第12話「俺とフォーティス・4」

「昨日は随分と生きが良かったって聞いたけど、そんなことがあったんだね。今日は打って変わって死んだ魚みたいな目をしてるけど」


 金髪の看守――改め楓との一連の出来事を聞いた勝の感想は、そんな呑気なものだった。きっと、大して心を痛めていないのだろう。流石フォーティスといったところだ。


「ああ……」

「そこは、『大して魚を炒めていないのだろう……おっと違った、失礼。心を痛めていないのだろう』ってボケるところでしょ?」

「心が読まれた!?」

「ふっふーん! 僕は人の心が読めるのだ! っと、それはいいとして」


 閑話休題。勝は一瞬で真面目モードに切り替える。


「それで、今日に至る……みたいな?」


 そして宗二の目下の課題、犯人でないことを信じてもらうために、ここでの出来事と心境の変化を語ること、それが終わったか確認する。

 だが――


「いや、まだある」

「そうなの?」

「ああ、なんでかはわからないんだ。けど、一つだけ、考えても考えても解決しなくて、胸に引っ掛かって取れないことがあるんだ」


 陰鬱な雰囲気を纏い、沈んだように肩を落とす宗二に、勝はどうぞ続けてと言うように姿勢を正す。宗二は記憶に思考を巡らせて、一つひとつ拾うように語りだした。


「昨日な、金髪の看守――」


 勝はわざとらしく咳払いをする。出鼻を挫かれた。何故か、彼は金髪の看守の呼び方に厳しいのだ。


「……楓に、あんたの親が死んだのはあんたの問題だろ、勝手にこっちの所為にするなって言われたんだ。今までだったらこんな言葉聞き流して気にも留めなかったけど、なんか考えてしまって……母さんは殺されたのは、本当は誰の所為なんだろう、誰が悪いんだろうって。本人はそんなつもりで言った訳では無いと思うんだけどさ……」


 宗二はそこで切り、一度目を伏せてから、勝を正面から見据え、言った。



「――俺には、お前の親が死んだのはお前の所為だろ、って意味に聞こえたんだ」



 勝は何を思ったのだろうか。こちらを捉えるその細い目に、もの凄く力が入った気がする。


「俺は、母さんが殺されたのも、ある人に騙されたのも、ここの商品にされたのも、この殺人容疑を押し付けられたのも、ずっと、全部全部フォーティスの所為だって思って、フォーティスが悪いって思ってた。そう決めつけて、自分の行動を顧みることなんてなかった。自分に非があるなんてこれっぽっちも考慮してなかった。それどころか、あるかもしれないと思い付きすらしなかったんだ」


 頭を抱えて、懺悔するような口調で語る。


「でも、言われて考えてみたんだ。俺が母さんを助けられた可能性があったか。どうすれば、俺が母さんを助けられたか。……仮に、俺がもっと早くに家を出て探していれば、もっと効率良く探していれば、ちゃんと止血して、医者を呼べば、いやもっと前からそうだ。母さんに普段と違う点がないか、ちゃんと俺が気にかけていれば……、未然に防げたはずだ」

「でも、そんなこと今更考えたって」


 口を挟む勝の声は、何処か必死そうに聞こえた。


「そう、今からじゃもう遅い。後の祭りだ。母さんが、もう手の届かない場所に行ってしまってからしか、この手を伸ばせなかったんだ、俺は。失ってから、やっとどれだけ大切だったかに気づいて、無様に嘆き散らして、フォーティスを恨んで。失ってからも今まで、自分の所為だと思い付きもしなかった。

 結局、俺は大切なものの大きさに気付かずに、大切なものを蔑ろにしてたんだ。蔑ろにしてた自分の所為で失ったのに、全部フォーティスの所為にした。俺がそんなクズだったから、母さんも死んだ。駿に騙された。こんなとこに今閉じ込められてる。どうにも出来ない感情に苦しめられてる。全部全部、当然のことだよ。俺みたいに、責任を全部他人に押し付けてきた奴への、当然の罰だ」


 宗二は憎悪とも取れる、忌々しさを滲ませた声で捲し立てると、勝が何かを言おうとしたが、その前に宗二が言葉を続けた。


「本当に醜くて、惨めだよな。何一つ守れなかった分際で、いや、必死に手を伸ばそうともせず胡座をかいてた分際で、何を偉そうに人の所為にしてるんだって話だよな」


 宗二の胸の中で渦巻く、フォーティスに向いていた黒い感情が宗二自身にも向いた。フォーティスに向けられていた罵詈雑言は、自身にこそ向けられるのがふさわしいと思った。

 勝にも共感して、こんな自分を罵倒してほしかった。


「楓さんの言ってたことは全部合ってたよ。何被害者面してんだ、俺は。本当に気持ち悪い。俺みたいな奴、生きてるだけで周りを滅ぼす害虫なんだし、俺も生きてたって、苦しくて堪らないだけ。いっそ死んだほうがましなんじゃない? ハ、ハハッ」


