第9話「俺とフォーティス・1」
花井亮は、自分が看守に相応しくない性格であることを自覚していた。
それは、彼が誰に対しても親切過ぎる、困っている人を放っておけない、所謂少年漫画の主人公タイプの人間だったからだ。
「俺は、仮にそれが全く知らない人であったとしても、せめて手の届く範囲の人には、辛い思いをしてほしくない」
――それは、相手が商品という、看守から見て低い立場にある人達でも同じだ。
形式上商品と言えど、相手も自分と同じ人間だ。所有権が我々にあるからといって、彼らに無法な仕打ちをして良い理由にはなり得ない。だから本当は、商品に対しても、ぞんざいな扱いなどしたくなく、彼らのことを最大限尊重したいと常々思っていた。
しかし――
『彼我の関係は商品と看守。君は看守としての威厳をもって彼らに接し、時には躊躇わず傷つけろ』
これが看守長の、亮に対する長年の口癖だった。
ここでは、商品を自分と対等に扱ってはならない、そう繰り返し叩き込まれた。
初めは、そんなこと間違っていると、心のなかで反発はしたが、その看守長の考えもまた、人身売買を潤滑に進めるためには理にかなっていたので、表立って否定は出来なかった。すると、その良くも悪くも他人から影響を受けやすい気質から、亮は看守長の考え方に矯正されるように、次第に本当の感情は包み隠して表に出さず、淡々とした薄情者を演じるようになっていった。時には居丈高な態度も取った。
ただ、何度注意されても、どれだけ矯正されても、ふとした時に生来の思いやりが言動に現れてしまう程に、彼は人に対して親身に、穏当に接する人間だった。
「おい、後少しだ。もたもたするな」
だが今となってはこの通り。時とは残酷なもので、つい先程まで嘔吐をしていた病人に対しても、容赦のない言葉を投げつけられるようになってしまった。
そのぐったりとした男に肩を貸して、職員棟の廊下を進みながら、亮は変わってしまった自分を心の内で嘲る。よくも体調不良者に、こんな物言いを出来るようになったものだ。と、そんなことを考えている間に医務室の前に到着していた。
ここ最近、体調不良を訴える商品が目立つようになった。
冬場の体調不良は集団感染のリスクが高いから、見つけ次第すぐに医務室に連れて行くように、と医務員に指示を受けている。彼を医務室に連れて行く判断を下したのも、それが理由だ。
鍵の掛かっていない扉のドアノブを片手で回し、足で扉を押し開ける。
真っ白な医務室。それなりに広く開放的な空間なのに、そこにあるのはベッド、丸型のパイプ椅子、引き出しが幾つか付いた白い机だけで、やはり酷く殺風景だ。
壁に沿って置かれた簡素なベッドに男を寝かせ、
「少し待ってろ。医務員を呼んでくる」
そう言って部屋から出ようと踵を返した。
だが――
「待って」
弱々しい声で呼び止められ、亮は出鼻を挫かれた。そして、何だろうかと男の方に向き直ったのと同時だった。
「おッ――」
腹にこれまで味わったこともないような凄まじい熱さを感じて、反射的に目を剥いた。熱してどろどろに溶けた鉄を腹に流し込まれたような、酷く苦しい感覚。
しかし、おもむろに目線を下げると、実際は異なることが起きていることを知った。
「な、ぜ……っ」
ベッドで寝ていたはずの男は、タックルするラグビー選手のような体勢で亮の懐に潜り込んでいた。その両手にはナイフが握られていて、それが皮膚を易易と貫いてみぞおちに刺さっていた。
それを認識した瞬間、熱さは痛みへと変容した。内蔵を引き裂いたような激痛。脳みそが大量の針で刺されているように痺れる。目の裏にジリジリと火花が散った。熱さとも寒さともつかない不気味な感覚が、電流のように全身を駆け巡った。
