだ。
自分がしたいと思えばして良い。自分の知識欲のためなら誰が犠牲になろうが気にする事はない。
無邪気な悪意と言えよう。
皇帝は彼女の本質について理解しているのか、目を逸らしているのか……おそらく後者であることは容易に想像できる。
皇帝は恐れているのだ。
朱妃に仙女の力で自らの意識を掌握されることを。
だからこそ自分の娘である公主をも遠ざけ、朱妃には逆らえない腑抜けのようになっている。
愚かだが、今回の静影の件で夢術は際限なく悪用できると公主も思わされた。
皇帝に娘としての想いは無いが、朱妃に籠絡されて以来眠れぬ日々を過ごしているであろうことには同情する。
果たして朱妃の集めた知識の向かう先とは。
朱妃は本物の仙女に成ろうというのか。
それは公主にははかりかねることだった。
「瑠珠、遅いわね……」
気が済むまで放って置けば良いと、騒がしいばかりの兄を置き去りにして外へ向かう。
庭ではちょうど作業が終わったところのようだった。
「公主様!いまちょうど終わったんですよ。見てください、黎心さんのおかげで綺麗に整いましたよ」
「あら、本当ね」
こぢんまりとしながらも瑠珠が大切に花々を育てている庭を見渡す。
数日前から瑠珠があの枝をどうしようかと頭を悩ませていたので、無事解決して良かった。
こういう時は昔から手伝ってもらっている馴染みの庭師に頼んでいたが、腰を痛めてしまったそうなのでこの所頼むのは控えていたのだ。
瑠珠の背では踏み台を持ってきてもちょっと不安で、引きこもって寝てばかりの公主では力が足りない。黎心のおかげで助かった。
「素人が見よう見まねでしているだけですから。後でちゃんとした庭師に見てもらってくださいね」
「いえいえ!充分綺麗に整っていますよ!それでは私は道具を片付けできますので、どうぞごゆっくり」
そう言って瑠珠はぱたぱたと小走りでかけていき、公主と黎心は二人きりにされてしまった。
志耀から黎心の隠された生い立ちについて知った直後なので、さすがの公主も話すことが思い浮かばず困る。
「見事な花ですね」
そんな公主の内心も知らず、黎心はにこやかに話しかけてきた。
「そうでしょう。あなたなら特別にいつでも見に来ていいわよ」
「それはありがたいですね」
冗談めかして言えば、黎心は笑ってくれた。
それから、ふっと目元を緩める。
「......あの子の夢も、こういう素敵な庭になれば良いんですが」
自分の同僚が呪われたというのに、黎心は翠玲を糾弾するのではなく、ただ彼女の身を案じていた。
「あなたってずいぶんなお人好しなのね」
「そうですか?」
自覚が無いのか不思議そうな顔をされる。
お人好しでありと、鈍感であり、優しすぎる。
黎心はそういう人だと、公主は解釈していた。
「柳静影はもう仕事に復帰できたかしら」
「ええ。仙女を見ただとか言って元気に騒いでますよ。静影はあなたのことを天より舞い降りた仙女だと思ったようで」
きっと、最初に夢の世界へ行った時に目が合ったあの時のことだろう。
それか、翠玲の前で真相を明らかにした時、僅かながら意識があったのかもしれない。
「無事なのは良いけど、仙女なんて私はもううんざりよ」
「そうですね、仙女よりも雪のように美しい姫君の方が静影も嬉しいでしょう。少なくとも俺はそう思います」
「もう……」
急に気取った台詞を言うものだから、笑いたくなってしまった。
「何度も言うけどね。くれぐれも、柳静影に私の話はしちゃダメよ」
「分かってますが……それは何故なんです?今回の件であなたは我々の為に尽力してくれた。感謝されるべきは公主様でしょう」
「そんなの決まってるわよ。いい、黎心。私はね、ぐうたらしていたいのよ」
ハッキリそう言えば、黎心はよく分からないと首を傾げる。
「ぐうたら、ですか?」
「そうよ。私はただ、政治やら人間関係やらの面倒に巻き込まれずに、普通の生活を送って穏やかな生活がしたいだけ。そのためにはね、目立たずひっそり生きるのが大切なの。だから今回みたいな面倒な事件、巻き込まれる前に自分の手でさっさと片付けてしまう方がよっぽどいいのだわ」
それが、この十一年間の生活で公主が得た結論だった。
公主が望むのは、ここでの平穏な生活ただそれだけ。
それを拒むものがあるのなら、全力で打ち砕いて仕舞えば済む簡単なことだ。
「つまり公主様は、怠ける為にその障壁となるものには全力で立ち向かうと」
「ええ。私はね、ぐうたらするために一生懸命働いただけよ。だから柳静影も私の事を知る必要は無いの。架空の人間扱いされる方が、よっぽど素敵だわ」
実在するかどうかもあやふやな、後宮の奥に眠る姫君。
皇族ではなく、白雪公主と呼ばれるぐらいでちょうど良い。
「さあ、行くわよ。あのうるさい兄様を早く引き取ってちょうだい」
「ははっ、言われなくともそうしますよ」
納得したようなしてないような表情の黎心を置いて、公主はすたすたと歩き出す。
それから公主は、ふと立ち止まった。
「ねぇ、黎心」
「なんでしょう、公主様」
公主は振り向くと、ただ微笑んだ。
「あなたきっと、今夜はいい夢が見られるわよ」
白雪公主は眠りたい 雪嶺さとり @mikiponnu
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