第10話「俺とフォーティス・2」

 定時報告――それは、この倉庫の看守達が、二時間ごとに、職員棟にある事務室という、倉庫の職員たちが事務作業を行うための大部屋に集まり、看守長に商品の状態を報告する定例業務のことだ。

 その日は、夜の十一時半がその定時報告の時間だった。五分前程から続々と看守たちが集まってくると、定時である十一時半ちょうどに点呼を行った。しかし、そこに亮の姿はなく、暫く待っても彼は現れなかった。

 真面目で働き者の亮が時間を守らないことは稀有だったため、集まった看守達に聞いてみたところ、なんと、ここ一時間程誰も彼の姿を見かけていないというではないか。看守長は訝しんで、職員四名を捜索に出させた。結果、一人の医務員が立ち入った部屋――『医務室2』で、亮のものと見られる死体が見つかった。それは奇しくも、宗二が寝ていた『医務室1』の隣の部屋であった。

 部屋の真ん中で仰向けで倒れていた死体には、腹に一つ深い刺し傷、顔は滅多刺しにされた跡があり、顔が判別できない程酷い状態だった。服装や持ち物は亮本人のものだった。死体の周りだけでなく、ベッドや壁の辺りまでもに血痕が飛んでいたため、部屋で亮が抵抗した可能性がある。壁際に落ちていた時計は十時四十五分を指した状態で針が止まっていた。何かしらの強い衝撃が加わった結果、壊れて動かなくなってしまっているようだった。凶器は部屋からは見つからず、返り血の付いたつなぎがゴミ箱に捨てられていた。



「――そのつなぎのサイズは、百八十だったそうだ」


 医務室での一件の後、宗二は看守長に連行され、地下にある独房のような部屋に監禁された。職員棟にある事務室には地下に繋がる階段があり、そこを下った先に取り付けられた重厚な鉄製の扉の奥に地下独房はあった。四方を冷たい色のコンクリートに囲まれた、ベッドとトイレが置いてあるだけの、広さ実に三畳程の狭い部屋だ。

 そこで宗二は殴られた怪我の処置を受けると、暫くしてから看守長が帰ってきて、早速尋問が始まった。まずは、前記のような現場の捜査状況を伝られた。


「で、君の身長は百六十九センチ、普段着ているつなぎのサイズは百七十だな? 何故わざわざ百八十のつなぎを用意して犯行に及んだのだ」


 看守長は自ら持ってきたパイプ椅子に腰掛け、大袈裟に足を組んでみせつつ、ホチキスで角を留めてある手元の紙資料を眺めて、居丈高に問うた。


「知らない。俺はやってない」


 対して宗二は黄ばんだシーツの掛けられた、ギシギシとうるさい古臭いベッドに腰掛けて、ぶっきらぼうに答える。


「またそれか、君。何度繰り返せば気が済むのだ。どうせこの後に続く言葉は――」

「――俺は寝てただけだ」


 看守長の言葉の続きを埋めるように、ここ一時間程で嫌という程繰り返してきた主張を再びする。

 看守長が事件について質問する度に、宗二はそう答えてきた。看守長が、宗二が犯人であると決めてかかるため、宗二も頑なに意地のようなものを張って態度を崩さなかったのだ。初めは互いにそれに対して苛立っていたが、時間が経つに連れてこの完全な押し問答にも、呆れを通り越して、いい加減疲れてきた。

 看守長は「だろうと思ったよ……」と疲労感を隠しもしない大きな溜息を付いて肩を落とすと、おもむろに手に持っている資料のページをめくった。


 そして、無意識に宗二の一番触れてはならない部分に手を突っ込んだ。


「ところで話は変わるが、君の過去を軽く調べさせてもらった」


 過去――その単語に反応して、宗二は資料に目線を落としている看守長を静かに睨み付ける。


「旧サピエンス領出身、父は先の戦争で死亡。長く母と二人暮らしをしていたが、母はつい数日前にフォーティスに殺されたそうじゃ――」


 最後まで言い切る前に、パーンと乾いた音が響いて看守長の言葉が止まった。宗二が勢いよく立ち上がり、資料を平手で叩きつけたからだ。破れた紙がパラパラと舞いながら落ちる。