男は全身に力を籠め、刺さっているナイフを捻り、抜き取ると、ドバッと、それまで堰き止められていたものが溢れ出した。亮は投げ出されたようにたたらを踏みつつ、傷口を見て絶句した。
ナイフに開けられた穴を中心に、真っ赤な血が紺色のつなぎを染めていく。見る見る内にその範囲が広がっていくのを見て、亮は察した。
もう、駄目だ。
全身からごっそりと力が抜けて、膝を付いて蹲る。胸が苦しくて息を吸ったら、思い切りむせた。ボコボコと湿った咳が繰り返し出る。湿っていたのは、咳き込みながら血を吐いていたからだった。
だが、吐血も長くは続かなかった。
すぐに死んだからではない。フォーティスの体は丈夫だから、この程度では死なない。
それは、『ちょうどいい』位置に降りてきた亮の顔面を、男が蹴り上げたからだ。
稚拙ながらも、全身を捻って繰り出された蹴り。振り上げられた男の足の甲が、亮の鼻頭を抉った。鼻に、目眩がする程重い衝撃が走ると、弾かれた勢いで亮の体は仰向きに薙ぎ倒された。倒れながら顔が上を向くと、天井が伸びるように高くなっていった。ゴツンと、後頭部が床に激突し、ズーンと頭の中が振動する。それに最早痛みは感じなかった。
「ぁ、ぁ……」
体から、生きるための力が失われていくような感覚に喘ぐ。ゆっくりと、ゆっくりと意識が薄れていく。現実が遠ざかっていく。目の前が白ばんでいくような、暗くなっていくような。
同じように、全身の神経を焼いていた苦しみも痛みも、ゆっくりと遠ざかり始めた。
ふと、色の褪せた視界で、何かが赤く閃いた。ぬめりと濡れた、妖艶な赤い輝きだった。同時に映ったのは、馬乗りになってこちらを覗き込む男の浮かべていた表情だ。その口は、道化師の仮面のように、三日月に歪んでいた。
艶やかさと不気味さ。その二つが酷く不釣り合いで、でもどちらにも心を惹かれるような妖しさがあり、よく似合っているようにも思えた。
赤い輝きが舞うように翻ると、それは美しい弧を描いて、亮の顔へと落ちてくる。示し合わせたように部屋がピカリと光った。それがあまりに眩しくて、弧を描いた残像が、真っ赤な曲線となって目に焼き付き――
それが最後だった。
全てを掻き消すように、雷の轟音が、猛吹雪の夜を駆け抜けた。
床に転がるそれ。
それは、冷たい色の金属で出来ていた。それには、原色のペンキを思わせる鮮やかな赤い液体がべっとりと付いていた。それの周りには赤い飛沫が散っていた。
それは天井の蛍光灯の光を反射して、妖艶に赤く閃いていた。
――それは、血に濡れたナイフだった。
「ぁ――」
宗二は口を押さえて固まった。
血に濡れたナイフ。記憶が、悪夢が蘇る。それを宗二の目に焼き付けんとばかりに、ピカリと部屋が光った。陰影と共に、くっきりと浮かび上がる鮮血とナイフ。ゴロゴロ――と、凄まじい雷の轟音が耳を劈いて、脳を揺らした。
――胸に深々と刺さる、血に濡れたナイフ。
頭の隅に追いやって、見ないように触れないようにと、仕舞い込んで蓋をしていた記憶。向き合うのが恐ろしくて、目を背け続けてきた記憶。――母の死。
それが重なり、押さえ込んできたものが一気に放出されたように、当時の情景が鮮烈に思い出された。悪夢がありありと、目の前に映し出された。
血、ナイフ、血、血、ナイフ、血、ち、ち……
「なんだと……」
驚愕の様相を呈する看守長の呟きは、最早宗二の耳には届かない。
現実ではないような感覚に目眩がした。頭がふわふわとして、視界がぐにゃりと歪んで回る。足が自分のものでなくなったように力が抜ける。息が詰まったように苦しい。息が荒くなる。ゼーハーと繰り返しても、一向に苦しさが治まらない。
呼吸が加速する。急かされたように、震える息がどんどん速くなる。鼓動が加速する。胸の奥を打ち付けるような鼓動の響きが速くなる。全身が戦慄する。
苦しい。頭が苦しい。胸が苦しい。腹が苦しい。
「……きそう」
