第57話 共にゆこうか

 闇に浮かぶは赤い月。

 瞳に映るは白い巫女。

 両手両足、そして首にかけられた縄が幼い小の体を締め上げる。

 この先どうなるかなど、とうの昔から知っている。知っているのだが…

 「あ う あああぁ  か かみさ ま」

 少女の苦しげな祈りの声が固く閉ざされた祠の扉に触れたが、その声に応じる者はいない。

 「み  みご おにい  ちゃ」

 大きく見開かれた小梅の目が、握り締められた俺の右手を捉えた気がして指先が冷たくなる。

 彼女は巫女なのだ。分かっている。だから情を持たないように今日までずっと立ち振る舞ってきた。なのに

 「おに ちゃん  やく そ く」

 小梅が右手の小指を弱々しく伸ばして苦しそうに、しかし確かに俺に向かって微笑んだ。だが次の瞬間には彼女の表情は最期に巫女が浮かべるあの恐ろしい形相へと変わっていた。

 「たずけで だすげで だずげでえええええぇぇぇぇぇえええええ え」

 ゴキンと音がして少女の体から力が抜け、抜け殻のようになったソレを引きちぎる音が代わりに響き渡る。

 ごめん

 固く握った自分の右手をそっと左手でなぞると、小指に結ばれた紐に触れた。

 約束。そうだ、約束。小梅の魂を無事にカミサマの所に連れて行くという約束。

 だが、カミサマは…。

 結局俺は小梅の、そして小梅の母親の命を奪い、さらに約束の一つも守ってやることのできない人間だったのだ。

 これではカミサマと同じバケモノじゃないか

 暗い地面に足が呑まれる感覚に抗うように俺は小さな塊になって綺麗な布に包まれた小梅の方へ一歩足を踏み出した。

 彼女へ何をしたいのか、言いたいのか、自分にも分からなかった。ただ、自分の犯した罪の重さに背を押され、俺は小梅の頭を抱えて涙を流す三郎太の元へ進んだ。

 「……三郎太さん」

 絞り出すようにして呼びかけるが、返事はない。

 ふと目に入った彼の手には小梅が自身の手に結んでいた紐が握られていた。

 「み 御言様……」

 三郎太の声にハッと視線を上げると、広がる夜闇を集めたかのように黒く光のない目が俺を映していた。

 「御言様、それ、解かずにいてくださったんですね」

 そう言って俺の右手を握った三郎太の目が優しく細められる。

 「よかった。よかった。なあ、小梅」

 三郎太は優しい眼差しのまま胸に抱いた小さな頭に声をかけた。

 何か……怖い

 その声がやけに優しく感じて、俺は彼らから離れようと一歩足を引いた。が、右手を掴んでいる三郎太がそれを許さなかった。

 「三郎太さん…?」

 異変を感じたのか俺の背中の方で茂平が少し動いた気がしたが、三郎太はその声に返事をすることもなくブツブツと独り言のように「よかったなぁ」と繰り返す。

 「よかった、よかったなぁ、これで


 御言様とずっと一緒にいることができるぞ」


 「……え?」

 三郎太の言葉の意味が分からず俺が声を漏らすのと同時に右手が強く引かれた。

 「これで皆一緒だ。お父様もお母様も御言様も。みーんな一緒だ」

 そう言いながら俺を引きずる三郎太の横顔はとても嬉しそうに笑っている。

 「は……」

 「御言くん!」

 茂平が走って来るのが音で分かる。だが…

 俺は目の前に迫る光景に息を呑む。

 三郎太は祠の横をふらりと通り抜け、その後ろに広がる深い谷へと歩みを進めている。

 ああ、これは…間に合わないよ

 三郎太に抱えられた俺は茂平へ目を向ける。

 必死に何かを言いながらこちらに手を伸ばして走る茂平と目があった。他の村の男たちと同じ、驚きと絶望の色が浮かぶその瞳に俺は思わず手を伸ばした。

 だが、視界が宙を捉える。やけに赤い月が俺たちをぐるんと見下ろし、そしてふわりと遠ざかる。

 これで終わりかぁ

 恐怖もある。だがそれ以上にこの結末に安堵している自分がいることに俺は気がついた。

 村の結界や八千代のことは茂さんが何とかしてくれるだろう。村長には…… 使われるだけ使われてしまったがまぁ仕方がない。カミサマのお告げを聞く者がいなくなれば巫女を出さなくて良くなるかもしれない。

 谷底を流れる川の音がやけにゆっくりと聞こえる。

 これでやっと……

 俺は静かに目を瞑る。


 さよなら


 ドパンッと音を立てて赤い飛沫が暗い谷底に広がった。

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遠き山にて秋を待つ 持木康久 @mochiyasu12

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