第10話
父親が死んだ。最期までボケずに父親は父親のままだった。葬式で父親と、息子二人を見て、これまで受け継いで来たしきたりと半人魚の捌きがどうして重いのかを理解した。奪って来た命の数と、それにかけた労力の量がそうさせている。ここまでしたのだから、途中でやめることが出来ない。いつが終わりかも分からない。そう言う状態に崇正は置かれている。自分が父親から引き継いだものをそのまま息子に背負わせるのが役目であることはもう分かっている。しかし、だからこそ終わらせることも出来るのではないか。崇正がついにそう考えたのは、父親と言う枷が抜けたからかも知れない。息子をどちらも料理人に育てていない現状があったからかも知れない。いや、中心にあったのは、アサへの想いだ。アサを息子になど渡したくなかった。七百年の過去は手に入れられなくても、今と未来を独占したかった。父親の亡骸に手を合わせる。
――親父。僕は一度決めたことを、覚悟したことを、ひっくり返すよ。僕の代で半人魚の刺身は終わりにする。
父親は何も言わない。言わないが、許してくれている。もしかしたら同じ葛藤を父親もしていたのかも知れない。
後継を決めないまま、崇正が半人魚を捌き続けた。アサの卵の父親であり続けた。息子達も結婚して孫が出来た。妻は老いた。崇正は年齢よりもずっと若々しかった。アサの部屋に通い続けた。セックスをし続けた。
崇正がベッドでアサの髪を撫でながら静かに、だがどこか必死に、言葉をかける。
「僕はアサの胸の中で死にたい」
アサは崇正の顔をじっと見詰める。
「いいよ。受け止める」
崇正は少し笑う。
「僕が死んでも僕のこと、忘れないでいて欲しい」
「死ぬまで忘れない」
それから一ヶ月後、セックスの後、崇正が抱き締めて欲しいとアサの胸に顔をうずめた。アサはいつものように甘えているのなら、たっぷり甘えさせようとぎゅっとした。
「どうしたの?」
「ううん。なんとなく」
「そっか」
二人とも黙って、密着が生む安心感の中をたゆたっていた。そろそろ離れようかとアサは声をかける。
「崇正、もういい?」
崇正は返事をしない。
「崇正?」
返事がない。
アサは凍り付くような直観に、崇正の顔を覗く。死んでいた。
「崇正」
アサは崇正の亡骸を強く抱き締める。真珠の涙が零れる。
「あなたと出会ってから『こんなもんだ』なんて一度も思わなかった」
アサは首を振る。
「たくさん愛してくれた。私も同じだけ愛せたかな」
涙が大粒になって落ちる。
「忘れないよ」
アサは崇正をベッドに横たえて、布団を被せた。額にキスをする。じっと崇正の顔を見て、もう一度額にキスをする。崇正は何も言わない。
「崇正」
涙が止まるまでベッドの脇で崇正を見守った。
「さようなら、私の一番愛した人」
アサはプールに向かう。一度だけ振り向いてそこに崇正が寝ていることを確かめた。
プールから海に抜ける穴に泳ぐ。大海に出たアサはもう部屋も崇正も振り返らなかった。アサの起こした波紋はしばらく残って、やがて消えた。
(了)
人魚の部屋 真花 @kawapsyc
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