腹の中が掻き回されたような感覚。途端に、猛烈な勢いで胃から何か熱いものが上ってきて、
「お、おぇええぇぇ――」
後ろを向いてしゃがみ込み、ベッドの横の床に吐いた。湧き上がる吐き気と共に、体が芯からブルっと震え上がる。
突然の嘔吐に看守長は戸惑ったように硬直し、しかしそれは一瞬のこと。直後には弾かれたように動き出して宗二の横に屈み込んだ。
「おい! どうした!」
切羽詰まったような荒々しい声。すぐ耳元で発せられているはずなのに、酷く遠くから聞こえるように感じる。
宗二は案外すぐに吐き終えた。胃の中身がもう空っぽだったからだ。でも吐き気は治まらなかった。吐き出せるものはもう残っていないのに、ゲーッと音を出して暫くえずき続けた。
「――――」
やがて落ち着き、宗二はベッドにへたり込み、看守長はパイプ椅子に腰掛けた。
看守長の頭の中は混乱を極めているようで、信じられないと言わんばかりの顔で床のナイフを見つめている。そのじっと動かない青色の目には、複雑な感情が行き交っていた。
そうしてどれくらいの時間が経っただろうか。部屋を包む沈黙は、コンコンとドアを叩く音で破られた。
「失礼します」
「……入れ」
ここに在らずだった心が現実に戻り、何とか気を取り直した看守長が返事をする。部屋の扉が開くと、入ってきたのは赤褐色の髪が特徴的な男性の看守だった。
身長百九十センチ弱のひょろっとした体つきに、目元が前髪で隠れていて、何処か陰鬱そうな印象を受ける。高身長のサピエンスに見えなくもないが、もしかしなくともフォーティスだろう。
「職員及び商品に、不在のものはおりませんでした」
彼は恐る恐る部屋に踏み込むと、強張った面持で看守長にそう報告した。
「そうか、ご苦労」
看守長が答えたのと同時だった。赤褐色髪の看守は件のそれに気がついたようで、怯えたように目を見開いて床の一点を指差した。
「それは……、そのナイフは、何ですか……」
看守長はナイフを一瞥してから赤褐色髪の方に顔を向ける。そこに浮かぶ表情は、宗二の位置からは見えなかった。
「この商品の懐から見つかったものだ」
そう言ってから看守長は、目線で宗二のことだと示す。「は――?」と言葉に詰まる赤褐色髪もこちらに目を向けた。
そこでようやく、宗二は我に返った。そして同時に、今向かい合っている現実を本当の意味で理解した。
看守長と赤褐色髪は、二人共同じ目をしていた。見開いた瞳は、恐怖に慄くように揺れていた。だが、そこに宿るものはそんな及び腰なものではない。もっと強くて、焼き焦げる程熱いものだ。
宗二はその目を知っている。
母が殺された時、駿に凶気の告白をされた時、宗二自身が彼らに向けた目だ。
憎悪、怨嗟。自分から大切なものを奪った存在を焼き殺さんと猛る想い。それらが宿り渦巻く灼熱の目だ。
宗二の大切なものを奪った彼らに向けた黒い感情を、今度は宗二に奪われた彼らが返しに来たという訳だ。
でも――
「では、彼がやったんですね……」
「十中八九、そうだろう」
神妙な声色で確認する二人。だが、宗二は俯いたまま呟く。
「違う……」
「何だって?」
弱く、小さな呟きだった。そのためすぐ隣にいる看守長でさえ聞き取れなかったようだ。赤褐色髪に関しては訳がわからずキョトンと首を傾げた。
「違う。俺はやってない」
「今更何を――」
「だから、俺じゃないんだ。信じてくれ」
「だが、信じろと言われても……」
そう言葉尻を濁して、看守長は見たくないものを我慢して見るように、体を仰け反らしつつ、苦々しげに顔を顰めて床に目線を落とした。宗二の目線もその後を追う。
そこにはあったのは、転がったまま放置された血まみれのナイフだった。
「信じろと言うならば、これ以上に説得力のある証拠を見せてくれ」
「――――」