 自分に失望して、自分が気色悪くて、自分が嫌いで、なんだかもう、笑えてきてしまった。宗二は何処か焦点の合わない目で虚空を見つめながら、不気味に笑いを零す。


「いや、今すぐ死ぬべきか。ハハッ。ほんと、母さんも不憫だよ、息子がこんな奴で。俺のこと恨んでるだろうなぁ。あの日死ぬのは、母さんじゃなくて、俺であるべきだったよなぁ」


 腹の底から込み上げてくる苦しい感覚が笑いに変換されて、溢れ出すように笑った。笑い続ければ苦しさも薄れて、そのまま眠りにつくように死ねるかなと思い、もっと声を出して、肩で笑おうとした。

 しかし、すぐに笑いはピタッと止まってしまった。何が面白くて笑っていたのか、自分でもわからなかったからだ。

 勝は圧倒されたような顔をしていた。けれどほんの少し、こちらに向ける灰色の瞳が憂いを帯びているようにも見えた。


「俺、昨日からずっと考えてるのにわからないんだ」


 表面上は落ち着きを取り戻した宗二が、昏い顔で俯くと、改めて言った。


「なっ、にが」


 勝の返事は、しゃっくりが間に挟まったかのような、言葉に詰まったものだった。


「自分のしでかしたことを人の所為にする奴なんて、ありふれた、言ってしまえば特筆すべきことがないような、単に性格が悪い奴っていう、ただそれだけじゃないか。なのに、なんで俺は、ただ自分の性格が悪いっていうだけで、ここまで自分に失望して、ここまで自分が嫌いになったのか、わからないんだ」


 宗二は焦点の合わない視線をベッドのシーツに向けたまま、悩み苦しんでいたことが痛く伝わる、嘆くような口調で告げる。


「勝、お前はどう思う」


 すると、勝は神妙に頷き、一度自分の顎を撫でながらゆっくりと語り出した。


「僕も昔、とある出来事があって、一度だけ自己嫌悪に陥ったことがあるんだ。僕もその時、何が原因で自分が自分にそこまで嫌悪するかがわからなかった。でも、とあることをしてた時にはっきりわかったんだ」


 昔を懐かしむようで、でも何処か痛ましいと思わせる複雑な声だった。宗二がおもむろに顔を上げてみると、勝は彼から見て斜め上を眺めていた。宗二も視線を追って振り返ってみたが、そこにはコンクリートの冷たい壁があっただけだった。


「――それは、自分の嫌いな人達のことを考えてた時だった」

「嫌いな人?」


 聞き返しながら勝の方に向き直ると、彼もこちらを見ていて、視線と視線がぶつかった。


「そう。宗二くんは、嫌いな人と言われたら、誰を思い浮かべる?」

「……フォーティス、だな」


 目の前のお前、とは流石に言わなかった。


「うーん、もっと具体的な、特定の人物とか……昨日から考えてるって言ってたよね? だから昨日に何かあったとか……」

「なら金髪……じゃなくて楓、だな」

「じゃあ……、そういうことじゃない?」


 勝は肩をすぼめ、何処か言いにくそうに言う。


「どういうことだ」


 だが彼の言いたいことがはっきりと伝わらず、眉をひそめると、彼はまたもや躊躇いがちに言った。



「――自分が楓さんと同じだってことに気付いたから、じゃないの?」



 咄嗟には内容が理解出来ず、音だけが頭の中で響いていた。数秒間、呆けていると、不意にその二つが磁石のように引き合って、ぱちんと繋がった。


「俺が、楓と同じ……だと……?」


 脳裏に浮かんだのは、殺人事件当日、楓が医務室で泣き崩れ『亮を返してよ……』と怨嗟の目でこちらを睨む姿だった。次に浮かんだのは、昨日、この地下牢で宗二が高笑いした、『最悪の、気分だ……』と心底不快そうな顔で俯く姿。

 どちらの時も、彼女を見ると、宗二は奇妙な心地になった覚えがある。具体的に言うならば、鏡に映った自分を見ているような気分になったのだ。

 それは、俺が彼女と同じだから、そう見えたってことか? ――いや、まさか。

 だって、大切な人が殺された時に自分はそこにいなくて、間に合わなかったくせに他人を責めたし、その場で激昂して殺した奴に殴りかかったし、その後は力尽きたように泣き崩れたし、その後もずっと、自分の責任は棚に上げて、殺した奴に憎しみを向け続けた……。そこまで考えて、理解した。


