第13話「必然の再会」
宗二との面会の後、地下牢を出発した勝によって、フォーティスとサピエンスの二人が告発され、紆余曲折を経て、内一人が死亡、もう一人が社長による有罪判決を受けたことを以って、看守殺人事件は幕を閉じた。
「申し訳なかったッ!」
事務室の、地下牢へと繋がる階段の前で、灰色の髪の中年男性――看守長が、深々と頭を下げる。
無罪放免となった宗二が、それを伝えに来た勝と共に地下牢を出ると、まず、こんなことが起こった。
「な……ッ!」
隣を見ると、勝は目を見開いて驚愕していた。どうやら看守長の素行からは考えられない行動らしい。確かに、彼は相手に有無を言わせぬような威圧感を放つこともあったが、この態度に驚愕する程のことだろうか。宗二にはその驚きがよくわからなかった。
「お詫びなどと言うのもおこがましいが、今日一日は自由に、好きなところで過ごしてくれ」
看守長は再び頭を下げた。
そんなことがあった訳で、許可を得た宗二は早速、自由と聞いて最初に思いついた場所に向かった。それは運動場にある、倉庫沿いに置かれた唯一のベンチだ。そこに寝て空を眺めると、ここに来てすぐの頃、同じように空を眺めたことがあったのを思い出した。あの時は雲一つない青空が広がっていたが、今日は実に青一つない曇空だ。まるで墨を流したように黒く渦巻いている。今にも雪が降り出しそうな空模様だ。
「現実でも、ああいう類の事件って起きるものなんだな」
宗二は、懐かしむような言葉と裏腹に、感慨深さを全く感じさせない平坦な口調で、天に向かってひとりごつ。すると、
「そうだね」
軽妙な相槌が返ってきた。宗二は呆れたように一度目を瞑ると、声の方を見やる。
「なんでお前がいるんだよ」
「宗二くんの容疑が晴れたのを、一緒に喜ぼうと思ってね」
倉庫の壁にもたれ掛かって腕を組む男は、今回の立役者である、勝だ。彼はやけに楽しそうな笑顔を湛えて、気兼ねなさげにそう言いつつ、こちらに向かって歩き出す。
「ほら! もっと感謝してもいいんだよ? 僕を命の恩人だと崇め奉ってもいいんだよ?」
「……。はいはい」
得意げな顔で両手を広げる勝を、微妙な間を置いてからぞんざいにあしらうと、
「えええ!! 冷たいよぉ!!」
両手で自分の肩を抱いて騒がれた。
やかましい。わざとらしい。嘘くさい。
「こうやって外に出れるの、嬉しくないのぉ?」
「お前には感謝もしてるし、嬉しいけど、疲れすぎて……いや多分疲れてなくても、盛大に喜ぶような気分にはなれない」
「あらあらあらぁ。そうなのねぇ」
心底鬱陶しい、勝の馬鹿にしたような返事に閉口し、もう何度目かもわからない溜息を付くと、ガチガチに固まった上体を起こしながら、今日一日感じていた違和感を伝える。
「お前、今日はやけに気持ち悪……じゃなくてうざ……調子がいいな」
「いや訂正出来てないよ!?」
勝はまた耳を劈くような大声でツッコミを入れる。
「だから、それのことだよ」
そう、勝はもとよりどんなことでも冗談めかして話す人だが、今日はまさに奇を衒うといった風情で、変なのだ。
「ああ、これ? これは開放感と嬉しさを表現してるんだよ。だって、今日は事件が解決するまでずっと、滅茶苦茶緊張してたんだよ?」
宗二の隣に腰を下ろしつつ、そう言う勝の声は、ようやく普段の雑談のような調子に戻っていた。
「そうなのか」
「そうだよ。だって失敗したら、宗二くんが有罪になるって状況だよ? 人の命が懸かってるのに、緊張しない訳がないよ……」
勝は運動場のほうを見ながら、不安だったことが見え隠れする、何処か頼りない声で言った。
「確かに、そうか。それにしても、お前みたいな奴でも緊張ってするんだな」
「当たり前でしょ?」
「でも、そう言う割にはお前、地下牢に来た時は妙に興奮してなかったか」
「わかってないねぇ、逆だよ逆。滅茶苦茶緊張してたから、怖気づかないようにわざと気分を高ぶらせてたの。そうでもしないと、緊張で頭真っ白になって声が震えそうだったからね」
「ああ、なるほど。だからあんな胡散臭い探偵ごっこをしてたのか」
「こら! ごっこって言わない!」
勝はこちらを向いて怒ったが、敵意や威圧感はなかった。むしろいじらしいとさえ思える程で、故意に、本気で怒っている訳ではないことを伝えているようだった。
「いや、探偵ごっこが出来て嬉しいって言ったのはお前だろ」
「あれ? そうだっけ?」
咎めるような口調で言うと、彼は本当に覚えていないような顔をした。自分が何を話したか忘れる程に緊張していたのだろうか。
宗二は目を逸らして、ふと足元に目を向けると、そこには茶色に濁った水溜りがあった。宗二が背筋を伸ばして、水溜りを真上から覗き込んだのと同時だった。ビューと冷たい風が吹いて、水面がこちらに向かって波立ち、そこに映った宗二の顔も、陽炎のように歪んで揺れて、自分の顔をはっきりと見られなかった。首筋を刺した風の冷たさに、ダウンジャケットに包まれた体をブルっと震わせた。
「そういえば……!」
勝は、いかにも今何かを思い出したといった感じで切り出した。宗二が弾かれたように顔を向けると、勝は落ち着かない様子で眼鏡の位置を直す。宗二としては、彼が口を開くまで、先程の空気が沈黙だとは意識もしなかったが、勝は少しの空白も気まずく感じたのだろうか。