取り敢えず何か言わなければと口を開いたが、言葉は何も出てこなかった。
証拠、証拠……何かないのか。あんぐりと口を開けたまま、混濁した思考で必死に考えたが――そんなもの、あるはずがない。
なぜなら――
「俺はずっと寝てただけだから……。何も、知らない……」
宗二はナイフを見つめたまま、発作を起こしたように首を左右に震わせながら容疑を否認する。しかし良くないことに、ナイフという決定的な証拠を持っているからか、宗二の気勢が弱々しいからか、看守長は段々と調子を取り戻してきてしまった。
「知っていることをすべて吐け」
「何も、何も知らない……ッ」
その宗二が犯人だと確信しているような雰囲気に、段々と血の気が引いていく。このままでは本当に……と考えれば考える程、頭の中が真っ白になっていった。
「誤魔化しはもうやめろ」
「本当なんだ!」
声を荒らげて顔を上げたが、一度出来上がった看守長の毅然とした態度は揺るがない。
「では、君は何故ナイフを隠し持っていたというのだ」
宗二は震えて引き攣りそうになる喉で、しどろもどろに言葉を絞り出す。
「いやッ、か、隠し持ってた訳ではないんだ」
「では、そのナイフをどうしていたと?」
「どう、していた……? どうしていたも何も……」
宗二は顎に手をやり、努めて深呼吸をしながらじっくりと言葉を選ぶ。何度か呼吸を繰り返した時には、思考の緊張は幾分か和らいでいた。そして俯いたまま、まだ微かに震えの残る声、しかし滞りなく言葉が流れ出た。
「もとより俺のナイフでもないし、いつ服の中に入ったのかも知らない。少なくとも寝る前には入ってなかった。強いて言うなら……」
宗二はおもむろに、看守長に視線を向ける。看守長も硬い表情でこちらを見ていた。
「――目が覚めたら服の中にあった」
「……目が覚めたらそこにあった?」
看守が聞き返すと、宗二はこくりと一度頷く。そのまま二人は、暫く無言で、真顔で向かい合っていた。しかし、看守長の纏う空気が段々と変わっていき、その神妙な空気は、噴出したように沸き起こった怒鳴り声に吹き飛ばされた。
「ふざけるのも大概にしろッ! よくも人を殺した後にそんな戯言が吐ける! なあ、源」
看守長は、聞いているほうが思わず萎縮してしまうような圧のある声で、源――赤褐色髪の看守をそう呼んだが……いつまで待っても返事はなかった。
不審に思ったのだろう、「源?」と振り返ってみると、既に部屋に彼の姿はなかった。どうやら宗二と看守長が遣り取りに夢中になっている間に、彼は人知れず、足音も立てずに退室していたようだ。
けれども看守長は気にした様子もなく、憤慨に表情を歪めたまま、ベッドに力なく腰掛ける宗二の腕を取る。そして「戯言の続きは別の部屋で聞いてやる」と、宗二を立ち上がらせようとしたその時だった。
バタンッ! と凄まじい音が鳴り響いた。
宗二と看守長は揃って驚きに肩を跳ねさせながら、弾かれたように音の方に振り向く。耳を劈いた音は、壊れそうな勢いで扉が開かれた音だった。
扉の先には看守が一人立っていた。金髪のポニーテールが良くも悪くも目立つ女性の看守――何度か宗二の部屋にも来た、やけに八七番と仲が良い看守だ。
彼女は鬼の形相で、刃物のような鋭い眼光で部屋中を睥睨すると、狙いを定めたように一点をキッと睨みつけた。
それに射抜かれたのは、宗二だ。
「――――」
宗二は彼女と目が合った瞬間、首筋をナイフの刃で撫でられたような恐怖を覚えた。
首筋を怖気が駆け上がる。ブルっと背中が戦慄した。
こいつは、ヤバい。もっと正確に言うならば、殺されると思った。
そうさせるだけの切れ味と熱が、こちらを捉えて離さない彼女の翠色の瞳には籠もっていた。
金髪の看守は脇目も振らず、肩を震わせつつ、ドスドスと乱暴な足取りでこちらに詰め寄る。そしてその勢いを一切殺さず、看守長に腕を掴まれた体勢のまま固まる宗二向かって拳を引き、
