第7話

明くる日、公主は黎心と共に月照宮へと出向いていた。

黎心に用意してもらった衣装を身にまとった公主は、顔に化粧を施して印象を変えたり、服に布を詰めて肩幅を広げたりと、上手いこと男装をしている。

ぱっと見れば、小柄な少年のように思われるだろう。


「しかし、ずいぶん見られているわね」


「仕方ないです、我々はそこにいるだけで目立つんですから。ですが正体がバレたというわけではなさそうですよ。この調子で進みましょう」


体格の良い黎心が隣にいるので、そちらに視線がいきがちなのもあり、そう不審がられることはない。

実際、月照宮への道程で宦官などの誰かに怪しまれることは無かった。


「ま、あなたに話しかけづらいってのもあるんでしょうけど」


「……俺って、そんなに怖い顔ですかね」


「気にしてるの?黙ってると確かに近寄りづらいけど、あなたってそれなりに面白い人だから大丈夫よ」


「また適当な……」


「そうね、小動物を添えれば可愛くなりそうだわ」


「一体俺はどの路線を目指してるんですか」


小声でくだらない話をしていると、正体を隠しての潜入中だというのに気が紛れるようだった。

緊張することはなくとも、ただでさえ普段から引きこもって寝台の上から動かない生活を送っているので、慣れないことに気疲れしてしまいそうだったのだ。

明るいうちに外へでるのも久々だった。

昨日は調査に備えて早めに就寝したつもりだが、誰の夢の中にも入らずそのまま普通に眠れたのはとても運が良かったと言えよう。

今晩こそちゃんと寝てやる、と気合いを入れて就寝したおかげかもしれない。

夢の世界へ入り込むのに周期や規則などは無いので、こちらから何かしない限りは運任せなのだ。


「あら、また今日も調査ですか?そちらは初めて見る方ですね」


扉の手前で、馴染みの宮女と思しき女性が話しかけてきた。

これも計画通りである。

以前黎心が来た時、彼女は毎回ここで黎心に話しかけていたそうだから、今回もいると予想していた。


「彼は最近配属された新人なんです。そろそろ現場にも同行してもらおうと思いまして」


「はじめまして。柳天瑛です」


公主はできる限りの低い声で挨拶し、ぺこりと頭を下げる。

天瑛という名は黎心がつけてくれた偽名だ。

彼の知人の名前だそう。


「柳……ああ、もしかしてあの方士さんの」


「はい。従兄弟なんです」


「あらまあ、そうだったのね……」


柳という姓はもちろん柳静影からだ。

宮女の哀れみのこもった表情からして、公主演じる柳天瑛という人物が仇討ちのために来たと思っているのだろう。

被害者と同じ姓を出せば、かならず誰かが反応する。

あの時、夢の世界で去り際に聞いた声から想像するに、犯人は柳家の人々に因縁があるはず。

そこに柳家の人間がもう一人現れれば何かしら反応は見られるだろう。


「おふたりとも頑張ってくださいね……といっても、もうここには怪しいものなんて何も残ってなさそうですけれども。お力になれることがあれば仰ってくださいねぇ」


宮女は苦笑しながらもそう言ってくれた。

まだ怪しんでいるのかと呆れ半分、残りはこうしてわざわざ現場に出向かされている黎心への哀れみといったところだろう。

実際は皇子の命により黎心が全て公主の独断に従っているだけなのだが、やはり、朱妃が疑われているように見えるらしい。


「ありがとうございます。何かあればお呼びしますね」


黎心が爽やかな笑顔で答えれば、宮女はぽっと頬を赤らめて、ほほほと笑い声をこぼしながら去っていく。

その軽やかな足取りで、彼女が浮かれているのがはっきり分かる。


「あなたずいぶん好かれているみたいよ」


くすっとからかうように言ってみると、黎心は作り笑いを崩してくたびれた顔になった。


