第18話 宮中への道【第1部完結】
わたしは
翠玲との親密で濃密なひとときだ。
いつものように、翠玲がわたしを無邪気に激しく求め、わたしが翠玲を遠慮がちに求めた後のことだ。わたしたちはたがいの温もりを感じ、ひとつに溶け合っていた。
翠玲が言う。
「
「お嬢さま、わたしも同じです」
「でも、わたしが東宮妃になったら、そうではなくなってしまう」
「ええ、そうですね」
わたしは平静を装って、答えた。
心の底では、気づいていた。
翠玲がわたしだけの翠玲ではなくなることに。この温もりがわたしの手から離れてしまうことに。
「雨雨、わたしが東宮妃になったとして。それで、わたしは幸せになれるだろうか」
わたしはその言葉に答えた。
「お嬢さま。わたしの役割は、あなたを単なる東宮妃にすることではありません。あなたをこの国の皇后にすることです」
わたしはそう喋りながら、まるで自分ではない誰かが喋っている気がした。
わたしはなおも言葉を続ける。
「お嬢さまは、この国の頂点に立つ女になるのです。女として生まれて、これ以上の栄誉と幸せがありますか。東宮妃はあくまでその第一歩です」
翠玲はわたしの言葉を鼻で笑う。
「雨雨、本気でそう言っているのか」
「本気です」
「雨雨はどうなるのだ」
「わたしは、皇后になったお嬢さまのそばで、お嬢さまの子どもを抱き、育て、ずっと支えていくつもりです」
間違ってはいない。そう願う限り、わたしは翠玲のそばにいられるのだから。
「雨雨は、それで幸せなのか」
「もちろん、幸せです」
翠玲はわたしの胸から顔をあげると、わたしの目をじっと見た。そして言い放つ。
「雨雨、お前は、本当に嘘つきだな」
「お嬢さま、嘘ではありません」
「いや、雨雨は嘘をついている」
「嘘はついていません」
「雨雨、この際、はっきり言うぞ。わたしはやっぱり宮中に行くのは嫌だ」
「今さらそんな。わがままを言わないで下さい」
「だって、それでは雨雨が幸せになれないだろう? わたしは皇后や東宮妃になるよりも、雨雨と一緒に幸せになりたい」
翠玲のその言葉に、わたしの中で何かが崩れた。気がつくとわたしは涙を流していた。
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たちこめる夜気が、寝台に横たわるわたしたちの肌を撫でた。
窓枠ががたがたと揺れている。閉じた雨戸の向こうで、風が吹きすさんでいる。
自分でも本当はわかっていた。
ずっと前から、わかっていたのだ。
翠玲が皇太子に奪われて、そこから本当に皇后になれたとしても。宮中から出る自由すらないのだ。
幸せなわけがない。
翠玲も、わたしも。
やるせなくて、狂おしくて、反吐が出る。
しばらくして、翠玲が静かな声で言った
「雨雨、わたしは、どうしたらいい? 嘘やごまかしはいらない。お前の本当の気持ちを教えてくれ」
わたしは答えにつまり、目をつむる。そんなわたしを見て、翠玲が追い討ちをかけて言う。
「一緒にどこかに逃げてもいいぞ。何もかも捨てて、遠い国へ行ってもいいんだ」
わたしは深呼吸をする。判断を誤らないよう、気持ちを落ち着かせながら。
いま自分が成すべきことは何か。
敵陣のそばで。撤退する馬上で。わたしはいつも考え抜いて、窮地をくつがえす最善の手を選んできたじゃないか。
わたしがここにいる理由は何だ。はかりごとを
わたしは目を開くと、翠玲を見た。
「……お嬢さま。わたしは、嬉しかったのです。とても。お嬢さまが『皇后や東宮妃になるよりも、わたしと一緒に幸せになりたい』と言ってくれた言葉が」
ずっと戦場で生きてきて、人並みの幸せなど望めないと思っていた。でも、いまのわたしは、甘美な温もりを知ってしまった。手放したくないと固執するほどに。
わたしは、翠玲にたずねた。
「お嬢さまは、わたしをこの先も信じてくれますか」
「信じる。雨雨しか信じない」
ならば、覚悟を決めよう。
わたしは身を起こす。
翠玲も起き上がり、寝台で向き合う。
「お嬢さま。まずは宮中に入り、東宮妃選抜に挑みましょう」
「それで、どうするんだ」
「勝ち残るのです。それは東宮妃になるためでも、皇后になるためでもありません。わたしたち二人のために。お嬢さまと一緒に幸せになれる道を、わたしが必ず見つけます」
翠玲がこぼれるような笑顔を浮かべた。
「ふふ、雨雨。そうこなくっちゃ。わたしは宮中に行く。そして、雨雨と共に生きる」
東宮妃選抜で勝ち、皇后の使命を果たしたうえで、翠玲と二人で宮中から逃れる方法を考えるのだ。この国に後足で砂をかけることになるかもしれないが。
権謀術数で負けるつもりはない。たとえ百万の軍勢を敵に回し、この身を血で汚したとしても。
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さて、翠玲が宮中に入る日は、内侍府との協議で九月九日(新暦で十月十五日)と決まった。
ちょうど
秀女に対する扱いとしては、おそらく破格だ。皇后の後押しがあったのではと勘繰ってしまう。
とはいえ宮中の誰もが翠玲に注目していることは間違いない。四家の秀女がそろい踏みになるのだ。時宜にかなった対応なのだろう。
宮中に入るときの服は、翠玲が自ら選んだ。翠玲は街歩きのときの約束を覚えていた。そして予想通り、いや予想を超える服を着た。
「これはすべて、お母さまの形見だ」
翠玲が嬉しそうに話すと、身を
西域風の袖がない絹の長衣の上から、
馬車で迎えにきた
「
「まぁまぁ、曹先生。服装なんて、どうでも良いではないですか」
「どうでも良いわけあるか! 皇帝も皇后も妃も、みんな居らっしゃるのだぞ。後ろ指を指されたらどうする」
「何を言われても平気です。わたしが後で何とかしますから」
わたしは翠玲のきょうの服装に、内心では感心していたのだ。確かに前代未聞だろう。あり得ない奇抜さだ。
だが、誰が何と言おうと、圧倒的に美しい。
宮中の人々は、奇抜さに驚きながらも、翠玲の美しさに目を見張るはずだ。
そして皇后も気づくだろう。手駒だと思っていた翠玲が、自分には御せない荒馬、いや天馬だということに。
宮城に向かう馬車の中で、わたしは翠玲の手を握る。今度は、自分から。
「お嬢さま、わたしはもう立ち止まりません。わたしの手を離さず、ついてきてくださいね」
「わかった。雨雨のことを、きっと離さぬ」
翠玲はもう片方の手で、胸にさげた十字架を握ると言った。
「hosanna(主よ、我らに救いを)」
【第1部完結】
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ここまでお読み頂き、ありがとうございました。第1部完結としましたが、物語は続きます。
第1部は全体の序章です。
第2部では時計の針を巻き戻し、雨雨と翠玲の出逢いを描きます。
第3部からが東宮妃選抜の本編です。四家の個性豊かな秀女&侍女らの対決を軸に、皇位継承争いと、後宮の権力争いが絡みます。翠玲と自由を勝ちとるために、雨雨が知略を巡らします。
以上が現時点の想定です。この後も応援を頂ければ幸いです。
後宮の軍師は眠らない やなか @yanaka221b
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