――いきなり殴りかかった。
頭が吹き飛んだかと思った。
そう感じる程重い衝撃が頬にぶつかり、顔が横に弾かれた。いきなりのことで、宗二は何が起こったかわからなかった。
「あんたが、亮を……」
憎しみを滲ませた声。過呼吸気味に乱れた、荒い呼吸音も聞こえてきた。
頬が鼓動に合わせてジクジクと痛む。それに顔を歪めていられるのも束の間、金髪の看守は濁った声で「あああ――!!」と叫びながら反対の頬を殴りつける。鈍い音が鳴った。目眩を起こしたように頭が揺れた。
「許さないッ!」
振り上げられた何か硬いものが顎下に当たり、下顎が突き上げられると、上下の歯がぶつかってカッと音が響いた。看守長に掴まれていない方の腕も掴まれ、ぐっと前に引き寄せられた。
「殺してやるッ!!」
そうして前に出た腹に食らわせられる膝蹴り。体がくの字に曲がって、肺の空気が絞り出され、一秒程呼吸が出来なくなった。遅れて腹部に広がる、尋常ならざる痛み。どうしようもなく苦しいそれを腹筋を力ませて、なんとか耐えた。
宗二は泣いていた。訳もわからないのに、只管に涙が溢れて流れ出していた。それが血と混じって、ポタポタと滴った。
その後も殴られ、蹴られ、とにかくボコボコにされた。宗二は無抵抗に、目と歯を食い縛って耐え抜いた。もう痛覚がおかしくなって、痛いのか苦しいのかもわからなくなっていた。顔と口の中は、皮膚が何箇所も破れて血だらけになっていた。骨も折れているかもしれない。
やがて前触れもなく、気力を失ったように、金髪の看守は突然暴力をやめた。
彼女が宗二の腕を離すと、宗二はベッドの前の床にだらりと、腰を抜かしたように崩れ落ちる。ただ、看守長は最後まで宗二の腕を離さなかったため、片手を釣り上げられたような歪な体勢になった。
暫くジーンと、麻痺したように脳が痺れていたが、次第に収まっていく。改めておもむろに、パンパンに腫れた瞼を開くと、宗二は目の前の光景に思わず息を呑んだ。
金髪の看守が、宗二の正面にしゃがみ込んでいた……いや、泣き崩れていたからだ。
「うっ、うっ……」
漏れ出すような嗚咽。
彼女は両手で顔を押さえているが、掌と顔の隙間から涙が滲み出て手首の辺りを伝っている。彼女の小刻みに震える、丸まった背中が、先程までの半分くらいの大きさに、縮んで見えた。
それ程に威勢がなく弱々しかった。
「なんでッ、なんで亮なのぉ……」
口調までも弱々しく、涙声で呻く。宗二はただ唖然と、それを見て、聞いていた。
「返してよ……」
金髪の看守は顔を上げて、指の隙間から宗二を睨む。
ボロボロと涙が零れだすその目は、得も言われぬものだった。何かに縋るように弱くて、でも悔しくて憎くて堪らないといわんばかりの熱さにも満ちていた。整理のつかない様々な感情が溢れて、混ざり合って、ぐちゃぐちゃになってしまっているようだった。
「あたしの亮を……ッ、返してよ……ッ」
何かを必死に絞り出すような、キューッと甲高い声。
彼女はフォーティスだ。宗二にとって彼女は忌むべき存在で、憎くて仕方がないはずなのに、泣き縋って懇願する姿を見ていると酷く困惑した。
まるで鏡に映った自分を見ているような気分がして、何も言えなかった。ただ唖然と、指の間から覗かせる悲痛に歪んだ顔を見つめることしか出来なかった。
この場で、「俺はやってない」と言えなかったのは、きっともうこれ以上彼女を激昂させて、殴られたくなかったからだ。
そうだ。そうに違いない。
それ以外に、有り得ない。
これは後から知った話だが、金髪の看守は死んだ黒髪黒目の看守――亮と恋仲だったそうだ。
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