「やっぱり、何でもない……」
目を逸らして言われ、余計に、悪い意味で呼吸するのを忘れてしまうような、なんとも居心地の悪い空気が流れた。宗二も運動場のほうを見てから「……そうか」と呟いた。
結局、勝は、宗二が酷く取り乱した、地下牢での件には触れなかった。
「俺、部屋戻って寝る」
前触れ無く、宗二がそう告げて立ち上がり、倉庫の出入り口に向かい始めると、勝は「待って」と後を足早に追ってきた。
寒すぎて、早く室内に戻りたいうえ、早く寝て、すっきりした頭でまた脱走のプランを立てたいのに……と、そこまで考えた時だった。ふと、思い出した。
「そういえば」
横目で見ると、既に追いついて、隣に並んで歩く勝と目が合った。
「何?」
「勝が、商品に紛れて、脱走を計画してる奴を誘き出してとっ捕まえる、私服警官的な人じゃなくてよかったよ」
安堵したと言いながらも、声の色はちっとも変わらず、疲弊しきったそれだったが、こればかりは本当に胸を撫で下ろしていた。
「どういうこと?」
だが、聞いた勝は首を傾げる。もっと詳しく、前提から話さないと、流石にいきなり過ぎたか。
「ほら、勝はよく脱走したがってる奴と仲良くするって話を聞いたから、その噂に焚きつけられて勝に近づく、脱走狙いの商品を暴き出す……みたいな役の人かもって疑ってたんだけど。冤罪で捕まった俺をわざわざ助けたってことは、どうやら俺の思い違いだったようだな」
頭がうまく回っていなくて、ちゃんと説明出来たか自信ないが、これでわかっただろうか。そう思いつつ、勝の反応を見ると、
「いやいや、意味わからないし、そもそも何の話?」
本気で意味がわからないというような顔をこちらに向けていた。宗二は「ええ……」と眉をひそめると、説明を諦めて請う。
「勝の話だって。わからないって、具体的に何が」
「全部だけど……。そもそもだよ、宗二くんが脱獄したがってるのなんて初耳だよ?」
「え?」
こっちの台詞だと言わんばかりに眉をひそめられ、思わず間抜けな声を出してしまった。
「でも、八七番が、勝は脱走する気のある奴としか仲良くならないって」
困惑した様子で言う。
「あいつ、そんなこと言ったの?」
「ああ」
肯定すると、勝は忌々しげに顔をしかめた。
半ば必死になりながら、八七番との会話を思い出すと、確かに彼女は、宗二が稀有な類のサピエンスだから、勝が、宗二なら脱走の役に立ちそうだと思って仲良くなったのではないか、と予想を言っただけで、勝が宗二の脱走願望を知っている、と断言するようなことは一言も言ってない。ならば、本当に知らなかったのだろう。
だが、そうなると別の疑問が生まれる。
「なら、脱走のこと知らなかったのに、なんで俺を助けたんだ? 俺はてっきり、俺に恩を着せて、脱走のための手駒にするためだと思ってたけど……」
「え!? 僕そんな奴だと思われてるの!?」
「ああ」
勝のうるさいツッコミに気兼ねなく堂々と頷くと、彼はわざとらしく肩をがっくりと落としてから、渾身のツッコミを入れる。
「酷いよっ、宗二くんっ!」
「いや、本心を隠さず振る舞えって言ったのは、お前だろうが」
「あっ……」
声が詰まった勝は一瞬固まり、「そうだったね」と顔を伏せた。それがこれまでのように演技臭くなく、本心から零れ出た言動に見えて、彼の真意が垣間見えたような気がしたが、しかしどうだろう、気の所為かと違和感を受け流した。
そうこうしている間に、気づいたら倉庫に入るための扉の前に到着していた。
「で、結局なんで助けたんだ?」
中に戻る前に、足を止めて問う。
「それは、宗二くんが――」
すっかり普段の調子に戻った勝が、顔を上げて答えようとした時だった。ガチャリと扉が開く音が鳴って、勝は電池が切れたようにぷつりと話を止めた。扉から出てくる人が職員だった場合、脱走関連の話を聞かれたらまずいからだ。二人は、初めから何も話していなくて、ただ黙して扉に向かっていたかのように、自然体で佇む。
だが、その上手くやり過ごす計画は、勝の予想外の言葉によって出鼻を挫かれた。
「社長……?」
意外そうな響きだった。勝は扉の方を見ている。
社長――勝が助けてくれなかったら、本来は地下牢で会っていただろう人物。どんな人だろうかと宗二も気になり、扉から出てくるその人に目を向ける。
そして、固まった。
「ぁ――」
胃を鷲掴みにされて、ギュッと握られたような気がした。苦しくて、みぞおちを押さえて倒れ込みたかったが、それすら出来ない程、全身が氷像のように凍て付いていた。
ふと、風が吹き付けた。肌に突き刺さるそれは、先程までの何倍も冷たく、何倍も痛かった。
扉から出てきた人物は、風になびく柔らかな黒髪を片手で押さえると、その可愛らしい、若干眦が垂れた目で宗二を捉えた。すると、その女――いや、女風の男は、濁りなく純粋なのに、その純粋さこそが歪に思える、すこぶる無邪気な笑顔を咲かせた。
「あ! 久しぶり、宗二くん!」
そして、待ち合わせに現れた恋人に掛けるような、殊更明るい調子で言いながら、こちらに大きく手を振った。
――それは因縁の相手、駿だった。
映し鏡 馬刺良悪 @basasinoyosiasi
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