「困ります。こっちは仕事なんですから。大体、それで咎められるのは俺の方なのでいい迷惑ですよ」


黎心としては調査に支障が出ないように愛想良く振舞っているだけだが、宮女たちからすれば特別なものに見えてしまうのだろう。

なにせ、狭く退屈な後宮の中では宦官の他に出逢いなどはないのだから。


「あら、皇帝は今更その程度で怒ったりしないと思うけど」


「変な冗談はやめてくださいよ」


黎心は顔をしかめる。

公主に冗談を言ったつもりは無かったのだが、ふざけていると受け取られてしまった。


「朱妃様はこちらです」


月照宮の宦官に通された先の部屋で、朱妃は何人もの侍女に囲まれながら黎心たちを迎えてくれた。


「よく来たわね。それで、今度はわたくしの何が知りたいのかしら」


纏う衣装は鮮烈な真紅で、煌びやかな宝玉の飾りが朱妃の美しさに華を添えている。

ふふふと優雅に微笑む朱妃の左右には、揃いの髪型をした愛らしい侍女たちが何も言わず佇んでいた。

その他にも茶を運んでくる侍女や、朱妃が欲しい時にいつでも着られるように上衣を携えた侍女など、何人もの侍女が集まり常に視界が華やかだ。


「朱妃様ではなく、例の現場でもう一度調査をさせていただきたいのです。ご迷惑はおかけしません」


「それだけ?わたくしの可愛い侍女たちに尋問でもしに来たのかと思ったわ」


そう言いながら、朱妃は傍らの侍女の顎を撫でる。

まさしく猫を可愛がるかのようなその仕草に、黎心は眉ひとつ動かさず話を続けた。


「そんなことはしませんよ。初めに述べた通り、我々は朱妃様を疑ってなどおりません」


「うふふ、疑ってくれて構わないのに。律儀にあの方のいいつけを守るのね。あなたたちの主は志耀殿下でしょうに」


「その殿下が仰られたことですので」


朱妃は黎心を弄びたいようだが、何を言おうが黎心は愛想笑いのまま淡々と返すだけだった。

二人がやり取りしている間、公主はただ黙って黎心の隣に立っていた。

余計なことをする必要は無い。今は大人しく部下として控えていれば気にされることもない。

もちろん、この面倒そうなやり取りの間に入りたくないのもある。


「それでは、少しの間失礼させていただきます」


「ええ。せっかくだから、庭の花も眺めていってちょうだいな。ちょうど牡丹の花が見頃なの」


「そうでしたか、ありがとうございます」


侍女たちはこちらに目をやることも無く、ただ朱妃を見つめ、朱妃のために振舞っている。

まるで、黎心たちになんの興味もないとでも言いたげな様だが、ここではそれが普通なのだ。

大半の宮女たちが朱妃に傾倒し、朱妃に飼われるだけの存在。

ずっと前から、まるで朱妃は、月照宮という小さな国の女王であった。


​───────何度来ても、この宮は苦手だ。


甘ったるくて気だるくて、まるで毒のよう。

公主は内心でそう苦々しい思いを抱えながら、黎心の後をついてここから去ろうとする。

だが、その時だった。


「待って。あなた、名乗ってくださらないの?」


黎心も公主も、足を止めざるを得なくなった。

この場で名乗っていないのは公主だけである。


「……名乗るほどの者ではありませんよ」


「わたくし、あなたは初めて見るわね。宮廷の方士にしては、とても若くて華奢だわ。まるで、女の子みたい」


「……」


朱妃の瞳が公主を捉えて離さない。

彼女の妖艶な笑みに、公主はただ黙る。


「どんなお名前なの?わたくし、あなたのことが知りたいわ」


背後で黎心が公主を庇うために一歩前に出ようとした。

が、公主はそれを遮るように口を開く。


「僕は柳天瑛です。本日は黎先輩の補佐として参りました、新入りの方士です」


「天瑛は男ですよ。あなたが気に入るような少女ではありません。それに彼は、柳静影の親戚です」


「ふぅん……」