 一緒だ。俺も彼女も、何も変わらない。どちらも等しく醜い。


 フォーティスだろうと、大切なものを奪われれば嘆き、奪った奴を憎む。傷ついた心に、奪われたものの責任を背負えるだけの力などない。当たり前のことだ。何故今まで気付かなかったのだろう。いや、本当は、心の何処かで気が付いていたのに、気付きたくなくて、見て見ぬ振りをしていただけかもしれない。

 いや、そんな当たり前のこと、既に自分で証明していたではないか。


『ようやくこれでお前も、俺の気持ちの、百分の一くらいなら味わえただろ? どうだ。どんな気分だ、今』

『最悪の、気分だ……』


 ――楓が晒した醜態は全て、俺のありのままの姿だった。彼女は、俺の本性を映し出す鏡だった。


 途端に、まるで足元が崩れたように、ベッドの底が抜けて落ちていくような感覚に襲われた。反射的に体を支えようとベッドに手を置くと、ベッドに穴など開いておらず、それが錯覚だと気がついた。

 そうして夢から覚めたように、我に返った瞬間だった。


「――違うッ! 俺はフォーティスとは違うッ! あんなゴミクズどもと一緒にするなッ!!」


 猛烈な不快感が全身を支配して、叫び声を上げずにはいられなかった。喉の奥に巨大なムカデでも突っ込まれたような、甚だしい生理的嫌悪感に虫酸が走ったのは、自分とフォーティスが同類であることに対して、体が、頭が、魂が拒絶反応を起こしたかのようだった。


「違う、違う、違う、違う……、俺は……」


 突沸のような激しい反応から一転、宗二は見開いた目で、ベッドの上の一点を見つめて、ブツブツと呪詛のように呟き始める。その頭の中では、磁石のように引き合う自分と楓を引き剥がそうとしていた。だが、考えれば考える程、探し求めている自分と楓の相違点と同じだけ類似点が見つかってしまう。

 たちまち、宗二は諦めた。蓋をして、今度は鍵も閉めた。


 ――すなわち、思考を停止した。


 考えればどうしても、自分と楓が結び付けられる。だから、もう、考えないことにした。

 宗二はベッドに横になって、布団を頭まで被った。

 突然叫びだしたかと思えば、念仏のように同じことを繰り返すようになって、かと思えば事切れたように布団に潜る。そんなヒステリックな言動を取る宗二に、勝は呆気にとられていた。


 その後も暫く、二人共黙り込んでいた。宗二は件の苦しみに頭から骨の髄まで冒され、魂を引き裂かれたような気分だった。考える気力も話す気力もなくなって、金縛りを思わせる、全身に乗った布団に押し潰されるような感覚に、指の一本も動かせず、只管に立ち込める暗闇に視線を彷徨わせていた。勝はそんな宗二になんと声を掛けたらいいかがわからず、次に掛けるべき言葉を考えては、違うなと切り捨ててを繰り返していた。

 三十分程だろうか、無為に時間が過ぎた頃だった。


「信じた」


 勝は震え出しそうな喉を押さえて、平坦な声を出した。宗二は答えなかった。


「宗二くんが犯人じゃないこと、信じたよ」

「……ああ」


 先程よりも大きな声で繰り返すと、生気のない生返事が返ってきた。ベッドがギシギシと軋むと、宗二は布団からニョキッと顔だけを出して、こちらを見た。一週間ぶりに見た彼の顔は、既に相当に消耗しているようだったが、今の彼の顔に映る疲労は、それを優に凌駕しているように思える。いつにも増して力がなく、死相と言うのだろうか、今にも力尽きて死んでしまいそうな雰囲気を漂わせているのだ。


「俺の仕事、まだあるか」

「ないよ。ここからは僕に任せて」


 そう言って、今も鼓動の激しく叩く音が鳴り響く胸に手を当てると、宗二は掠れた唸り声を上げてまた布団に潜った。勝はベッドから立ち上がり、扉に向かって歩き出したが、「そうだ」とすぐに足を止めた。


「ちゃんと上手くいくはずだけど、もし失敗したら、これが最後になっちゃうかもしれない。だから、最後に真犯人が誰か、知っておく?」

「……いい」


 布団の中から籠もった声。


「うん。わかった」


 勝は再び進み出した。もう一度足を止めて、振り返って声を掛けようとしたが、掛ける言葉が見つからず、結局中途半端な足取りで部屋から出ていった。重厚な金属音を響かせて、扉が閉まった。薄暗い部屋に、宗二はまた一人になった。


 そこから先は、宗二にはあずかり知らぬ話。無論、ことの顛末を後に知ることにはなるが、それも所詮は勝の経験談にすぎない。それはあくまでも探偵の真似事をする青年の物語であって、フォーティスを憎む少年の物語から見れば余談でしかない。

 故に、事件の真相は、宗二の知らぬところで調べられ、知らぬところで暴かれる。

 宗二は一人、その時が来るのを待っていた。

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