「何を他人事みたいに言いやがるッ!」


 激しい怒鳴り声がキンと鼓膜を劈いた。まさに嵐のようなという表現がぴったりの、突発的な激昂に、緩かった空気は、一転、思わず身が引き締まる程に冷たく張り詰めた。目を見開いた看守長は、緊張を和らげるように一度深く息を吐くと、


「落ち着け、二〇三番。ここで騒いでどうする。私はただ事実の確認をしたいだけだ」


 淡々とそう言って、懐からメモ帳を取り出し、それに何かを記入し出した。少しだけだが頭が冷えた宗二は何を書いているかが気になり、立ったまま「何を書いてやがる」と問う。


「記録だよ。両親の話題を出したときに、君は怒声を上げた。これも重要な記録だ」

「は――?」


 宗二はあんぐりと口を開けた。それを見て看守長は不思議そうな顔をする。


「なんだ。不満そうな顔をして」

「不満だと? ああ、それはそれは不満だよ。こっちの気も知らないで、勝手に父さんと母さんを侮辱してッ。それに対して怒ったら、まるで俺が悪いことをしたかのように記録する。そりゃあ誰だってキレるに決まってるッ」

「……ちょっと、何を言っているかわからないが……」

「は?」

「君の両親を侮辱した覚えはないし、君が怒声を上げたことは、単なる客観的事実として記録しただけだ。そこに君を貶めるような他意はないが」

「嘘を付くなッ!」


 叫び声を上げる宗二に、看守長はやれやれといわんばかりに後頭部を掻く。


「まあいい、続けよう」

「おい、勝手に進めるなッ!」


 宗二の命令を看守長は黙殺する。


「それで、あなたはフォーティスに対して両親を殺された恨みがあるな?」

「な――」

「――先程の荒れようを見せた後に、無いなどとは言わせないよ?」


 宗二の返答を先読みした上で、それを遮るような念押し。それには、相手に有無を言わせぬ凄みがあった。宗二は返答に窮して、苛立たしげに呻く。自分の額を押さえて暫く悩んだ後、ベッドにどっしりと腰を乗せ「……ああ」と呟いた。認めたくないという思いと、認めざるを得ない悔しさが滲み出る声だった。


「つまり、君にはフォーティスである亮を殺す動機がある、という訳だ」

「それは――ッ」


 看守長は示し合わせたように咳払いをする。睨みを利かせるようなそれに、宗二は否定したい気持ちを抑えて口を噤む。


「その上で、君は今回の事件、やってないと言うのだな」

「ああ、やってない。断じてやってない」――力強く言い切った。

「では、一応聞いておこう。その根拠は如何に」


 ようやくこちらの話に耳を傾ける気になったようだ。態度から察するに、喜んで、という訳ではなさそうだが、好機であることには変わりない。

 宗二は姿勢を正し、言葉を選びながらゆっくりと語る。


「確かに、俺はフォーティスがこの世で一番嫌いだ。今もお前の顔を見て、声を聞くだけで不愉快極まりない。それこそ、フォーティスとの関わりの一切を断てたら、それはもうこの上なく喜ばしいことだと思う。でも、フォーティスを遠ざけるために、母さん殺しと無関係のフォーティスなんてわざわざ殺さないし、何より、返り血の付いたつなぎは部屋に残して、凶器は持ち去るとか、意味がわからない。俺はこんな間抜けな方法で凶器を隠し持ったりなんてしない……」


 看守長はメモを取りながら、目線だけを上げて宗二を見た。その目には『まさか、それだけ?』というような落胆の色がありありと浮かんでいた。焦りを感じ、宗二は看守長の気が変わる前にもっと何か主張しなければと思ったが、その前に看守長が口を開く。