朱妃は一気に興味を失ってしまったかのように、つまらなさそうにそう返しただけだった。

しかし黎心の一言で、周囲には気まずそうな空気が漂っている。


「あの方士の……」


「復讐のためよ……」


隅の方から囁き合う声が聞こえてきた。

朱妃の視界に入る場所にいること以外仕事のない、手持ち無沙汰な宮女たちが身を寄せ合いだす。

入り口付近で出会った宮女よりも、よほど強く反応している。

ただ、これも事件に関係がありそうなものではなく、柳天瑛が柳静影の為に復讐を成そうとしているように見えただけのことだ。

放っておけば良いと、黎心はさっと背を向けて立ち去ろうとする。

しかし、公主がその後をついていくことはしなかった。


「これでも、お疑いですか?」


にっと口の端を釣りあげ、公主は片手を掲げる。


「天瑛、何を……!」


刹那、公主の掌から白い光が溢れ出す。


「六式・天牢!」


ぶわっと舞い散るのは、白い花弁だった。

途端に、周りからきゃあっと黄色い声が上がる。

どこからともなく吹いてきたそよ風に乗り、花弁は鮮やかに踊り踊る。

まるでその光景は、雪と錯覚してしまいそうなほどに白く、美しい。


「すごいわ……!」


「なんて綺麗なの!」


きゃあきゃあと喜ぶ宮女たちの中心で、朱妃はただ平坦な顔でこちらを見るだけだった。


「どうです?お楽しみいただけましたか」


公主はわざといたずらっぽく笑ってみせる。


「まあ、なんて愛らしいお人なのかしら!」


「天瑛さまって、とっても素敵!」


さっきまで怯えていた娘たちが、頬を赤くして騒ぎ出した。

もちろん公主がしたことはただのデタラメだ。

祝詞は夢の世界で黎心が使っていたものをそのまま拝借しただけで、本当はちょっとした子供だましのような術を披露しただけ。

彼が使った術は結界を造るもので、花弁を吹かせるようなものではない。

何も知らない彼女たちには、もっともらしいものに見えるだけのこと。


「男の子なら、宦官にしてしまおうかしら」


「ご冗談を」


朱妃が言うと冗談にもならない。

黎心はもはや乾いた笑いしか出なかった。

娘たちににこにこと手を振る公主を引っ張り、部屋の外まで連れていく。


「あまり目立ちすぎないでください。後で困るのはあなたでしょう」


「大丈夫よ。ここへ来ることはもう無いもの。それに……」


公主はゆったりと振り返る。

ぱたぱたと急ぎ足で追いかけてきたのは、朱妃の侍女たちのうちの三人だった。


「あのっ、私たちに方士さまのお手伝いをさせてください!」


きらきらと瞳を輝かせた少女たちがそう言う。

お手伝い、というよりも先程の公主を見て興味が抑えきれないという様子だった。


「おや、朱妃様はよろしいと仰っていたんです?」


少女たちはこくこくと首を縦に振る。


「ご迷惑はおかけしません!知っていることなら何でも話しますので……」


「ですが、あなた方からは既に聞き取り調査を終えて」


「ありがとうございます!でしたら、事件が起きた晩の月照宮の様子について教えていただけませんか?」


途端に、少女たちの顔が安心したようにぱあっと明るくなった。


「天瑛……」


またしても遮られた黎心は、恨めしげな視線を向けている。

彼女たちからこれ以上話を聞く必要などないのに、公主は何をするつもりだと言いたげだ。


「改めて話を聞けば、新しい発見があるかもしれません。情報の再確認ということにもなっていいでしょう」


いつもよりも低い声を出して優雅に微笑むその様は、より一層どこかの名門の若君らしく見える。

少女たちはすっかり柳天瑛に夢中な様子で、黎心は調査の主導権を明け渡すしかなかった。


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