「君はそもそも体調不良の休養のために医務室に行ったのだったな。では、寝てる間に無意識に、熱に浮かされてやった、なんてことは有り得ないと言い切れるか?」


 寝てる間に無意識に? ――いや、常識的に考えて、そんな訳ないだろう。


「ああ、有り得ない」


 否定すると、看守長は十秒程メモ帳を凝視して、


「君の主張はよくわかった。後はこちらで調べさせてもらう」


 看守長はそう言って、重そうに腰を上げて、思いの外あっさりと退室した。重厚な扉が閉まっていくと、扉と壁の隙間が狭くなっていき、一本の線となり、たちまちぷつりと消える。外から鍵が閉められる。その間ずっと、ギーッと太い金属音が響いていた。狭い部屋に宗二一人しかいなかった所為だろう、その音がやけに大きく感じられた。



 ◆



 この世界では、知らぬ者はいない程有名なことだが、フォーティスの国には警察組織が存在しない。

 その理由を説明するためには、少し歴史の話をしなければならない。現在、北政府の統治下にある東北地方と北海道は、古来より、現在と同じくフォーティスが支配していた。

 だが、今のように一つの国が全土を支配していた訳ではない。もともとの血気盛んで、強者を尊び弱者を排斥する民族性から、各地で力ある者が勢力を振るってその地域を支配・統治し、同時に他の地域を支配する勢力と対立する、群雄割拠の時代が長く続いた。


 その名残は、北日本全土で国が一つにおさまった現在も根強く残っている。

 最も強く残っているのは、地方自治の考え方だ。もともと、それぞれの地域が、別々の国のように振る舞っていたため、それぞれの地域に、それぞれの慣習やルールが根付いている。国が一つに統一された後も、その地域性は尊重され、国全体に適用される憲法はあれど、細かい法律の取り決めは地域や組織に全任されている。

 それには当然、治安維持や犯罪取締に関する法律も含まれている訳であり、話は振り出しに戻る。

 フォーティスの国には、国全体を管轄とする、サピエンスの国には当たり前にある『警察』は存在せず、地域や組織毎に、その代わりとなる、治安維持や犯罪取締のための体制が設けられている。


 ご多分に漏れず、この人身売買組織にも犯罪を抑制し、取り締まるための体制が整っている。

 それを、倉庫の職員は相互監視体制と呼んでいる。それは商品を看守が監視し、その看守を組織の他の職員が監視し、反対にその職員をまた看守が監視するというものだ。そうして露見した犯罪は、監視する側の長――看守側は看守長、職員側は倉庫長を中心に調査を行い、最終的には社長の判断で有罪か無罪か、そして有罪ならば罰が決められることとなっている。



 そうした経緯から、看守長は、殺人事件発生直後から、通常業務を中断、膨大な量の調査に追われ、目まぐるしくあちこちを奔走していた。そして、時計の針が早朝の四時を指した頃、ようやく一息付くことが出来た。その頃には、荒れ放題だった空模様も幾分かよくなっていて、風が激しく吹き付ける、ビューという不吉な音も聞こえなくなっていた。


 依然として慌ただしく人が行き交う事務室の隅、自分の机に向かった看守長は、疲れた顔で肩をぐるぐると回してから、机にだらりと突っ伏した。「疲れた……」と長い溜息を付き、目を瞑ると、ふとここ数時間のドタバタした調査の内容が頭に浮かんだ。


 犯行があったとみられるのは、壊れていた時計が指していた時刻――十時四十五分。部屋の様子を見るに、亮の抵抗があって、その過程で壁にぶつかるなどして時計が落下し、壊れて止まったのだろう。だが犯人は殺人中の異常な精神状態の所為か、時計が落ちたことに気付かなかったか、或いは落ちたことには気付いていても、壊れたことまでは見落とした。時計が止まったことに気付いていたならば、犯行時間の証拠となることを避けるべく、時計を持ち去るか、時間を偽装しようと手動で針を動かすかしていたはずだからだ。そしてそもそも後者は有り得ない。何故なら、落下した衝撃で、時計の裏に付いている、手動で時間調節するためのネジも壊れて使えなくなっていたからだ。

 つまり、時間の偽装は有り得ない。すると、持ち去られていない時点で、犯人が時計の停止を見落としたことは確実。よって、犯行時間が十時四十五分であることはまず間違いないだろう。

 という訳で十時四十五分にアリバイがない者を探し出したが、なんと驚くことに、これが一人も居なかった。まず、自部屋から出ていた商品はなし。どちらも人口密度が高いため、倉庫か職員棟にいた職員は、余程長くトイレに籠もっていたりでもしない限り、誰かには姿が見られた。医務員だけは当時外出していたが、外出先に電話したところ、彼が実際そこにいたという証言が得られた。だから、十時四十五分前後にアリバイがない者は、『医務室2』に居たと主張する二〇三番と、殺された亮だけだった。


「となると、やはり二〇三番しか有り得ないか……」


 何より彼には動機がある。彼の目に宿る、母を殺されたことへの憎しみは尋常ではなかった。


「動機か」――この言葉が妙に引っ掛かった。二〇三番の他に、亮を殺す動機を持ちうる者はいるだろうか。

 亮は真面目で働き者だった。これは看守長自身が厳しく言いつけた所為だが、商品への対応は厳格である反面、職員には穏やかな物腰という、最も評価されやすい姿勢で、上司からの覚えも良かった。

 そうなると大抵の者は驕って偉そうに振る舞うのだが、彼はそうならなかった。自分の仕事ぶりを鼻にはかけず、だからといって謙遜もしすぎない。嫌味には感じないちょうどいい塩梅で、多くの職員に気に入られていた、というのが看守長から見た亮の印象だ。


 恨まれるような謂れはないと言いたいが……そうとも言い切れない。何故なら彼は優秀だったからだ。

 彼に恨みを持つ者があったとしたら、それは彼の仕事ぶりや、上司からの高評価を妬んだ者だろう。ならばいるかもしれないと、顔を上げた時だった。ふと後ろから声が掛けられた。


「看守長、調査に一段落付いたので、僭越ながら先にお休みさせて頂きます」


 へりくだった言葉遣いとは裏腹に、毅然とした声でそう言ったのは、赤褐色の前髪で目が隠れた、些か根暗そうな男性看守――だ。彼は慎ましく一礼する。

 ちょうどいい。確か源は亮と同期だったはずだ。彼なら何か知っているかもしれない。看守長は彼の方に向き直り、背筋を伸ばした。


「ちょっと待て。その前に聞きたいことがある」

「はい」

「犯行当時の十時四十五分頃、君は何をしていたと言ってたかな」

「職員棟のトイレを、楓先輩と一緒に掃除していました。それはさっきも言ったはずですが……」

「あ、ああ、そうだった」


 正直、忙しすぎて忘れていた。


「職員棟のトイレと言えば、医務室の通路を挟んでちょうど真向かいに位置するな。何か物音とか、部屋に出入りする人とかはあったか?」

「ありませんでした。なにせ、猛吹雪で風の音と雷の音しか聞こえませんでしたので」

「そうか……」


 もしあったなら、それは既に問題になっているに決まっているか。何を当たり前のことを聞いているのだ私は。同じような質問を繰り返していても埒が明かない。


「では、そうだ。亮の交友関係について少し聞きたい。まずは楓だ。もちろん、楓と亮が恋仲であったことは知っているな?」

「はい」


 源は何処となく不愉快そうに顎を引いた。


「では、楓と亮の仲に何か変化があったとか知らないか? 最近よく喧嘩していたとか、浮気とか、何か不和の原因になりそうなことは」

「何ですか? 急に。知りませんよ」


 いきなりプライベートな事情に踏み込む看守長に、源は露骨に訝しげな視線を向ける。


「それに、そういうことは楓先輩本人に聞いたほうがいいのではないですか?」


 亮と楓のカップルは、看守の間では有名だった。だからその話題を足がかりに、看守同士の関係性を探ろうかと思っていたが、まさかここまで嫌がられるとは思ってもみなかった。


「いや、聞いたのだが、彼女は特に何もなかったと言うのだ。だが、ほら、こういうものは、案外余人のほうが気付くことがあるから……」

「いいや、傍目から見ても円満でしたよ。あの二人は」

「そうか……」


 多少強引にでも食い下がったほうがいいだろうか。いや、今はやめておこう。

 看守長は咳払いをして仕切り直し、事件のことに話を戻す。


「それで、事件当時、君はトイレ掃除をしていたと。では、トイレ掃除をする前の時間、君は何をしていた?」

「ええと、巡回ルートを時間通りに回っていました。でも、途中の落雷で倉庫の屋根に穴が空いた時は、その修復作業を手伝いました」


 そうだった。あれは犯行推定時刻の四十五分前である、午後十時ちょうどくらいのこと。突然、倉庫の方からもの凄い轟音が鳴り響いたのだった。当時事務室にいた看守長を含めた職員達は、それこそ自分自身が雷に穿たれたような衝撃に、何事かと倉庫に駆け入ると、倉庫の天井辺りに煙が立ち込めていて、そこから焼け焦げたような破片が、雪と一緒にぱらぱらと降っていた。煙が晴れると、天井には直径五十センチ程の穴が開いていた。

 轟音と、焼け焦げたような破片から、落雷があったのだと、皆すぐに察した。幸いにも穴の真下には誰も居なかったため、怪我人は出なかったが、その後暫く職員総出で、倉庫の内側から穴の修復に取り掛かったのだった。

 三十分弱で取り敢えず穴は塞がったが、所詮は素人の応急処置。本格的な修復工事は、これから専門の業者を呼んでやってもらう予定だ。


「その時に、修復作業に亮がいたかは覚えているか? この辺りの時間帯から、亮を見た気がすると証言する人もいれば、見てないと証言する人もいるのだ。皆ちぐはぐなことを言っていて、結局誰が、いつ最後に彼を見たかは、未だはっきりわかっていない。君は彼の姿を見たか?」


 看守長が力強い口調で聞くと、源は額に拳を当てて、うーんと思い出すような仕草で考えるが、


「正直、よく覚えていません。自分も周りも、突然の落雷への対処で落ち着きを失っていたので……。いたと言われればいたような気がしますし、いないと言われればいなかったような気もします」


 こちらを見て、沈んだ声で言った。


「私も同じだ。慌てていて、その場に誰がいたかなど気にもしていなかった。ようやく穴が塞がって、一息つくことが出来た時に初めて、冷静に状況と、そして人の顔を見たような気がする」

「はい。自分も似たような心境でした」

「誰に聞いてもそうなのだろうな。結局、手掛かりはなしか……」


 看守長は溜息を付きながら、伸ばしていた背筋を緩め、椅子の背もたれにぐったりともたれ掛かった。


「そうですね……。それにしても、今日の看守長なんだかいつもより控えめですね」

「あ、そうか? 大方、忙しい一日に酷く疲れた所為だろう」


 その後も二人は、疲労をでっぷりと蓄えた力のない声で、何でもないことを語り合った。

 終始、亮のことは話題に上がらなかった。




 ちょうど同じ頃、宗二と同部屋だったからという理由で、八七番が執拗に事情聴取されていた。メモとペンを持った看守が二人、鉄格子越しに、飽きるほど繰り返しこの質問をしてきた。


「二〇三番は、何か看守を殺したがっているような素振りや、殺す動機を見せていたか」


 そんなもの、無いに決まっている。何故なら、何故なら彼は――脱獄を狙っていたのだから。


 そのことを知る八七番は、宗二が犯人であることに懐疑的だった。もしも、宗二が看守を殺して、その上で逃げようとしていたならばともかく、殺すだけ殺しておしまいなど、そんな脱獄から遠のくようなことを、脱獄に固執していた彼がするとは到底思えない。

 しかし当然、看守に向かって「彼は脱獄を考えていたみたいなので、犯人じゃないと思います」などと言える訳もなく、もどかしい思いをしていた。しかしそもそも、彼を庇い立てする理由もないし……と、半ば自分を納得させながら、彼女は結局、看守の質問に「思い当たる節はない」と答え続けた。


 八七番が宗二の過去を知って、抱いた意見が少し変わるのは、もう少し先の話である。

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